食料の地域自給に向けての運動
1999.4 食生活研究会 浅井まり子

 村の風景

 私ども、食生活研究会(創立1971年)の店(藤沢駅前)には、アレルギーや喘息症状に悩む人たちが、より安全な食材料を求めて訪れます。のどがおかしい、治りにくいなどで元気そうに見える人たちも、身体の不調を訴えます。私たちの住む環境は、一段と悪化の道をたどっているように見えます。
 田舎はどうでしょうか。山を抱えて、都市に比べればずっといいでしょう。しかし、農薬散布は続いているし海岸線は埋め立てられ、昔のような小川はないし、メダカの姿の見えるところはどこなのでしょう。
 町や村に、最近はコンビニが出現、そこに群れてしゃがみ込む中、高生の姿、形まで都会と同じです。並んでいるものもほとんど同じ。たべものに限って見渡せば地方色や旬が少しでもあれば上出来で、ここはどこ?と聞きたいスーパーもあります。

 健康のために地場生産、地場消費

 娘のアレルギー喘息から、より安全な食べ物を求め出した私は、無添加食品は手に入っても無化肥、無農薬の野菜が手に入らない状況に悩みました。
 結局、農家と直接に交渉、“顔の見える関係”を積み重ねて群馬、青森、岩手、新潟など提携の輪が全国に広がっていきました。こうして、有機農法の食べ物はが直送されたのですが一部の目覚めた人たちだけの運動になりがちな限界−ある意味では消費者エゴと結びつきやすい−それを打開するためには、各地域ごとに、地元生産者との連帯性を取り戻す必要があるのではないか、しかも、昔から伝えられている“体と土は一つ”身土不二(しんどふじ)的考え、つまり自分が生まれ育ち、暮らす土地の食べ物が、健康な身体と心をつくる、旬を取り戻したいと私は願いました。
 1975年(S.50)行政、市場、農協、市議、生産者そして消費者との対話集会“地元の農業を見直そう”を開き、世話人会をつくり、以来、他県の有機栽培農家訪問、地元の農家との話し合いなどを含めて回を重ねていきました。
 当時は、農薬の使用は当然で、使わないということには関係者のほとんどは否定的。しかし“土づくり”の大切さは当然で、堆肥センターの予算が組まれる一方、給食用に実験圃場ができたこともありました。

 都会の中の村づくり

 長い年月はすべての環境を大きく変えています。先日の第19回地元の農業を考える会での、保田茂神戸大教授の言われた通り、震災の時、近くに村があって良かった、村には大きな釜や鍋があり、炊き出し13万個のおにぎりが、どんなに多くの人々を救ったことでしょうか。
 一方、日本の自給率は29%、フランス228%、イギリス120%です。日本は明日の食料をどう考えているのか、どこへ行こうとしているのか、主要農産物について目標値をしっかり定めて、できるだけ自給率を高めていってほしいと思います。
 こうした不安の中で私は、まず我が家の自給を見つめて、そして地域自給を多くの仲間たちと考え実践していく輪づくりが必要だと強く感じています。
 地元の農業を考える会は、地域自給を様々な形で提案し続けることができたらと願っています。
 このところ、この会は、学校給食へ地場のものを、と願ってその流通も含めて市場、JA、行政ともに動いています。野菜の安全性については、栄養士さんたちの強い要望もあり、無農薬や低農薬栽培のものも多くなってきています。
 未来を作る子どもたちの健康のために、大人として何ができるのか・・・・この会への自主的参加を呼びかけ、前向きに歩いていきたいと考えています。



HOME     NEXT