“騒擾事件”を期待する?

 何もトラックにトラックをぶつける白兵戦までしてもらわなくていいが、過激派が暇な時には内ゲバで、憎む相手の動きを玄人の掲示も舌をまく手口で追跡調査し、一斉踏み込みならぬ深夜の襲撃等で、幹部を襲ったり虜にしたりしているに比べて、愛国グループがひそかに亡国グループを追跡し、その首領どもを拉致して警察につき出した、などという話は一向に聞いたこともないし、そんな動きは、その道の識者に聞いても皆無だそうである。
 アジるつもりは毛頭ないが、この現代になればなるほど、山口二矢
(おとや)という青年の存在が、亡き三島氏がいっていた如く、神に似たものであったということを、私は感じない訳にはいかない。神とは善良なる神ではない。裁くべきのもを正しく厳しく裁くのものとしての神である。

--中略--

 私はその内きっと、日本の売国的言論人や政治家に対する、国民の手による自衛のための暴力行為が起るような気がしてならない。それがどのような形で起こるかは知らぬが、その出来事を顰蹙(ひんしゅく)する日本人は多分極めて少なかろう。

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『最後の写真』(エッセイ)より
 ご存じない方のために。“山口二矢”とは、当時社会党委員長であった浅沼稲次郎氏を演説会壇上で刺殺し、獄中で自殺した人です。
 これでは、“騒擾事件”を期待しているといわんばかりですね。
(1979年 角川書店:刊 『戦士の羽飾り〜男の博物誌〜』所収)