【追震災体験9】余震で崩れるのをふせぐ補強 95/ 1/28 13:56 |
あの日々を思い出すことから 次の五年へ歩むため この文章は神戸市長田区で私が被災した体験を、 震災直後から発信してきた文章にコメントを付加して 「追震災体験」と題して5年後の同日に再発表していくものです。 下記各メーリングリストとマスコミ関連そして私のWebページ に公表していきますが、転載も歓迎します。ぜひ転載してください。 ● mlx 震災復興メーリングリスト http://www.kitanet.com/ML.html ● Kobe-trial メーリングリスト ● aml オルタナティブ運動情報メーリングリスト http://www.jca.apc.org/~toshi/aml/intro.html ●とーちのページ http://toach.org/ |
生きてます。9<とーち> 以前、「生きてます。6」で、給水車にだれも並んでいなかった、と書きまし たが、給水が余っているという意味ではありません。水は毎日毎日、必要なもの ですし、私がみたのも、ほんの一時的なものかも知れません。その後は、やはり 給水車にも井戸にも長い列が出来ています。 一部のみを報道されて、誤解を受 けるといけないと思って、フォローするつもりで書いたのですが、自分で同じこ とをしてしまったようです。反省してます。 (^^;) 私の近くの阪神高速(港川インター付近)では、以前に書いたように、太いコ ンクリート製の円柱の柱が樽型にはじけているのですが、その一本一本に鉄製の やぐらで補強する工事が25日くらいから始まり、ほぼ終了したようです。 これは、補修工事をするための足場かとも思っていたのですが、どうやら余震 で崩れるのをふせぐためのものみたいです。 <とーち> |
【5年後のコメント】 このころには、高速道路の壊れた部分の撤去、一時補強がほぼすんでおり、そ れまでの「壊れた」都市の雰囲気がだいぶ変わってきました。一見して「壊れた」 状態だったものが、「工事中」の状態だったものに変わったわけです。今から考 えると現場の人間が感じていた「街が壊れた」という感覚がこの後、心の中に閉 じこめられていったような気がします。 |
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