先頃「白バラの祈り」をみてから、何か自分の思いをまとめてみたいと考えるがなかなか一つのものにならない。
私が白バラの存在をこの映画によって初めて知ったということもあるかもしれない。また、映画の描写が淡々としていてゾフィーたちに一方的な感情移入をしていないこともあるかもしれない。
「白バラ」とはヒットラー政権の末期にあった学生たちによる異議申し立ての運動でドイツ国民にヒットラーの打倒と戦争批判と自由を呼びかけるひそかな抵抗である。
映画はその抵抗運動のなかでショルツ兄妹が大学構内でビラを配布したことで逮捕され裁判をうけ処刑されるまでの5日間を妹のゾフィーを中心に描いている。
映画の大部分はゾフィーと取調官とのやりとりである。
敢然と自分の考えを主張するゾフィー少しも尋問にひるむことなく主張するゾフィーまだ21歳の若き女性だ。その強さと聡明さに心を打たれる。
果たして自分にその強さがあるだろうか。
取調官もだんだんとその真摯さに引きずり込まれていくことがわかる。取調官は「国家の援助により大学で勉強できるというのに何故国家に反対するのか」と言う。何処の国でも役人は税金は国のものだと考えているようだ。税金は皆のもの国のお恵みではないのだ。
取調べでも裁判でも一貫としてゾフィーは自分一人の考えで行動したと強く主張し他の仲間のことは一切明かさぬまま処刑される。ここでもゾフィーは明晰に強く自分の考えとヒットラーの戦争の愚かさを裁判官、傍聴人の軍人達の前で披瀝する。そして自分は暴力を用いずにビラを撒いただけだと。
即刻、死刑が執行されると知って激しく動揺するゾフィーの姿に胸をうたれます。普通は判決が下されてから100日の執行猶予があるはずなのに。
権力が変わり、価値観が変わればゾフィー達は罪に問われることなく釈放されるのに、時の権力に殺されてしまう。
死刑ではなく無期とか懲役とかであれば後一年もすればヒットラー帝国は崩壊し、ゾフィーたちは死ななくて済んだのである。やはり死刑はあってはならない制度である。
あの時代にあのような抵抗をすることの困難さを思う時身が震える。自分には到底なし得ないないのではなかろうか。
だからこそ今が大事。状況に流されずに時代を見る目を養いあのような時代に再びならないよう日々出来ることをすること。
批判もできない状況になってから何かをすることはとっても難しいことなのだから。