男と女の幻影・・・

 男は他の男の過去に、現在そうしてある相手を一種の反射体として感動し、羨望することさえあるが、女が執着するのは、自分の五感で知覚しうる他人の現在でしかあるまい
 そして、女の方が男より自分の過去に拘泥する。例えば、現在に比べて社会的に惨めだった自らの過去をそれほど男は気にしはしない。ある種の劣等感を持つ人間もいるが、それを他人に向かって直截に表すというようなことをする男は少い。そんな男にしても、今かくある自分が何らかの形で自分の過去の必然的な所産であることを知っている。
 男と女における過去と現在の相関関係の差異からいっても、女にはそれが出来ない。女には、今かくある自分のために、自分のある過去が不要で、邪魔でさえもある。自分の過去を否むことは、女にとっては、決して、自分自身を否むことにはなりそうもない。

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『過去』(エッセイ)より
 このあと、ある“外人向けの私娼窟”で出会った女性の思い出を書き、「私は興味のある男の昔語りを聞くのは好きだが、女のそれにあまり興味がない。あっても、聞きだてしないことにしている。あのとき以来、ますます。」と結ぶ。だからなんなの!? いい気なもの!
(1979年 角川書店:刊 『戦士の羽飾り〜男の博物誌〜』所収)