対症療法では済まない食の危機
2004.5 槐 一男
 和歌山県太地(たいじ)は古くから捕鯨で知られています。井原西鶴は「日本永代蔵」でそれを紹介し、「・・・・油を搾りて千樽の限りもなく、その身、その皮、ひれまで捨つる所なく、長者になるは是なり」と書きました。鯨を余すことなく利用したからこそ長者になったというのです。太地は豊かな港町でした。
 太地の丘に、くじら供養碑があります。食物連鎖の頂点に立つ人間が、他の命を授かって命を支えていることへの畏敬の念から建てられました。今そういう心情は失われたようです。鳥インフルエンザ事件などで、そう思いました。

「土知らぬ鶏はいま土の中」

 新聞投稿の川柳です。太陽も土もない飼育「工場」では病気になるのが当たり前でしょう。そして感染した「製品」は処分します。鶏が生きたまま袋に詰められ、土の中に埋められる映像を見て胸が痛みます。
 鶏だけでなく、牛、豚、魚なども、穀類などを含めて同じです。牛は言うに及ばず、密育される豚は、6割が病気持ちだと聞きます。鮨屋で近頃トロが手頃な値になりましたが、実は養殖鮪が増えたからです。特急列車なみで回遊する鮪が、狭い池に閉じ込められ、そのうえ添加物を与えられるのですから、喜んではいられません。
 鳥インフルエンザ問題では、京都などで「終息」宣言が出され、国も追認しましたが、どうも対症療法的な判断からです。そこには業界の効率主義とか、利益主義による圧力が見え隠れしています。
 太地のくじら供養碑に見るような畏敬の念に立ち返ることこそが、今日の食の危機を回避する第一歩となるべきです。
 これを書いていて、金子みすずの名詩「大漁」が頭に浮かびました。

・・・・大ばいわしの大漁だ
はまは祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
いわしのとむらい
するだろう


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