2006.02 はす池の自然を愛する会 吉田敏平
藤沢駅から江ノ電で2つ目の柳小路駅で降りると右手に藤嶺学園鵠沼学園があってその西側の小道をたどると広い道に出る。高いグランドフェンスと共に公園の柵が目前に現れる。ここが藤沢市柳小路公園(はす池公園)の第1はす池です。
蓮が咲き、子どもたちがザリガニ取りに興じる第2はす池は更に歩いて1分の先にあります。ここは元々湘南砂丘の緑を、蛇行していた片瀬川(境川)の名残、河跡湖であって、昭和30年代までは淡水魚の宝庫として知られ、その豊富な湧水は江ノ電の線路を潜って片瀬川に注いでいました。
鵠沼の中でも一番の低湿地であるはす池周辺(鵠沼藤が谷3,4丁目、鵠沼桜が岡1丁目)は首都近郊住宅化の波の最後の時期、次々と埋め立てられ住宅地となり、鵠沼の名の由来原風景を忍び得る沼はここ「はす池」だけとなりました。とはいえ、芦原の名残と水辺の生き物たちは、ミニとは言え「自然(公園)」そのものといす。
2年前(03年)ここも埋め立てられ高校のグランドの一部となるところでした。この高校グランド造成計画に対し、6000を超えた「はす池を埋めないで!」の署名と水害被害の増大を恐れた住民の抗議は、藤沢市と高校側の妥協を引き出し、大きさは8割と縮小されたものの住民の希望に添い「市の公園」として残り、且つ常時都水害池に有効な遊水(貯留)池として保全されました(不充分である)。毎年夏、華麗な彩りを誇るはす花の第2はす池とこの第1はす池は対をなして鵠沼住宅街の憩いの場所であり、子どもたちが池に入って自然と遊べる、市内数少ない身近な自然公園です。
2つのはす池を「公園」として保全できたのは、30年来周辺住民による保全・清掃活動と、市に公園化を絶えず要求し続けてきたことが土台となったことに加え、私たちに望外の数々がありました。
「藤沢めだか」の発見と普及・愛好の広がりは多くの物語があり、この藤沢メダカを放流する計画先が生まれ故郷の「はす池」であったことから、小学校のPTAの母親達は自発的に「はす池を埋めないで!」の署名を繰り広げてくれました。
自然環境問題を研究している方々の深い関心と意見発表から、グランド造成工事を担当した業者も専門家を派遣しては、私たちも含め意見を交換したことは欠かせないことです。
このグランド造成の背景には、30年前とは大変化した土地価格高騰等の経済関係の思惑と学校経営の展望等が絡みますが、行政の姿勢・方針が直接関係していました。
藤沢市当局がグランド造成に臨んだ態度に、学校の代弁者・協力者としての市を住民は目にしています。
例を挙げますと、藤嶺学園鵠沼高校が入学案内などに新設グランドとして紹介した地図は藤沢市が公園用地として借りていた草地がそっくり含んでいます。その異常さを指摘され、学校に直させる約束は3ヶ月放置され最後には、そんな約束は知らないと言い出す始末でした。
藤沢市が公式に訂正を学校に要請したのは、生徒募集に影響もすくなくなった11月に入ってからで、学校はホームページの図面を消しただけでコメントはなく、入学案内書は修正も訂正もありませんでした。
市議会への担当部長の経過報告(03年9月)は、30年来の市の公園化方針を変更したという説明で、この中で部長は、学校による土地取得などの情報を住民に知らせなかったのは「混乱が起きないように」配慮したと、住民の要望を聞き流す態度を当然のこととしていました。
「自然と共生する」などと建前を大きく掲げながら、実際には開発を最優先させる思惑方針の実例でしょう。
30年の歴史をいつの間にか抱えた私たちの運動も大きな試練をまた一つようやく越えました。はす池のとなり鵠沼橘2丁目に「唯一残された湘南砂丘」である「新田山」はグランド造成とほぼ同じ時期に開発の段取りが進められ、昨年末、黒松の貴重な一群は一挙に消され30戸の分譲地を業者は「鵠沼橘の杜」と名付けました。
同じく昨年川名の谷戸の開発が再び始まる情報に「川名自然フォーラム」が誕生し、基金を募る等を話し合いました。その発足会は60名定員の会場に集まった市民は
155名です。市民の自覚と協同の歩みと思います。
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