男権主義、露骨な女性蔑視


【1999年春、都知事選中、『週刊・アサヒ芸能』のインタビューに答えて】
――(出馬したのは)勝てるという判断があったから?
石原 そんなことじゃないよ。ここまできたら最後の御奉公だと思ったんだよ。そうなってしまったらマッチョだよな。泣く泣くお嫁に行くんじゃないよ。晴々、戦いに行くんでね。

(1999年4月15日号『週刊・アサヒ芸能』)




【1999年6月28日、外務省で高村正彦外相に会い、在日米軍横田基地の返還・共同使用を政府に要望したが、高村外相に「現時点で返還ないし共同使用への移行を米側に申し入れる考えはない」と拒否された。その後、記者団に語った言葉】
それは外務省の立場でしょう。大田・前沖縄県知事のようにいきなり返せと、女子学生みたいなことは言わない。第一歩を踏み出したばかりだ。

(1999年6月28日付『朝日』夕刊)




【1999年12月20日、千代田区内幸町の日本記者クラブでの会見で】
(首都機能移転反対を力説するために、政治、行政、経済のそれぞれの中心である永田町、霞が関、丸の内が狭い範囲に集中している東京の長所を強調しつつ)
 ましてその周りに赤坂とか新橋とか高級娼婦(しょうふ)がいるところがある。

(東京新聞社会部「ウォッチング石原」取材班著『石原慎太郎の東京大改革』、青春出版社)




【月刊『正論』の編集長・大島信三のインタビューに答えて】
大島 読者からぜひ石原さんに伝えてほしいという手紙がきました。「横山ノック氏の行為は許せないけれど、あの人の二の舞いにならないため、女性と二人きりにならないで下さい」という忠告です。
石原 ハッハッハ。今度男女共同参画社会というのを先取りして東京都で条例をつくるという。いいかげんにしてくれよと思ったが、その案を持って来ました。で、「男が男をいじめてもいい。女が女をいじめてもいい。要するに男が女をいじめちゃいかんということだろう」「はあ、そうですが」「もう一つ、女も男をいじめちゃいかんと入れといてくれ」そういったんですよ(笑い)。
大島 それでこそ男女共同参画社会です。
石原 「お座敷小唄」ってあるでしょう(リズムをつけて)。
どうかしたかと肩に手を
どうもしないとうつむいて
目にはいっぱい涙ため
あなたちっとも来ないから
そこでいったんですよ。「どうかしたかと肩に手をかけて、よけいなことよ、といわれたらセクハラになってしまうから、そうならないよう、そこのとこの限界点をちゃんと書いといて」といったら、担当の女性の部長さんが笑っていたけどね。

(2000年3月号『正論』、「永田町紳士淑女を人物鑑定すれば」)



〔註 次は、1998年12月号『VOICE』に石原が執筆した文章の一部であるが、参考になるだろう。なお括弧内の読み方などは引用者による。
私が国会議員を辞めるときに、日本は男の格好をしているが、男の機能を切り取られた宦官(かんがん)のような国になった、(中略)その責任をとって辞めた。/あれからまだ三年あまりしかたっていないが、(日本は)いまや宦官どころか、“纏足(てんそく)された妾(めかけ)”のようになってしまっている。つまり、自分の足では歩けないし立てない。立とうとすれば(アメリカという)主人の肩にすがるしかない。そんな国家に成り下がってしまったと思わざるをえない。