こんなこと許せない!
「防災訓練」監視行動に対する弾圧!
私たちは怒っています。9月1日、私たち「戦争屋にだまされない厭戦庶民の会」有志は陸・海・空自衛隊が参加し、多くの住民を巻き込んで行なわれた7都県市合同防災訓練の中央会場(新鶴見操車場跡地)で監視行動を行ないました。
ところがです! 私たち8人(半数が女性で男性の方は高齢の方中心)を三〇名位の公安警察が帰路、ストーカーのごとくつけまわしたのです。機転をきかしたリーダーの指示で私たちは、電車に乗ったり下りたりしてみたのですが、公安警察は、携帯電話で連絡しあいながら、連携してしつこくつ問いかけると「わからない」といいつつ私たちの乗る電車に乗り込んでくるのです。
私たちは思い余って証拠写真を撮ろうとしました。するとかれらは、申し合わせたかのように顔をかくして立ち去ろうとしたのです。そしてなんと、一人の公安刑事は女性のカメラを奪おうとしたのです。そればかりでなく、抗議する私たちを、別の男が撮影しているではありませんか!そして、私たちが、カメラを奪おうとした男に「それなら交番にいこう」と言うと、男はしどろもどろになって立ち去ったのです。
私たちは当日会場でチラシを配る予定でした。しかし会場内でのチラシ配りは禁止と書いた看板に気付いたので配るのをやめて、数名の会員がチラシを整理したのです。その時からでした! 鋭い目つきの男たちが近づいてきて、チラシをのぞき込んだりしはじめたのです。他の会員は、暑いのでウチワを出したのですが、そのウチワには小泉首相の靖国神社参拝に抗議すると書かれていたのです。(私たちが八月一五日の平和行進の時につくったかわいいウチワです)それを男たちは目を三角にしてみているではありませんか!私たちは、会場に紛れ込んだ「不穏分子」として徹底的にマークされたのです。
私たちの作ったチラシは、防災訓練の参加者に、自衛隊の参加する訓練に対して疑問を我げかける内容のものでしたが、持っていっただけで、会場でのチラシまきは禁止されていたので、一枚もまいてはいないです。このように整然と監視行動をやっいたわたしたちをつけまわす正当な理由どないのです。参加された七〇代が「戦前の治安推持法下での共産党に対す弾圧のようだ」と驚かれていました。まったくそのとおりです!
「防災訓練」とは何だったのか!
会場に入るために、会場の上の橋を通った時、まず私たちは橋の欄干に隠れるように身を潜め、無線連絡をとる迷彩服の自衛官をカメラに収めました。会場の、蛍光色のすごく目立つ服を着た消防隊員や、レスキュー隊員に比して、なんと異様な光景かと思いました。上空からはひっきりなしに自衛隊や、県警や、消防のヘリコプターが下りてきました。私たちが会場に入ってす動式管制塔でした。次々に下りてくるヘリコプターは、航空自衛隊によって管制されていたのです。しかもこういう時に必ずやってくるマスコミのヘリは一台もいません。軍の統制のもとシャットアウトされていたのでしょうか。
会場を走り回る装甲車は、どう説明すれば「防災訓練」と結びつくのでしょうか? 消防やボランティアで一生懸命やられている方もいました。でも会場には、万博パビリオンのような巨大なテントが立ち、何台もの大型スクリーンが設置され、なかには席にパソコンが設置され、そこで映像が見られるようになっているテントもありました。小学校の校舎の耐震補強工事もほとんど進んでいないというのに、湯水のようお金を使って行なわれた「防災訓練」とは何だったのでしょうか。
東扇島会場では、戦後初めて、川崎公共埠頭を、機関砲や掃海装置を装備したままの自衛隊が船が利用しました。公共埠頭の使用は、今後周辺事態法との関係で問題なってくるのですが、今回の防災訓練で実績を作ってしまったのです。「防炎訓練」と言いながら大変なことがおこつているのです。
公安警察が私たちをつけまわしたのも、おそらく不穏分子摘発の体制をとっていたのでしょう。あれほどの人数が連携しながら動いたのですから、あらかじめ準備されていたにちがいありません。そして残念ながら、訓練中に会場内で、監視などの行動をとった団体がみうけられないなかで、私たちは監視行動を行なっていったのです。
そういう私たちを「不穏分子」とみなして追いかけ回したのです。私たちは「防災訓練」が実は、治安出動訓練だという主張を聞いていましたが、身をもって体験することとなったのです。
防災訓練その
「クーデター訓練」としての実態
防災訓練、その日我々を襲ったものは正に防災訓練に名を借りたクーデター訓練であつた。訓練を見学した厭戦庶民の会有志八名は、帰路二〇名近い公安警察の私服警官にマークされたのである。
我々は何ら不法・妨害等の行為はしていない。しかるに、公安は我々を一方的に尾行し、写真をとり、挙句の果てに参加者の女性が訓練の様子を撮影して持っていたカメラを奪おうとしたのである。
そもそも一般市民を尾行して身元を調査し、写真を撮る等の行為はプライバシー侵害でぁり、正当な理由のない公権力のかかる行為が憲法上許されない事は判例も認めるところである。さらに、カメラを取り上げるなどの行為は無令状での押収を禁じた憲法三五条に違反するだけでなく窃盗罪の実行行為に他ならない。
防災訓練の名の下に一般市民を不審者に見たてた警察官のかかる違憲行為は国民を敵視した憲法破壊訓練であり、ここに防災訓練のクーデター訓練としての実態が明らかになったというべきである。
背筋の寒くなる思い
防災訓練を視察して・・
会場を出るなり後ろを見ると、公安刑事がゾロゾロついてきた。
橋のたもとで私たちと同時にたちどまり、反対側から、または路地からも歩いてきた。最寄駅では車から、走っておりてきた。そして沿線の各駅にいた私服刑事をふくめたら、その数は三十人にも及ぶだろう。防災訓練の視察に行っただけなのにどうして?と思う。「怒」と香いた団扇(靖国への抗議に使ったもの)が刺激的だったのかしら? ビラまきの準備をした悪いのか?
たしかに会場にところ狭しといた市民のなかに「抗儀」の音志で集まったのは私たちだけだった。(ヘリできて黒塗りの3台の車で会場を移動した小泉に手を振って追っかけていった見物人たちはスゴかったけど)、このように政府のやることに反対の行動をとろうとする人間を取り締まる公安の「訓練」にはそらおそろしいものを感じる。もの言えぬ時代はすでにきているのではないか。背筋が寒くなった一日だった。
九月一日の合同防災訓練見学に軽い気持で参加してみた。訓練は極めて大仕掛で壮大なパノラマさながら、ショーでも見ているよう。「公安」の監視と追尾を受けている事は仲間の耳打ちで承知していたが、翌日行われた反省会で、私が一人別れたあとの事件(これは事件というべき)を知り驚きと怒りを押えかねた。何もしない数人の仲間への多数「公安」の執拗な追尾・監視は許せません。
私たちの底力を実感
私はこの日、駅のホームで、公安刑事の男から突撃されました。その男は、私の持っていたカメラに手をかけて奪おうとしました。彼らはまったく血迷っています。
けれどもそんな目にあいながらもいちばん心強いと思ったのは、その直後に厭戦庶民の会のみんながこの公安刑事に詰めよってガンガンと抗議をしたことです。そしてその前には、つけまわす連中を振りきるために、みんなが一丸となって機敏に行動していました。
私たちは、いざというときにはガッチリとひとつになれる底力をもっているのだと、この日の経験によって強く確信しました。
「いざとなったら三軍が」
石原都知事大満足!
東京都の防災訓練では、石原東京都知事が今年もまたとんでもない講評をしました。「こんなところで張りぼてみたいなもの燃やして、火消したって、当たり前なんだ」と、消防の訓練は徹底的にばかにしました。そのうえで自衛隊については、「いざとなったら軍が出てきてくれるぞという心の連帯を強く持つことができる。それが、昔の日本人なら誰でも持っていた国民としての心を持ち直すよすがになる」と、自衛隊の出動こそが国民の「心のよすが」だと大賛辞を与えたのです。これは、今回の訓練が、防災のためといいつつ、自衛隊の治安出動訓練こそ狙ったことを示す発言ではないでしょうか。
思えば石原都知事は、昨年も、
「三国人、外国人が凶悪な犯罪をくりかえしている」から「大きな災害が起こつた時には、大きな騒擾事件すら想定される」
「そういう時にみなさん(自衛隊)に出動を願って」
「災害の救急だけでなしに、治安の推持をも大きな目的として遂行していただきたい」
と言っていました。すでに昨年のうちに防災訓練の狙いをあけすけに語っていたのです。
しかし、災害時に外国人が騒擾事件をおこすなどとふりまくこと自体、許せないことです。当会代表の信太さんは、阪神大震災のときに、在日朝鮮人の方々が被災者へのボランティアを必死にやっていた姿を見て来ています。この事実ひとつととっても治安出勤訓練を狙った防災訓練は大問題です。