国籍という踏み絵

 それから、2000年の秋、国会で論戦が繰り広げられた外国人参政権の問題について、私はこう考えます。
 まず、我が国に長期滞在する、いわば半分市民になりかかったような外国人の権利義務については、これは必ずしも参政権や被選挙権ということではなく、違った形で権利・義務を謳うひつようhがあります。なぜかというば、いずれ日本がもう一度、大量の移民を受け入れての大混血国家になる、という事態が押し寄せる未来図が見えるからです。いずれにしても外国人から目を背けるのではなく、きちんと法律的なコードを作り、そのコードに叶ったひとは日本人として登録し、あるいは帰化を認めていく、そうしなければ大混乱は必至です。

〜中略〜

 たとえば、今般のアメリカの大統領選挙を見てみると、あの世界一の覇権国家でさえ、次期大統領はフロリダというほんの一部の選挙区における票差によって決するということになっている。しかも百単位の投票差です。
 では、新宿の区長選挙にもし同じ事態が到来したら一体どうなるか。新宿区には外国人が多数生活する独特な町があり、彼らが東京全体の治安を攪乱する可能性が十分にある。そしてもし、彼らの意志が一般区民と同様に、区長選挙時に反映された場合に、問題の決まり方によっては他の区民の意志なり利益を著しく害することにもなりかねない。


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百年河清を俟って
 国滅ぶ−なぜ憲法を否定しないのか
より
 2000年11月30日に開かれた憲法調査会での発言録をもとに加筆したものだそうです。小見出しには『憲法を否定せよ』など威勢のいい言葉も。
 大混血国家といいながら、あくまで認めるのは“コードに叶った”“日本国籍人”でしかないのですね。「半分市民になりかかった」という言葉の排他性にあからさまな差別を感じるのは私だけでしょうか。

(“諸君!”2001年2月号 所収)