神戸より
現況報告

 待ちどおしの春はやっと来ましたが、有珠山の噴火で残念ながら多くの避難者が一番最悪の春になってしまいました。情報を見て、他人ごとと思えない5年前の震災の経験を思い出しました。
 当事者じゃないと分からない避難生活の大変さ、体と精神の疲れが言葉ではうまく言えません。避難期間が長引くそうですがどうか力を合わせて乗り越えてください。困難の中にはきっといいことも生まれるだと思います。震災のきっかけで生まれた神戸の各ボランティア団体はその一つの証拠です。社会の弱者(年寄り・障害者・子ども・外国人等)のことが震災でいろんなことに気がついたし、5年たった今も改善活動を続けています。天災に負けずに頑張って下さい。
 さて、4月のできごとは何かと言ったら、石原東京都知事の発言で私たち(外国人)の怒りでした。記憶の新しい阪神・淡路大震災をに経験した全ての人は、この発言は暴言だと証人できるだと思います。当時、神戸市の外国人住民は四万人ほどでしたが、大きな騒ぎになるどころか困難の中一生懸命努力し、助け合ながら乗り越えてきました(多くの外国人学校は地域の住民に避難所として解放され、物資は国籍問わずに配布された)。今の神戸では、外国人と日本人は関係なく住民として仲良く住みやすいように意見交換の場などを提供し、町づくりも力を入れていますが知事としてあまり知識が低すぎます。
 最近ノック大阪知事のことも含めて、私が感じたのが芸能人には政治に向いてないと思います。まったく違う分野にも関わらず選挙に出馬し、国民(いいえ、ファンのほうが正しいかも)の信頼によって当選されていました。しかし、立派な芸能人は国民のために働く政治家とは限らないと思います。謝っても、離任しても簡単に許せないできごとでした! 私たちの一人ずづの前に頭を下げて謝ってほしいのが今の気持ちです。
(ハ ティ タン ガ)


石原問題から何を学ぶのか!!

 今回は、世間では少し下火になってきている石原慎太郎の「人権侵害煽動活動」に思っていることを書いみたいと思います。
 石原慎太郎が、自分勝手な論理で他者の人権を踏みにじっても平気なことは、今にはじまったことでもなく、今回問題が大きくなってから言い出した「在日韓国・朝鮮の人々は別」で人権を守る対象といっていることさえ、過去の故新井将敬議員への選挙ポスターへ「北朝鮮から帰化」とシールを貼りまくったいやがらせ事件などを考えると整合性がなく、石原の心の中にあるファシズムの闇が起こるべくして起こした問題だろうと思います。
 ある意味で石原が「外国人=凶悪な犯罪者」と考え、治安の対象として軍事力で抑圧する必要があると発言することには何の不思議もないことです。
 この間、被災地のNPOも含め、多くの市民団体や個人が石原への抗議をし、マスコミも批判的なコメントを出していますが、そんな動きさえ、ヨットに乗っウィスキーをラッパ飲みするのを取材させて喜ぶ目立ちたがりのファシズムナルシストには、嬉しいことなのかもしれません。
 今回の石原慎太郎の「人権侵害煽動活動」をめぐる動きを見ていると、石原の他民族への攻撃を煽るような発言の問題の深刻さにもまして、こんな問題に具体的に対抗する手段が市民からあまり出てこない怖さを感じます。
 外国人や障害者を差別することが平気な人間を、日本最大の大都市である東京都の市民は、行政のトップとして選挙で選びました。「ドイツの敗北は戦争が起きる前のナチスの政権成立に始まる」といった哲学者がいましたが、石原が選ばれた時からいやその力を作ったその前にチャランポランに市民の期待を裏切りつづけた前知事の青島が選ばれた時から、今回の問題の深淵を見据えないといけないと思います。
 考えなければならないことは、自分達が選んだ者が問題を起こした時、どんな手段が社会に用意されており、それがどう使えるかを知っていることです。
 自治体の首長は、ただひとり地方行政に従事する者の中で市民の直接選挙によって就任します。だから権限も大きいし発言力もあります。またあって当然だと思います。しかし、一方日本には地方議会があって、首長や行政の暴走をとめることができますし、それが地方議会の大きな責任でもあるはずでです。
 しかし今回、東京都議会の多数はいつものように水面下で問題の処理にあたり、曖昧な文書で各会派が合意してあやふやな決着をしました。
 今回問われるべき対象としては、当事者の石原だけでなく都議会の議員にも大きな責任があると思いま
す。問題の処理にあたって東京都では臨時の都議会さえ開かれませんでした。
 石原に人権侵害を煽動されている外国人には知事も議員も選ぶ権利もありません。
自分達の生命に関する発言を行う人間さえ選べない側から見ると身近なところへ闇が迫ってくるようにも感じます。
 石原は、将来の不安が蔓延する中、どんな道でもいいから指導者として道を指し示してほしいという庶民が、何も道を示さないリーダー(青島のように)を見て絶望した結果、選んだ選択肢だと思います。
 子どもの残酷な犯罪への対抗策もだせない社会でこれからますます石原のような個性が選択されるかもしれません。その結果、不安解消のスケープゴートとしてマイノリティが攻撃されることが増えるかもしれません。
 その時、評論に終わるのではなく社会のしくみを理解した対抗策がとれるように準備していくことが必要であると今回、下火になりつつある石原問題を見て考えました。

(金 宣吉)