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虹の立つ海
未来からのうたごえ
その世界で
娘は二十世紀病のための薬草を
探していた
ものがたり
▼湾いっぱいに広がる干潟にはシギやチドリの群が飛びかっている。久々に自然にふれた思いの正子は歓声を上げるが、父親とは絶縁状態であった光男にとっては気の重い帰郷だった。干潟の埋め立てに反対しつづける父親の良平は、今日も浜辺でゴミを拾っている。
良平は久しぶりに訪ねてきた息子とは口をきこうともせず、浜で拾ったという小さな笛をただ吹きつづけるだけだった。そのとき大きな地震が大地を揺るがした。
▼気がつくと、三人は荒涼とした原野に倒れていた。三人を助けに来てくれたのはハルカゼ章を探しているという一人の娘だった。遠くで良平の吹く笛の音が聞こえたのだという。
三人はそこが五十年後の世界であり、多くの人々が20世紀の残した悪環境と苦闘していることを知らされる。ハルカゼ草とは「二十世紀病」のための薬草だという。
▼光男や正子の子どもたちも、この世界のどこかに生きているはずである。正子はなんとかして二十世紀の世界に戻り、子どもたちに知らせなければと思う。
娘に助けられながら、三人は元の世界へ戻る道筋を探す。
▼それは恐ろしい夢でもあったが、ほのかな希望を感じさせる夢でもあった。多くの人々のためにハルカゼ草を探しっづけるのだという娘の姿が、運命と闘う人間の美しさを教えてくれたような気がしたからだ。
いまはたしかに空に海鳥が飛び交っているが、やがてこの浜辺も姿を消そうとしている。
だが、光男と正子は、子どもたちに、不安におびえて逃げ回ることより、あの未来の娘のように、現実と立ち向かうための美しい強さを持たせてやりたいと思った。
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親子連れで観てほしい
二十一世紀の子や孫たちに残さなければならない日本の貴重な干潟が、全国各地で失われようとしている。「虹の立つ海」は、これらの問題の本質を、人々に分かりやすく訴えることに成功している。
この演劇の発想は、諌早湾締め切りの現場を見てからだというが、訴えている課題は多い。
干潟を守るため孤独な活動を続ける一人の老人の生きざま。その息子夫婦との落差。未来にかける若い女性。出演者一人ひとりが渾身をこめて演じるのを見ながら、身につまされ、泣き笑いしたのは私だけではないだろう。
この演劇は、これまで干潟に関心がなかつた人たちに、子供連れで見てほしい。いつの間にか出演者と一体となり、時間の経つのも忘れてしまうだろう。そして、失われつつある人間としての心を取り戻し、今、私たちが何か行動を起こさなければ、という気持ちで一杯になるはずである。すばらしい劇を作って戴いて、感謝しています。
山下弘文(やました・ひろふみ)/1934年生まれ。佐賀県水産試験場、長崎水族館勤務の後、1972年にエコロジカル・プランニング研究所を設立し、諌早干潟の保護をはじめ、全国の湿地保護の取り組みをはじめる。
1998年、世界的な環境保護活動家に贈られるゴールドマン環境賞を受賞。この年、米誌で環境保護に貢献した「地球のヒーロー」十人の一人にも選ばれる。
2000年7月、諌早市の自宅で逝去。
2000年7月、山下弘文さんが亡くなられました。現代座の「虹の立つ海」は山下弘文さんとの出会いから生まれたものです。
山下さんがはるばる諌早から訪ねてこられたのは1998年1月8日、東京ではめずらしい雪の日でした。「みんなが環境問題を考えるきっかけになるような演劇は出来ないものだろうか」という相談でした。諌早干潟の問題にはわたしも関心を持っていましたが、正直言って芝居にするのはむつかしいと考えていました。
山下さんは自分の生い立ちを語られ、笑いながら「わたしは損な性分で、やるべきことをやらないで挫折するのがいやなんですよ」と言われたことを覚えています。たまたま山下さんとわたしはほぼ同年代であり、自分たちが生きてきた時代をどう考えるかということでは大変考えさせられるものがありました。
こうして体を張ってたたかっている人から、「演劇は人間の未来にとつて、なんとか役に立たないものだろうか」と言われてみると、さすがに忸怩(じくじ)たるものがあり、面白い芝居になるかどうかは別にして、演劇者としてやはり取り組まなければいけない仕事だと思いました。
諌早湾の干拓事業は間もなく「時のアセス」による再検証を受けることになつています。それを目前にして山下さんが亡くなられたことはほんとうに残念ですが、「やるべきことをやらないで挫折してはならない」と言った山下さんの生き方は、これからきっと多くの人々に受け継がれて行くだろうと思います。未来に希望があるかどうかは、わたしたちがやるべきことをやるかどうかにかかっているからです。わたしもそのような生き方を選びたいと思います。
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