【追震災体験12】ゆるさない 95/ 2/ 1 23:40 |
あの日々を思い出すことから 次の五年へ歩むため この文章は神戸市長田区で私が被災した体験を、 震災直後から発信してきた文章にコメントを付加して 「追震災体験」と題して5年後の同日に再発表していくものです。 下記各メーリングリストとマスコミ関連そして私のWebページ に公表していきますが、転載も歓迎します。ぜひ転載してください。 ● mlx 震災復興メーリングリスト http://www.kitanet.com/ML.html ● Kobe-trial メーリングリスト ● aml オルタナティブ運動情報メーリングリスト http://www.jca.apc.org/~toshi/aml/intro.html ●とーちのページ http://toach.org/ |
生きてます。12<とーち> ■ありがとうございます 何人かのかたから、激励のメールをいただきました。ありがとうございます。 ■物価のこと 各スーパーでは、いっときの格安価格はなくなり、普通の価格に戻りました。 それでもこころなしか安めの気がします。生鮮品、野菜なども高くはありません。 今日、JR新長田駅の南約200mくらいを東西に伸びる商店街・六軒道をの ぞいてきました。この六軒道は西神戸の人間にとってアイデンティティともいえ るほど馴染みのある場所です。地元では「ろっけん」と語尾を下げて発音します。 このろっけんは無事だったのですが、これから新長田駅へ向かう大正筋はほぼ全 焼しています。これは西神戸に住むものにとって、かなり衝撃です。 で、そのろっけんでは、市場の人々が臨時の店を開いていました。これがまた、 安い。マグロの造り・約2人前400円。はまぐり500g350円。しいたけ 中10本150円などなど。 今回、長田では不当に高い値段で売られてることはなかったと思います。これ は注目に値することで、ちゃんと調査・研究して今後に生かしてほしいと思いま す。 ■朝鮮学校での寿司屋さん 鳩さんやセイクレッドランの仲立ちがあって、なぜか在日朝鮮の人々に寿司を 食わせたい、という大阪心斎橋の寿司屋さんのお手伝いをすることになった。 電話で、19日未明、神戸長田の事情などを話した後、大阪からたどりついた 寿司屋さんの手伝いを西神戸朝鮮初中級学校(地元では朝鮮学校と呼んでます) で行う。私はこういったことをシキるのが得意でないので、じゃまにならないよ うに手伝うことにする。したがって、マスコミにはセイクレッドランの名前など はまったく知られなかったりして、ちょっとまずかったかなぁ、とか思ったりし てる。 寿司屋さんは、総勢11名ほどで訪れ、うち3人は自転車で黒門市場からやっ てきたという。さすがプロで500人前のにぎりを手際よくにぎっていた。私は 赤だしをよそう係り。 始終なごやかな雰囲気で、寿司をにぎるほうも、食べるほうも、よろこんでい ました。 ■自衛隊の風呂 御蔵小学校の自衛隊の風呂に入ってきました。ヒロシマからやってきた部隊で テントの入り口に「もみじゆ 13QM」と書かれてありました。定員は30名 となっており、たしかにそれくらいの人数が入れます。蛇口から湯が出るような 洗い場はありませんので、みんな風呂桶(すべて布製ね)から湯を洗面器でくん で洗います。湯が洗面器にたまるのを待たなくていいので効率がよい。湯量もた っぷりあり、みんな、湯を節約しようとしているため、何人かが一度に湯船に入 るとあふれて、おお、もったいない、とあわてて頭を流したりなんかして。 風呂場にはなんと広島の宮島の絵(水上の鳥居)が書かれてました。去年、広 島にいってきたばかりなので、なんだか感慨深いのでした。 この風呂は、とてもうまくできています。直径5mほどの巨大な布製の桶に、 給水車からの水をためておきます。この桶によって水の供給のばらつきをカバー することができるわけです。桶の水は他の車に牽引されるようにできている高さ 1.5m、長さ2mくらいの重油ボイラーで湯になり、テント張りの浴槽へ供給 されています。重油はドラム缶から直接ボイラーに供給されています。 これならば、大きめのトラックにテントや桶の骨組みと布を乗せて、ボイラー を牽引すればそれだけで移動できる風呂屋というわけです。 最初にこの風呂が設置されてから、その数が増えていないのが気になるところ です。この御蔵小学校の風呂も近くの水木小学校(ちなみにこの水木は水木しげ るの水木です。まあ、どうでもいいんだけど(^^;))と男湯、女湯が一日ごとに交 代することになっています。 私の住んでいるところの近くの真野小学校やかるも中学からは、そこそこ距離 があるので、もっと増やして欲しいところです。自転車ならば苦にならない距離 ですが徒歩ではつらい。とくに老齢の方には風呂上がりで寒いなか歩いて帰って きたら風邪をひいてしまいます。どうして増やせないのか疑問に思います。 ■政府をゆるさない 過去のことは、しばらく書かないつもりだったのですが、どうしてもがまんで きないので、少し。 今回の地震の対応について、政府にはそれなりの責任をとってもらいたい。ま た、自衛隊の司令部などにも責任はあるようだ。ただではすませて欲しくない。 どうしてもゆるせない。 低廉な木造住宅が多かった長田では、焼けなかったところでは、完全に倒壊し てしまった住宅からでもけっこう人は助かっている。わずかのすきまでも、そこ で息ができていれば助かるのである。 「うしろの正面だあれ」というアニメ映画があった。戦争中の話しだが、その 中で倒壊した住宅に埋もれた家族を、火が迫ってきたためにやむなくあきらめて 逃げる場面があった。こうした話しは「はだしのゲン」などたくさんあるが、い ずれも昔の話しだと思っていた。終わった話しだと思っていた。この、文明を誇 る日本で再び起こるなどとは夢にも思わなかった。 今回、菅原の焼け跡から発見された多くの人々は、生きながら焼かれた。昔の ことだと思っていたことが、50年たっても私達は防ぐことができなかった。な にがくやしいといって、私はこのことがくやしく、なさけなく、そして恐ろしい。 村山首相が財界人と食事をしていたとき、死傷者100人などという数字だけ で判断していたとき、人々は地獄の中を死んでいったのだ。 <とーち> |
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