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報告1 河上暁弘
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河上暁弘(当日の報告に加筆・訂正)
ただいま、ご紹介を頂きました河上暁弘です。専門は憲法学です。本日は、与えられたのが30分という限られた時間ですので、問題をしぼってお話をしたいと思います。本日の集会のテーマでは「有事法制を立ち枯れに」とありますが、私もまったく大賛成です。有事法制の枠組み法ということで、昨年有事三法案が国会を通過しましたが、まだいちばん重要な問題については何一つ法整備が行われておりません。この重要な内容を決めていかないと、有事法制を発動することは全くできないわけでして、だからといって有事法が通ったことは大したことはないと言うつもりはありませんが、たとえばいわゆる「国民保護法制」などをしっかり決めないと、とても発動できるようなものではない。そういう状況ですから、まさに「立ち枯れに」すること、つまり発動させないことこそがたいへん大事です。
私は、この「有事法制を立ち枯れに」しつつ、それだけにとどまらず、加えて「憲法を実行させよう」と訴えたいと思います。有事法制を立ち枯れに、憲法を実行させるというきっかけを今日を機会にいっそう作り出していければと思います。日本国憲法の精神は第九条にあるようにあらゆる戦争を放棄しそのために軍隊を持たないということです。そして、それは、憲法前文に規定してあります「全世界の国民の平和的生存権」の保障ということが究極的な目標です。この憲法を実行するための具体的なビジョンとプランを知恵を集めて出すことが今こそ求められている時はないと私は思います。
しかし戦後年50以上を経て今まで多くの国民もなるほど憲法では戦争をしない軍隊を持たないということも含めて平和主義を規定していますけれども、今までその本当の意味、具体的な意味はあまり良くわかっていなかったのではなかったかと思います。確かに、日本は一応、直接的な加害者としては、50年以上戦争をしないできた。だから、憲法9条があることが当たり前であって、これがなくなったらいったいどういうことになるのか、あまりピンときませんでした。もちろん、米軍基地があったり、沖縄の問題があったり、さまざまな問題がありますから、そう簡単に言う問題ではないけれども、9条が本当になくなってしまったらいったいどんなことになるのか、あまり想像力が働かなかったと思います。しかし、今回、有事法制というものが出てきて、多くの国民もその本当の意味がわかり始めたのではないか、私はそう思います。
有事法制は、大震災や大災害といった「憂い」への「備え」のための法律ではありません。有事法とは、まさに政府が戦争を効果的に行うために、戦時に人権や民主主義をいかに制限するかを前もって法律で定めておこうとするものに他ならないのです。これは、本来、軍事目的のためであったら、国民の自由も人権も、そして民主主義も制限されるのは当然、という発想に基づくものです本人の意思を問わず戦争のために徴兵(兵役の強制)徴用(労働の強制)、徴発(物品・所有物の強制収用)等を、合法のお墨付きの下で、行おうとするものでもあります。それは、戦時にいかに軍事活動を合法的にやるか、その際に軍事目的のために、国民の人権をどのように制限するか、そのための法整備をあらかじめやっておこうというものなのです。合法のお墨付きをもって軍事活動、人権制限をやろうというのが有事法制の内容ですから、こういうものが通れば憲法九条は完全に死文化してしまう。いったいどういうことになるのかというので、だいぶイメージが湧いてきた。そういう状況だと思うんですね。ですから憲法九条の意味がいまほど分かっているときはないだからこそ、今こそ、有事法制の問題を具体的に訴え、そして、憲法九条の意義を訴えられるときはないと思います。「ピンチこそ最大のチャンスである」ということですね。
しかも今、自衛隊のイラク派兵問題というのがある。世界中の人が反対した米英軍によるイラク戦争そういうものにすらいま自衛隊は協力をするという状況になってきました。イラク占領、あるいはイラクの掃討作戦をいま米英軍がやっていますが、自衛隊は、人道復興援助という名のもとに、そうした米英軍の占領行政を一部担うような活動のために、自衛隊が戦地に派遣されている。さらに、自衛隊ばかりではなく、これからは民間の人たちも強制的に動員される時代がやってくると思います。今回のような道義に反し、国連憲章にも反する戦争に自衛隊の陸上部隊の戦地派遣が行われこれから先は当たり前のように日米同盟が強化されることとも相まって、さらに有事法制によって、国民が動員される事態がやってくる。この具体的な危機を認識することが大切です。決して、ことは自衛隊員にとどまる問題ではありません。国民みんな、国民一人一人に関わる問題なのです。そういう時代における有事法制や国民保護法制の問題をどう考えるのか、というのが、おそらく本日、私に与えられたテーマだろうと思います。
ではまずイラク問題から先に話に入っていきます。今いわゆるイラク特措法によりまして、イラクに自衛隊が派遣されています。昨日も国会で強行採決がありました。いまテレビや新聞などの報道では、自衛隊が派遣される地域が特措法のいう「非戦闘地域」じゃないじゃないか、自衛隊員が危険じゃないか、こういう問題が提起されています。もちろん、この問題は重要な問題です私は一方で自衛隊の存在自身憲法違反だと思っているし自衛隊を平和的に解編(コンバージョン)をして非軍事的な<平和隊>に改組すべきだと考えてはいるんですが、他方で、とはいっても私は自衛隊員の方々、一人たりとも殺したくはない。いくら命を捨てる覚悟を持っている隊員であっても、一人も死なないでもらいたいと思っています。
しかし、私は、それ以上に大きな問題があると思うんですね。それは、そもそも武装自衛隊がイラクに行くことの意味についてであり、今回の派遣の本質に関わることなんですが、自衛隊が無辜イラク市民を殺してしまうということです。報道では、自衛隊員が殺される危険性ばかりがなぜか議論されていますが、殺した場合にはどうなるのか。こういう加害者になるという問題、自衛隊そして日本自体が加害者になること、私はこちらの方がむしろ重要だろうと思います。
法律上、自衛隊員が正当防衛、緊急避難を超えて武器を使用してイラク市民を殺せば、これは殺人罪に問われます。日本国憲法第9条では第1項で国際紛争を解決する手段として武力を行使することを放棄し、第2項で国の交戦権を否認している、つまり兵隊が人を殺してもいいという権利を否定しています。だからそれらの規定を受けて、自衛隊法上、自衛隊員は海外に派遣されるとき、警察官と同じような発想で海外に派遣しなければいけないことになっています。この自衛隊法の問題をさらに続けるならば、自衛隊法上、自衛隊は、日本に武力攻撃、侵略があって排撃するとき(第76条「防衛出動」)は武力行使をしていいと自衛隊法第88条ではなっているけれども、海外に行って武力行使をしていいとはなっていないんです。防衛出動時以外は、刑法36条の正当防衛、37条の緊急避難の場合のみ武器使用が許されることになっています。その点で、警察官とよく似ているわけですね。
だから自衛隊員が、正当防衛や緊急避難を超えて武器を使用して人を殺せば、殺人罪に問われてしまうのです。だから箕輪登元郵政大臣も、1月28日に札幌地裁に提訴しましたね。自民党の防衛族の代表的な国会議員であった箕輪さんが、いま裁判を起こしているのは、イラク派遣が憲法及び自衛隊法に違反するという問題です。彼の主張を簡単にまとめるとまずイラクは国際法上の交戦状態であるから派遣地域はイラク特措法の言う非「戦闘地域」に当たらない、さらに侵略行為がないのに外国で武力行使をするのは憲法9条違反であり、また持っていく武器が重火器であるから、自衛隊法が許している(正当防衛・緊急避難)を明らかに超えるので、これを使うと海外での武力行使に当たる、といったことで裁判をやっております。その中で言っていることなのですけれども、防衛出動のときに武力を行使すること以外には基本的に警察官と同じような場合正当防衛・緊急避難しか武器を使用できないのが自衛隊法の規定です。これが破られる危険がある。そういう危機的な状況がいまや生まれています。自衛隊員が人を殺すかもしれないという重大危機です。日本が本当に加害者となってよいのか? 戦後、初めて、直接的な加害者として、日本兵たる自衛隊が海外で外国人を戦闘において殺すということが行われつつあるのです。
しかし、それは大問題ではあるけれども、いまだふつうの国民、自衛隊以外の国民には、自分には関係のある話とは受け止められていないようです。ですから、自衛隊のイラク派遣に反対派が減って賛成派が増えてきている。現在の報道の主流は、サマワの市民に感謝されているみたいな報道になっていますから、賛成派がだんだん増えていくのも自然な流れなのかもしれないが、やはり自分とは無関係だという意識の現われなのでしょうか。大変、危惧されます。しかしこれから先、有事三法案が通って、国民保護法制ということになってくると、これは国民のみなさんと関係のある話になりますね。こうなってから気づいたのでは遅いのですが。
そこで、次に有事法制の問題に話を移します。冒頭に司会者から、有事法制すべてがいけないのか、部分的にいけないということなのか・・・という問題提起もありましたけれども、有事法制という問題はそもそも非常にあいまいな議論になっていると思うんですね。
有事、何かコトがあったときにどう対処するか、というふうに問われれば、対処してはいけないとは答えづらい問題です。
ですから、問題はやはり具体的に考えなければいけないだろうと私は思います。たとえば災害の問題にしても、いろんな予測を超えた事態が起きる場合に、どういうふうに国民の生命・安全・人権を守るかということを、法整備上なにか措置をしておくことのすべて。、。に反対の人はたぶんいない日本はとくに東京などはいつ災害が起こるかわかりませんあるいは、原子力発電所を基以上もつ日本では、原子力災害がいつ起こるかわかりま50せん(まあ、原発は無くせばいいんですけど。)そういうこともひっくるめて、いわゆ。る「危機管理」、国民の生命・安全というものをどう保障するかを準備しておくことは、国民の基本的人権に最大の配慮をしつつ、かつ蓋然性の高い順番に対策の整備を行っていくこと自体には一応問題はないと思います。
しかし、いわゆる「有事法制」はそのようなものとは全く違います。有事法制とは、軍事目的のために国民の人権を制限する、もっとわかりやすく言えば、戦争をするために国民の人権を制限するための法律体系を整備するというものです。このようなものは、到底認められるようなものではありません。しかし、そうはいっても「有事(戦時)の際、有事法制がなければ、自衛隊が超法規的に行動するしかなくなるではないか、という政府」筋の声もありますね。まあ、何とかして、戦争を行うときに、それに邪魔な国民の権利を制限することに対して合法のお墨付きを得たいものだから、必死の、涙ぐましい言い訳をなさっていらっしゃるわけです。しかし、法の支配ないし法治主義を守るために有事法制が必要だという考えは大変疑わしいものだと私は思っています。
なぜならば、有事というのは何が起きるかわからないのです。だから、あらかじめ法律であまりきつく縛ってしまうと、軍隊が動けなくなる。その場合は、おそらく軍はいざというときに超法規的に動くことになるでしょう。かといって、あまりゆるく、どんな場合でも合法のお墨付きを与える有事法制であれば、法で縛るという意味がない。結局、どちらの場合も有事法制で軍を縛るということはならないからです。結局、国内最大の実力組織である軍隊の統制というものをどういうふうにもっていくか、どう縛っていくかということは、有事法制があるかないかということではなくて、たとえば議会の問題であるか、国民の世論の問題であるとかそこで縛りをかけていかないとじつはどうしようもないそういう問題だろうと思います。各国ともにこの点を大変苦慮しております。日本を除けば(米国を含めて)軍の発言力や軍産複合体の形成を完全に封じ込めきれている国が極、めて少ないことに格別の注目をしておくべきであります。
しかも、この種の議論には「有事法制が整備されていれば、軍隊はその統制に必ず従うはず」という大前提があるようですが、これも真実とは到底思えません。有事法など、こうした国家緊急権制度は、事実上常に濫用や悪用の危険にさらされ、現に世界の多くの国々で支配者たちの統治の道具として用いられています戦前戦中の日本でもそうでした、。有事法制を支持する人々はどうも軍隊というものを非常に甘く見てはいないでしょうか「軍は、いつでも国民やその代表者の言いなりになるものであり、国民の望む範囲でしか強化されるものではない。軍はどこかの国が攻めてきた時だけ、国土や国民を守るものであって、決して国民やその代表者たちにその鉾先を向けるものではない、などと信じて」いるのであれば、日本の戦前・戦中の経験や世界の諸国の実態を今一度慎重に吟味して頂きたく思います。そして世界の国々の中で、軍部や軍需産業の影響を受けずに政治を行っている国などほとんどいないことも併せて考慮して頂きたいと思います。軍はいかなる場合でも国内の最大・最強の実力装置です。いざというとき、自らの組織維持や行動に邪魔とあれば、国民に銃を向けることも、世界の国々の歴史に見ても、決して珍しい事例ではないのです。無理もありません。軍隊というものは、本質的に、「国民」を守るものではなく、「国家」を守るものなのであります。もっと端的に言うなら、「国家」イコールそれを僭称する支配者層等を守るのが軍隊の常なのです。そして、軍隊は常に軍事合理性の原理に従って行動します。つまり彼らにとっては、戦争の勝ち負けこそ最大の関心事なのです。
そんなときに、負けてもいいから、有事法に従いその枠内で行動するなどと期待できるでしょうか。こうしてみると、有事の際に有事法が遵守されるという甘い期待は、残念ながら裏切られる可能性が極めて高いのが現実なのです否むしろこの有事法は結局結果的に、有事の際に、人権をいかに破っていいかという剣を政府に与えてしまうにすぎないものなのです。
だから私は、日本においてまず必要な法整備は、災害などの対応であり、市民の生活や安全に重大な影響を与える諸問題を整理して、いざというときに国民がどういうふうに避難をするとか、その生活や安全をいかに守るのかといった対応策を万全にした上で、必要があれば万万万が一の武力攻撃への対応もその延長線上で対処することだと思います。だから、それを超えて戦争協力までするような有事法制というものは、これはとても認められるようなものではないと思っております。
そういう意味では、今のように、日本政府がイラク派兵まで行い、戦争協力に踏み出そうとしている現在、むしろ必要なのは「有事法制」ではなく、国民の「無事法制」という、べきものです。いざというときに対処する必要があるということであれば、必要なのはまず「戦争非協力保障法」です。どんな場合にも戦争に協力しないという市民の権利こそ保障すべきだと思います。それから、並んで「言論の自由保護法」ですね。政府批判の、自由はどんな場合でも保障する。それは民主主義の根幹ですから。選挙権だけ与えられていても、政府批判の自由がないならば、それは民主主義とは言えません。もっと言えば、この「言論の自由保護法」では、戦争に反対した人間は非国民だとか言って窓ガラスを割るような人たち、無言電話をかける、いたずら電話をかけるような人たちには重罰を課するというぐらいの、そういう法律をまずつくれということです。そういう法律の方が今、何十倍も重要だろうと思いますね。それ以外の国民の生命保護、財産保護等々は、現在大変不十分な災害法制をまずきちんと整備して、その延長戦上で考えていく法整備を行うべきです。そういう法整備にしても軍事目的で人権が制限されるような法整備には、絶対になってはいけない。そういう意味では、司会者の冒頭の問題提起に関しての私の立場は有事法制には反対ということになります。ちょっとまどろっこしい議論になりましたが、そういうことです。
一応、司会者より極めて触発される問題が提起されましたので、有事法制=侵略対応として、こうした侵略にどう対応するかといった議論につきあいましたけど、今回政府が有事法制を整備する目的は、侵略を受けたときにどう対処するかという話では全然ありません。ここからが本論です。
確かに冷戦時代の有事法制は、例えばいわゆる三矢作戦計画など以来長く続けられてきた様々な有事法制研究は、いわばアメリカとソ連が戦争状態になる、あるいはその代理戦争が起こる、といったときに、日本にまで波及したらどう対応するか、そういう想定で構想されております。ソ連等が攻めてくるというような、そういう話です。この場合、自衛隊・防衛庁などの想定では、ソ連等が攻めてきた場合に、国内の共産主義を容認する勢力、社会党、共産党、労働組合が、侵略国に協力するかもしれないから、そうした間接侵略に対応し、彼らをいかに弾圧するか、ということまで研究していたんです。そこで、彼らを含めて、国民全体に対して、一気に国民の生活を何もかも抑えこむような戦時法制、八七本もの有事法制を二週間で国会を通過させよういうのが三矢作戦計画でした。大体、こうした想定で、冷戦中の有事法制論議は進んでいたわけです。
だけど今やそういう想定は自衛隊でもしていない。いわゆる直接的な侵略(およびそれに呼応する国内の間接侵略)があるなんてことは、自衛隊・防衛庁すら想定しない時代になりました。いまの有事法制の想定が何かというと、アメリカの戦争にいかに協力するかということなんですね。
ご存じのとおり一九九九年に新ガイドラインの関連法として周辺事態法ができましたアメリカにとって、朝鮮半島をにらんだ場合は特に、日本の協力は不可欠です。とくに日本の港とか飛行場とかを米軍が自由に使うとか、あるいは物資、補給、輸送、医療などの協力、こういうものなしにアメリカは朝鮮半島では戦争ができません。そこで周辺事態法では、自衛隊が「後方地域支援、通常の言い方では兵站支援をやるというところまでは」、、ある程度まで法整備をしました。つまり日本が侵略を受けなくても周辺事態となったら日本(特に自衛隊)は米軍の戦争協力ができるというのが周辺事態法です。
けれども、アメリカは、これだけでは不満だったわけです。自衛隊はまあ戦闘能力は高いものをもっているけれども、米軍はそれよりはるかに高い戦闘能力を持っているので、べつに自衛隊がドンパチやってくれる必要はない。むしろ、現代戦争の勝敗の中枢を担うのは、輸送とか補給とか医療とか通信とかといった兵站支援( 後方地域支援)です。「」アメリカとしては、ここを日本にもぜひやってもらいたい。ところが、こうした兵站支援は自衛隊よりもよっぽど民間の企業の持っている能力の方が高い。具体的にいうならば、米軍としては、港を自由に使うとか、飛行場を自由に使うとか、物資の補給とか、陸海空の輸送の協力とか、医療、通信の協力など、こういうものが必要なわけですね。
ところが周辺事態法ではそれはできないわけです。港や飛行場などは、とくに港はそうですが、多くが地方自治体の管轄です。自治体の長は、港湾法上、非常に強い管理権を持っております。自治体の長の腹ひとつで、米軍が港を使えないことになります。港への接岸は港湾管理者である自治体の長の権限ですから、自治体の長がダメだと言えば、米軍も接岸できないんですね。だから、アメリカとすれば、地方自治体をいかに動員するかということが必要なわけです。
周辺事態法第9条では、自治体に協力を依頼できると規定しているだけで、実は断ってもいいという話だったわけです。これは民間の企業ではさらにそうです。協力をお願いできるというだけだった。これでは不十分だというので出てきたのが今回の有事法制なのです。だから有事法制をやる本当の目的は、自衛隊の米軍協力ではありません。そうではなくて、アメリカの戦争に、地方自治体の管理する港や飛行場を自由に使わせる、また民間労働者を強制的に動員できる仕組みをつくる、罰則まで付けて協力させるということが、最大の課題なのであります。
有事法制一般に賛成か反対か、それは一応いろんな議論があっていいけれども、今回の有事法制に限って言うならば、アメリカの行う戦争の協力のために自治体や民間の労働者が強制的に動員されることに賛成か反対かという話です。米軍の支援協力の法整備も今後なされていくんですが、中心はこの問題なのです。ただ、一気に出すと国民も警戒するから、ホップ・ステップ・ジャンプで、一歩ずつゆっくりやっているわけです。
いまのところ、民間の戦争非協力に対する罰則規定として、物資の調達に関する保管命令のところで、前もって捨てたり売ったりした場合には懲役六カ月という罰則がつきました。これは国民強制動員の始めの一歩ですね。これが通ったことによって、例えば、戦争に反対だというお米屋さんが、国から物資調達するから保管しておけと保管命令が出たのに違反して、捨てたり売ったりして、オレは戦争反対だから譲らないぞなんていうと、懲役六カ月になる。戦後はじめて、戦争に反対する、あるいは非協力することそれ自体に刑罰がつく時代になったということです。
ただし、物資調達の問題は以上のとおりなのですが、戦争協力においていちばん大事な労務の提供については、まだ拒否した場合の罰則はついておりません。拒否した場合に解雇されることはあるかもしれませんが。もっとも、この問題、軍事の問題に協力しないで解雇されることについては、最高裁判例でもそれは契約上提供しなければならない労務の危険性を超えた(軍事上の)危険性を含んだものであるから、解雇は無効であるという、千代田丸事件の判例があります。ですからそう簡単ではないけれども、解雇という問題はもしかするとあるかもしれない。けれども、刑罰までちらつかせて強制的に労務提供に動員することは、昨年通った有事法制ではまだできないわけです。今後、それらを含めて、「国民保護法制」の中でどういうふうに詰めていくかが最大の争点の一つとなりそうです。
その内容に注目しておく必要があります。
さらに、今回、いわゆる「国民保護法制」の「要旨」が政府から発表されました。この詳しい説明を始めると5分以内にみなさん全員が寝ちゃうんで、要点だけにしますが、やはり刑罰がついてますね。物資の保管命令に従わなかった者、それから通行の禁止に従わなかった者と車両の運転者、土地の収用などの立ち入り拒否者、などなど、戦争非協力行為にたくさん刑罰がつく内容が出てきました。
ただし、やっぱり有事法制を出す側も賢いので、戦争に協力しない者は刑罰に処す、な。、んてことは正面から書かないわけです戦争に協力しない行為の一環として行われる行為たとえば保管命令違反とか、そういうところに罰則をつけるわけですね。だから、こういう政府文書や法律案の条文は慎重に読み込む必要があるということを付言しておきたいと思います。
そもそも、この「国民保護法制」というもの自体、大変いかがわしいものだと私は思います。看板に偽りありだからです。そもそも国民を保護するといったって、戦時にいったい。。。誰が保護するのか自衛隊ですか自衛隊はいざという場合には敵と戦っているわけです国民を保護しているヒマなどないんですね。むしろ国民にチョロチョロされては邪魔だからどけと言って、避難誘導と称してどかせる。家が邪魔だから収用したりする。今回も家屋の収用が入っています。これを拒むと刑罰が科せられます。国民保護法制ではそういったものが検討項目に挙がっているということです。だから、国民保護法制とは、国民保護ではなくて、国民の権利制限のための法整備以外の何ものでもないのです。こうした内容にも十分注意しなければなりません。
さて、最後に検討したいことは、こうしたものにどうやって対抗する方法があるかということです。まず、多くの人々の支持を得るために、少なくとも、今回政府が準備している「国民保護法制」などは米軍戦争協力のための国民動員・権利制限になるから問題があるという立て方はできると思います。ちなみに、今回の有事法制というのは、武力攻撃があったときだけ発動するのではなくて、武力攻撃が予測される事態から発動します。昨年通った有事法制において、この「予測事態」こそ、鍵なのです。
米軍が戦争をやって、それに日本が協力すると、向こう側から見れば日本の行動は敵対行動ですから、日本への武力攻撃が予測される事態になるわけですね。そうすると有事法制が発動するわけです。つまり、今回の有事法制というのは、米軍協力をしたときに発動する。いわゆる侵略されたときにしか発動しないものをつくるなら、意味がないんです。そんなことは起きないからです発動するのは日本が米軍の後方支援を行った時点で「予。、、測事態」が発動し、そこから有事法制が発動する。そして、そうした米軍協力の結果、日本が攻撃を受ければ次に「武力攻撃事態」が発動します。ここが今回の有事法制問題の、鍵なのです。
こうした点に関して、自治体の長はさすがにその本質をよくわかっています。自分たちが有事(特に米軍への戦争協力の際)に動員対象となっていることをよく理解しているようです。だから、新聞社などが、自治体の長に「有事法制に賛成か反対か」と聞くと、知事で反対だと言ったのは高知県の橋本知事と長野県の田中知事だけですが、その他の知事たちは、建前上「有事法制それ自体は必要ではあるが、としつつも、例えば「国が有事」の際にいきなり代執行するというのはいかにも性急である「そのときは寄港する米艦船には非核証明を求めたい」と答えた広島県の藤田知事のようなケースもあります。こういうところに自治体の長の本音が表れているわけです。どんな保守的な知事でも、自分の県の港湾が国の命令一本で軍港になってしまうようなことは困るというのが本音なのです。また、そうした場合、自治体の長の港湾管理権を用いて、事実上の拒否を行いたいというわけです。こうした自治体の長を味方にすることはきわめて重要だと私は思います。たとえ、有事法制が作られても、今、戦争に協力しないために使える法律上の権限はどのくらいあるのかということを具体的に吟味しておくことは必要なことではないでしょうか。少しあげるだけでも、港湾の使用(港湾法、空港の使用(航空法に基づく自治体の)管理権、火薬庫設置等の許認可(消防法等、公共施設の使用(ただし学校施設等の場 )合は教育委員会、軍関係から依頼された民間車両による輸送への規制(火薬類取締法)、車両制限令、給水、廃棄物処理、医療、情報公開など、検討すべきものがたくさんある)のです。
そして、もうひとつ、有事法制を発動させない方法は、有事法制・国民保護法制の問題を、人権保障という観点から考え直していくということです。私は、そんなに政府が「先の大戦のような人権制限はしない」と言っているならば、そのことを逆手にとって、どんな場合でも人権が制限されないという法制をつくるべきだ、とくに政府への批判の自由、戦争に協力しない自由をしっかりと保障していくことが必要だと迫るべきだと思います。また、多くの国民にもそのことを訴え理解してもらうべきだと思います。
この点では、日本国憲法には平和的生存権という人権が保障されています「平和のうちに生存する権利」が、憲法前文に規定されています。この平和的生存権保障のための法律をつくるという問題提起を、私はやっていくべきだと思います。
実際にそのモデルとなるものが、憲法学者から提起されたこともありますし( 『平和憲法の創造的展開』学陽書房1987年・『恒久世界平和のために』勁草書房・1998年)、また 参議院議員の大脇雅子議員の「平和的生存権保障基本法」の構想素案( 2001年)などのたたき台もすでにあります。こうしたものを市民レベルで、批判も含めて検討して行けばよいと思います。
そういう、憲法を実行させるための法整備を、こちら側で用意しなければいけない。最近は、ただ何々に対して反対だというだけでは、残念ながら説得力を持たない時代になってきました。ひと昔前なら、有事法制だ戦争だ大変だといえば、ワッと反対だとなったけれども、今はそういう雰囲気はありません。いったいではあなた方は反対した後にどういう日本を作りたいのですか、どういう世紀の世界と日本をつくりたいのですか、とい21う疑問に答えられる政策論を出さなければいけない時代になってきました。これは市民の文化水準、主権者意識の高まりの反映でもあると私は思っています。
そういう意味では日本国憲法、平和憲法というのは非常によくできた憲法ですから、憲法の条文を変える必要はありません。むしろ憲法を実行するための法整備や政策論の具体的な提起をと行ってゆくことが必要だろうと思います。有事法制の軍事による人権制限に反対すると同時に、平和保障のための具体的な施策というものを、提起していくことを、一緒にやっていきましょう。こういう危機的な時代においてこそ、守りではなく、「積極的な攻めの護憲」こそが必要だと思います。一緒に知恵を出し合いましょう。ご清聴どうもありがとうございました。