憲法フェスティバル通信 2000.7.10号
よりご本人の了解を得て転載

憲法ひとくち講座(4)
前田 朗
日本国憲法 第一〇条
 日本国民たる要件は、法律でこれを定める.


 「朝鮮」籍の在日朝鮮人が旅先でパスポート(再入国許可証)を紛失したら、どういうことになるか。そんなことを想像してみたことのある人は、まずいないだろう。1999年8月に、その現場に居合わせた私にも、篤くべき体験だった。
 日本人がパスポートを紛失した場合−こちらは2000年4月に他ならぬ私自身がジユネーヴで体験したのだが、まず日本政府領事館へ行って必要な手続きを教えてもらい、地元の警察に「パスポート紛失届け」を出し「紛失届け証明書」を発行してもらつた(17スイス・フラン)。領事館に戻って「紛失届け証明書」とともに、パスポート「再発行申請書」を提出した。領事館は、これを日本にFAXで送り(8フラン)、元のパスポートが間違いなく発行されていたか、同一人物であるかを確認し、その上でパスポートを再発行してくれた(170フラン)。なんだかんだで200フラン(1万6000円)ほど使って、めでたくパスポートを手にすることができた。
 ところが、在日朝鮮人となると話は変わってくる。友人がパスポートをなくした時、日本政府領事館は何もしてくれなかった。本人が問い合わせても、全く何もしてくれない。私も「国内では日本人と特別在住者等とでは差別しないと言ってるじゃないか」と抗議したが、堂々と「知りません。何もできません」と答える。領事館は外務省の機関であり外国人登録とは関係ないから「当方の知ったことではない」というわけだ。パスポートは、日本に再入国するための権利証でもあり、日本政府しか発行できない(当然だ)。朝鮮政府は何もできない。日本政府が知らぬ顔を決め込んだため、結局、友人は「強制入国」するしかなかった。予定通りの便で空港に到着し、そこに家族が外国人登録の写しをはじめとして。ありとあらゆる本人確認の証明書を持参して、本人に間違いないと騒いで、入国許可を<獲得>するしかなかったのである。
 これが国籍ということの<意味>なのである。日本人の子どもとして生まれた日本人のほとんどにとって、日常生活において国籍を意識させられることは少ない。海外旅行に出て、国籍の、しかも「日本国籍」「日本パスポート」のありがたさ、かなり特権的なありがたさを知ることになる。
 国家の側からすれば、ある者に国籍を認めるということは、国家の外交保護権の対象に含めるということだ。私は日本政府の外交保護権に守られたが、友人は外交保護権の外におかれた。パスポートを発行してもらうまでの間の心理状態は、言葉では表現しにくい奇妙な不安感であった。とはいえ、ほぼ間違いなく再発行してもらえるという安心感もあった。最初から正規のパスポートでなく再入国許可証しか持たずに海外旅行する在日朝鮮人の不安とは相当違うと思う。
 もともと日本政府は「朝鮮」籍国籍とすら認めず、「朝鮮は符号にしかすぎない」などと称してきた。朝鮮人が朝鮮籍を持つか否かは、朝鮮人と朝鮮政府の間の関係であって、日本政府が関与できることではないにもかかわらず、実際には、日本政府は「朝鮮」籍を否定して「韓国」籍を押しつけてきた。さらには、恣意的な帰化手続きで日本国籍を取ろうとする外国人を悩ませてきた。
 国籍の用件は法律で定めることになっているが、大事なことは<国籍という権利(世界人権宣言15条)>と<再入国の権利(自由権規約15条4項)>の意味を知り、両者の関連を問うことである。国籍を一方的に操作し、再入国の権利を保障しない日本政府にイエローカ−ドを突きつけたい。