2009年12月12日 平権懇学習会報告
日本軍事産業のゆくえ
――軍事産業基盤の日米一体化
山崎文徳
山崎と申します。出身は大阪市立大学の工学部ですけれども、大学院は商学部の経営学研究科に行きまして、軍事産業研究をしていました。韓国に行って良心的兵役拒否をした人の話を聞いたり、原爆の被爆者行政にも興味を持っています。
今日は「日本軍事産業のゆくえ」というお話ですが、私のやっていることは軍事産業と言っても基本的にはアメリカのミサイル、ロケット、飛行機等々、航空宇宙産業なので、それが日本の企業とどういう関係になっているのか、アメリカを視点に日本の軍事産業がどうかかわっているのかという話になります。そういう形なので、副題に「軍事産業基盤の日米一体化」と書いたわけですけれども。
9条の会などでも「日米一体化」、「軍事的一体化」ということで、米軍と自衛隊が一体化しているということはよく指摘されます。それに対して、軍事産業のレベルでも一体化が進んでいるというのが私の仮説です。運動的に言えば、仮に自衛隊がイラクに行かなくても、日本製品が兵器に使われているということは問題ではないかと思います。そういう意味では、憲法9条を守るということに加えて、武器輸出3原則についてももう少し言ったほうがいいのではないかと思います。
実は博士論文を書いたところで、それを要約する形で今日のレジメにしたので、ちょっとボリュームがあります。戦争放棄・軍備放棄ということを考えるときに、願うだけでは当然できないですから、現実的に推し進めるときにどうするのか、というときに、経済的に軍事に頼らなくてもいいように転換するということがやっぱり重要だと思います。どういうふうに経済のメカニズムを変えたらいいのか、研究では中長期的にやっていきたいと思って、今のところのまとめが今回の形になっているわけです。
話の中身としましては、アメリカの軍事戦略がどう変わったのか、それに応じた軍事産業の変化、そして日本とのかかわり、そういう形になっています。詳しく述べると時間がかかりますので、重点は後半に置きます。
◎アメリカ総資本の意志としての軍事戦略
戦争はなぜ起こるのかを考えるときに、基本的にはアメリカの産業界というか総資本というか、経済界の全体の意志として、戦争や軍事戦略がある、そういうふうに考えます。
その際にどういう戦争の仕方を想定するか、どういう軍事戦略を描くのかということは、第二次世界大戦以降のアメリカを見るときに、大きくふたつの柱で整理します。ひとつは核抑止戦略ですが、こちらは実際には戦争に至っていないので、技術開発競争という形になって展開されました。もうひとつは通常戦争戦略です。とくにベトナム戦争以後、アメリカは現実の戦争で軍事的な勝利をおさめるため、軍事戦略を再編成しました。
ベトナム戦争では、国際的な反戦運動、国際世論があって、アメリカの国内世論の転換があるという、そういう構造があって最終的には米軍が撤退せざるをえなくなりました。アメリカの国内ではまず学生運動がある。そこにキング牧師をはじめとする黒人の運動が反戦に転じた。さらに兵士が反戦運動に参加した。1971年にはアメリカ軍1000人当たり陸軍74名、海兵隊56名、三軍平均34名が脱走しており、全軍で9万人の脱走兵が出たらしいですね。時期はもう少し前ですが、ジェンキンスさんが北朝鮮に脱走したのは1965年ですね。日本でも脱走を助けるグループがあったことを本で読みました。
ただし、アメリカの「反戦」世論には限界もあった。たとえば、誰が戦争を起こしたかといえばベトナムが起こしたと考えるとか、ベトナムの人が死ぬことよりもアメリカ兵が死ぬことに関心を持つとかいうのが当時の世論調査からわかる全体的傾向でした。ベトナム戦争では、実に5万8,191人のアメリカ兵が犠牲になりました。ジョンソン政権からニクソン政権に代わって、戦線としてはカンボジアやラオスに拡大するけれども、「名誉ある撤退」と称することで、国内世論は戦争支持に回ったのです。
ベトナム戦争は、要するにアメリカ兵がたくさん死ぬ戦争でした。アメリカが再び大規模な軍事介入をしようとすると、アメリカ兵がなるべく死なないように、いわば「効率的」に戦争をしなければならない、ということが軍部の発想に上がってきます。象徴的なのが北ベトナムで補給ルートの橋を攻撃するときに、あまりにも多くの犠牲が生じたので、ピンポイント爆弾、精密誘導爆弾が開発されました。爆弾を1回で橋に命中させれば、そこで迎撃されて米兵が死ぬ可能性が少なくなるわけです。
湾岸戦争では被害が最小限にとどめられた言われます。ピンポイントで、建物の窓の単位まで狙えるという精密な攻撃がアメリカ軍はできるので、被害は最小限に抑えていますよと、そういうふうにアメリカ軍は宣伝をしていました。そういう精密攻撃、通常兵器で精密な攻撃ができるようになった起源はベトナム戦争にあるわけです。
湾岸戦争でどれぐらいのアメリカ兵が死んだかというと、公表は148人です。ただその148人の中身を見ると、敵に撃たれて死ぬ人はほとんどいないというか、むしろ味方同士の誤射が多くて、まあ同士討ちですね。
問題なのは、イラク人はたくさん死んでいるということです。ピンポイント攻撃だから敵までもが死ななくなったわけではない。バクダッドの防空システムは世界でいちばん強固だと言われていました。アメリカ軍は敵のレーダーとか対空ミサイルとかをまずトマホーク・ミサイルとステルス爆撃機に搭載した精密誘導爆弾で攻撃した。神経系統を麻痺させるという表現をしますけれども、レーダーも効かなくする、目と耳を奪うことを最初にして、抵抗できなくなった後から爆弾をたくさん落とす。アメリカ兵は死なないけれども敵を大勢殺すという、そういう戦争が湾岸戦争で実現されました。
◎ベトナム戦争以降のアメリカの軍事技術体系
では、どういうところを重点に軍事技術が開発されてきたかということです。あんまり軍事技術のことを言うとなにか戦争オタクみたいで、戦争が好きなんじゃないかと思われるんですが、逆なんですけど。軍事研究と言うより平和研究と言うのがいいのかもしれないですね。
軍事技術の体系は3つに分けて考えます。第1は爆弾の弾頭部分とか戦闘機とか戦車とか戦艦とか、そういった打撃システムと仮にネーミングしているもの。第2はそれを支える兵站・輸送システム、後方支援ですね。基地ネットワークもここに入ります。第3は攻撃システムと後方支援システムをつなげる指揮管制システム。最近はC3Iから言い方が次々に変わって、良くわからなくなっていますけれども。
第1の打撃部分というのは、技術的には核爆弾とか水爆とか、あるいはロケットとか、いろいろありますけれども、ベトナム戦争ぐらいまでにはだいたいもうハードとしては出来上がっている。第2の部分も、基本的な技術開発としてはすでにある。というときに、ベトナム戦争以降の開発の重点は、技術的には電子技術、コンピューターとか赤外線技術ですね。誘導技術を加えることで個々の兵器の命中精度を上げる。すでに技術としてはある弾頭というものに、電子技術を加えて誘導性能を上げる。もう1つは、第3の部分をネットワーク化し、軍事技術体系全体を電子化する。要するに電子技術をいかに軍事に採り入れるのかということが、ベトナム戦争以降の技術的な 課題になりました。
象徴的だったのが、イラン革命があってイランが親米から反米に転換するわけですけれども、その過程でアメリカ大使館員が捕らえられて、アメリカ軍が救出作戦を行うんですけれども、それが失敗してしまったのが1980年ですね。ヘリコプターが8機飛んで行くんですけれども、途中で3機が故障してしまった。その原因は何かというと、電子技術が採り入れたはいいけれども、あまり信頼性が良くなかった、複雑な技術だからちゃんと故障がないように使えなかった。あるいはF15という戦闘機がありますけれども、当時は正常に動く時間よりも故障の時間のほうが長かった。そういうことが危機として叫ばれるのが、70年代後半から80年代です。
その当時の半導体技術、電子技術というと、だんだん日本の産業が力をつけてくる時代です。半導体の日米逆転と言われるのが80年代ですから。信頼性のある電子技術をいかに取り入れるか、それに加えて外国の優れた技術をいかに取り込むのか、これが今日の日米の軍事産業基盤一体化のポイントとなるところです。
◎一国完結的な軍事産業基盤の解体
以下、図表を見ながら説明します。まず図2、アメリカの軍事産業基盤の構造です。
軍事産業基盤というのはアメリカの政策用語です。いちばん最後に兵器の組み立てをする、ロッキードとかボーイングとかいう企業はプライム・コントラクター、軍から調達の契約を結ぶところですね。ただ生産の仕方としては自動車と同じように、ピラミッド構造になっていて下請けがいるわけなので、プライム・コントラクターの下にはサブ・コントラクターとか、あるいは部品供給をするパーツ・サプライヤーがいる。実際にはもっと6層にも7層にもつながって、下のほうに日本企業が参加していっているということがあります。縦割りでは、アエロスペースというのは航空宇宙産業ですね。シップは艦船、アーマメントは弾丸とかです。
基本的には第二次大戦が終わった時点で日本は焦土になっている。ヨーロッパも戦争のダメージをたくさん受けている。という中でアメリカは経済的にも軍事的にも非常に一国的に強固な状態で戦後を迎えて、60年代ぐらいまではパックス・アメリカーナと、経済でも政治でもアメリカが楽園のように言われていた。兵器を作っても当然ながらすべてアメリカ製です。部品のすべてと言うと語弊があるかもしれませんけれども、基本的にはメイド・イン・アメリカの部品で兵器を作れていた。それが80年代になると、外側はメイド・イン・アメリカだけれど、中身を見たらメイド・イン・ジャパンがいっぱいあるという、そういう状況になるわけです。
アメリカ経済の分野ではよく言われるわけですけれども、アメリカの国際競争力が問題になるのが80年代です。レーガン政権でのヤング・レポートという競争力の調査では、自動車がそうですし半導体もそうですし、いろんなものについて、輸出競争力が日本に負けてきていた。アメリカの産業では生産性は上がっていないし、世界市場に占めるシェアも落ちているし、アメリカの産業競争力は非常に危機だと認識され、このままいったらパックス・アメリカーナどころではなくなる、ということが、非常に政治とか経済の分野で問題にされるのが80年代です。軍事、兵器生産ということで考えると、例えば半導体産業が日本に置き換わると、兵器に使われる半導体チップが日本製になる。これで大丈夫なのかということが懸念されたわけですね。
表5 日本が唯一の供給源となっている部品
例えばミサイルを分解すると、工作機械は日本製を使っているとか、あるいはこの部分は日本製だとかドイツ製だとかということになる。表5を見ますと、例えばセラミック・パッケージというのは半導体をパッケージするのに絶対使うものですけれども、91年の段階では京セラがほとんど世界的に独占していた。民生で独占だったら軍事用でも当然、それが使われていると想定されます。ここに並んでいるのはほとんど電子部品ですよね。日本の軍事産業というよりは民生の企業で作っているものが、じつは兵器にも組み込まれているということになるわけです。
ここでしか作っていないという部品が自動車でもありますね。トヨタ自動車が、下請企業の工場で火事になったら部品が供給できなくなって、しばらくラインが止まったとか。アメリカ軍としては、例えば日本がセラミック・パッケージを軍用に売ってはいけないというふうにすると、ちょっと困る。あるいは湾岸戦争だから武器の生産量を増やすというときに、日本企業が応じるか。それが懸念される事態が生じてくるのが80年代です。
なんでハイテクの重要な分野で日米の逆転が起こったのか、なんでアメリカの産業競争力が落ち込んだのか。これは言い方によっては憲法9条ともかかわるわけですけれども、日本は9条があったから民生分野の技術が進歩した、アメリカは戦争ばかりやっているから産業競争力を失ったと言うこともできます。もうちょっと見ていくと、資源配分の歪曲の問題があります。研究開発の政府資金の問題です。
これはアメリカの戦後の政府の支出する研究開発支出を、省庁別に分類した図ですが、一貫していちばん多いのが黒丸、国防総省の研究開発費で、60年代の盛り上がりはベトナム戦争です。80年代の盛り上がりはSDIなどレーガン軍拡ですけれども、圧倒的に多い。赤丸はNASAですけれども、60年代の盛り上がりはアポロ計画ですね。アポロ計画も直接には軍事ではないですけれども、ロケット技術でソ連に負けないということで、軍事と非常に密接にかかわっていた。青い×はAECと書いてありますけど、原子力委員会のことで、第二次大戦中には原爆開発の中心となったところです。それが70年代にエネルギー省と名前を変えますけれども、仕事の半分は核弾頭生産です。国防総省、エネルギー省、NASAの予算の総計を+印で書いていますけれども、アメリカの政府研究開発予算のうち、冷戦中はだいたい4分の3ぐらいは軍事関係だった。だから民生分野に直接行っているのは4分の1です。絶対額が多いですから、それでもそこそこあるわけですけれども。
次は軍事費です。項目別に、白丸が人件費、×印が戦費です。とくに2000年代に戦費が非常に上がっているのが分かると思うんですけれども、これはおそらく対テロ戦争で民間軍事会社とかけっこう金がかかっていることが一因だと思います。黒丸が軍事産業に直接関係する調達です。これはレーガン政権以降、ほぼ金額的には半分ぐらいに減っているのが分かると思います。冷戦の崩壊でかなり減ったと。あと+印が研究開発費ですね。これは冷戦が崩壊してもあまり減っていないんです。
軍事費はいちばん金額的に多かった1987年だと、アメリカの連邦支出の28%です。日本の場合、鳩山政権になって90兆ぐらいになったから計算しにくいんですけど、だいたい自民党では70~80兆ぐらいでしたよね、国家予算の一般会計は。そのうちだいたい防衛予算が約5兆円です。軍事費の定義はちょっと難しくて、国際的には軍人恩給も入ります。日本は約1兆円の軍人恩給があるとすると、国際基準では6兆円の軍事費で、まだ国家予算の1割いってないですけど、それでも多い。事業仕分けをするならここを削ったらいいと思うんですけど。
アメリカではいちばん多いときは3割近くで、2004年でも2割ですね。もっといろいろ軍事関連を集めたらもっと上がると思うんですけれども、国家予算だけ見てもこれだけある。
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これは産業全体の研究開発支出ですが、図6-Cが連邦資金源の研究開発費、図6-Dが産業支出です。その合計、アメリカ全体の研究開発支出が図6-Aです。産業の研究開発に占める連邦支出の割合が図6-Bですけれども、航空機・ミサイルは4分の3ぐらいは連邦の資金でやっているわけですね。電機・電子では90年代はIT産業の独自資金がわりかし増えたと思うんですけど冷戦期は連邦依存度が高いです。とにかく、軍事産業では政府出資の研究開発が多い。
ベトナム戦争のときは、例えばダグラスという民間航空会社では、あまり材料が調達できなかったんですね。なぜかというと、民生用に回ってこなかったからです。物も人も金も軍事が優先されるというのがアメリカの産業構造とすれば、民生分野では資金も人も相対的に不足する。
西川純子先生の著書を参考にアメリカの産業形成を見ていくと、日本でいうと4大工業地帯がありますけれども、アメリカではかなり軍事が起点になって産業が形成されています。ガンベルトというふうに言われるんですけれども、西部劇に出てくるアメリカの保安官のガンベルトの形から、アメリカの経済学者が名付けたんですね。
西海岸のシアトルはボーイングの本拠地です。私は2005年のNPT再検討会議であそこに行ってプルトニウム生産をしていたハンフォードを見学してきました。マイクロソフトなどのハイテク企業も多いです。また西海岸ではカリフォルニアのあたりがロッキードとか、航空宇宙産業の非常に多いところですね。東海岸に行くと、いちばん最初に移民がたどりついたボストンのあたりが昔からの産業地域ですね。レイセオンとかの企業なんかはあのへんです。そして南のフロリダ州にはロケットの発射基地があります。西から下がって中央部を飛びながら東に回る形で軍事産業の基盤が形成されている。これをアメリカの学者がガンベルトと名付けたわけです。
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http://alabamamaps.ua.edu/contemporarymaps/usa/basemaps/uscapz2c.jpg
私は授業で学生に話すんですけど、アメリカの半導体産業はロケット開発と非常に密着して発達した。一方で日本の半導体産業は何かというと電卓だと。電卓競争で小型化するなかでコストを下げて大量生産する技術が磨かれたというふうに言うと、学生はロケットに対して電卓というのはなにか小さいなと言う人もいれば、日本らしくていいと言う人もいます。
アメリカのハイテク産業の立地ですが、カリフォルニアのシリコン・バレーというのはご存じだと思いますけれども、航空宇宙産業が電子部品の調達を周辺企業にするなかでフェアチャイルドとかテキサス・インスツルメントとか、半導体メーカーが集積するようになった。東海岸のほうはルート128という、これもまたハイテク産業の集積地が形成されました。これは藤岡惇先生の主張ですけれども、航空宇宙産業が形成されるなかで情報通信産業もその周囲に形成される。そういう意味ではアメリカの産業形成というのは非常に軍事に依存というか影響される形で、言うならば奇形的な産業形成・地域形成をしてきているということですね。
ではなんで日本とかドイツが電子分野で競争力を伸ばしたかというと、プロジェクトXなんかでありましたけれども、戦争が終わって、戦艦大和を作ったり零戦を作っていた技術者は、民生分野に流れるしかなかった。基本的には軍事生産禁止です。そういうなかで限りある資源が民生分野に投じられた。それが70年代以降の自動車や電機、電子での世界市場の獲得につながった。経済同友会の品川正治さんなんかもこういう表現をされていると思うんですが、日本は軍事に依存せずに技術を発展させてきた、公共事業への依存は批判されているが、戦争に依存するよりはマシではないかと。
産業界としても、恐らく資本家からしてもそっちの方が良かったと思うんです。国全体で見たら、あんまり軍事をやりすぎることは当然、民生分野で競争力を削がれますから、だからもうちょっと資本家に対しても、軍事をやらないほうがいいですよという説得の仕方があると思います。ただ、では日本の技術発達はそんなに良かったのかというと、公害もあれば労働問題もありますから、あんまりハッピーに描きすぎるのは良くないと思うんですけれども。
◎アメリカ軍事産業基盤の再構築
表2で整理しますけれども、ピラミッド構造の上層サプライヤーと下層サプライヤー、それぞれにどういう取り組みがあったのかということになります。80年代は日米経済摩擦があり、日米構造協議もあって、アメリカ国内でも半導体技術をもう一回磨かなければいけないということになった。基本的にはアメリカは産業政策なんかはやらないんですけれども、半導体産業の保護育成をする。しかし、それは根本的解決になりません。90年代になると、今度は軍事費での調達額が半分に減って、軍事産業にとってのパイも少なくなるなかで、より効率的・経済的に生産をしないといけないという課題も生じた。
表2 階層別にみた軍事産業基盤の課題への対応策
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日本から調達するのは、それが供給されなかったら危ないんですけど、問題なく調達できれば良い。日本がノーと言えなければ問題ないということになります。日本が50何番目のアメリカの州ということになれば問題ないと。実際に90年代にはどんどんそうなってきているわけですね。関西学院の豊下楢彦先生に言わせれば従属度がどんどん増してきて、日本の意志判断ができなくなってきている状況であるわけです。政治的に非常に特殊な関係が強まってくる。
だから下請けのサプライヤーのレベルでは、外国からの調達でも安定した供給があれば問題ないとアメリカ政府は判断します。言い方を変えるとグローバル調達になります。中国からは確かに無理があるけれども、日本だと安心で、品質もいいし安いし。それまではアメリカ国内である程度調達できていたシステムが、下層のレベルではグローバルに拡大してきていると。そういう意味で日本が一体化というよりは下請け的に組み込まれてきたわけです。ただ上のほうのいわゆる軍事産業のレベル、本当の軍事産業のコアなところでは、そこは日本には譲れないんで再構築する。いわゆる軍事産業の再編成です。
いまアメリカの軍事産業はだいたい5大メーカーに再編されています。軍用機でいうとボーイング、ロッキード・マーチン、ノースロップ・グラマン。造船では原子力潜水艦のジェネラル・ダイナミクスと、唯一原子力空母が造れるノースロップ・グラマン。あとレイセオンが軍用電子の専門です。飛行機と宇宙と造船と電子と、それぞれでパイが減るなかで5大メーカーになっているということです。
軍事産業の上位ランキングで、2007年ですが、いちばん大きいのはボーイングですね。ボーイングはもともと軍事はそんなにやっていないんですけれども、90年代に吸収合併を繰り返して、いま売上げの半分は兵器です。2位がノースロップ・グラマン。造船の部分のほとんどは軍事ですね。ロッキードも基本的には軍事です。レイセオンは電子。SIPRIというスウェーデンの国際機関によるランキングですが、これがたぶんいちばん信頼性のあるものです。アメリカとイギリスにも同様の機関があるんですけれども、そこはやっぱり政治的なものに影響されますから。
上位100社に占めるアメリカ企業の数は、89年よりも05年のほうが減っているんですね。89年はアメリカ企業は上位100社のうち46だったんですけど、それが39社になった。しかし、企業数は減ってもシェアは減っていません。これは企業の合併があったためで、日本の銀行じゃないですけどこの会社はもともと何だったか、よく分からなくなっている。
◎日本の産業・技術の補完的一体化
ここまではアメリカ側から見た軍事産業基盤再構築の過程をお話ししてきたわけですが、そこに日本がどういうふうに組み込まれたのかということでは、とりわけ武器輸出3原則の問題があります。
武器輸出3原則はご存じだと思いますけれども、ベトナム戦争のときに佐藤首相が国会答弁で表明したものですね。その後、三木内閣で政府統一方針が出され、一般的には両者は同じものと捉えられるんですけれども、ちょっと性格の違うものとして整理します。武器を輸出してはいけないのはこの地域だと、地域で分けたのが佐藤3原則です。共産圏と、国連決議で禁止している国と、戦争をしている国。逆に言うとそれ以外はOKだというのが佐藤3原則です。いま理解されている3原則は三木首相のほうですね。すべての国に武器を輸出してはいけない。こちらのほうが良く思えるわけですけれども、武器の定義がそのとき問題になります。
武器とは何かというときに、輸出貿易管理令という法律を定めています。結論的に言えば武器の範囲が非常に狭いということです。当然、弾頭とか戦闘機とかは武器ですけれども。まず最初にOKになったのは、武器専用生産技術です。FSXが問題になったときの主翼を造る技術とか、レーダーの技術ですけれども。それをアメリカに対してだけは供与を許可するということが83年に決まったわけです。
汎用品は、武器にも使えるし民生にも使えるもの、専用品は武器にしか使えないものと考えてください。表3で「形骸化」と書いているのは、はっきり個々の決議、個々の法律で変わったわけではないけども、国会答弁のなかでだんだん緩くなっているということです。これが武器の定義を言うとき問題になる。例えば東芝機械の工作機械、同時9軸という高性能な工作機械をソ連に輸出したときに、それは武器製造にも使えるからココム違反になりました。佐藤基準で、とくに反米国のソ連に輸出するのはダメだと。それがアメリカに輸出されるときにダメになるかといえば、そんなことは当然ないわけです。
これは国会で実際に問題になったわけですけど、AWACSという空からの司令船は武器ではないのか。民間機を転用していまして、三菱重工とか川崎重工が造っているわけです。このときの国会答弁は、民間用にも使っている汎用品だから問題ではないということでした。それこそ特殊な政治間関係によるものですから、政権が変わったところで部品レベルでも厳密に武器輸出3原則を守れということも、できなくはないと思います。
最近では武器専用部品、具体的にはミサイル防衛に使う日本とアメリカで共同開発する改良型SM3の4箇所の部品は、明らかに武器の一部で武器にしか使えないものですけれども、輸出してもいいと2004年に官房長の談話で発表されました。このように武器輸出3原則の緩和は3段階で来ているというふうに私は見ているわけです。国基準で見るのと武器かどうかで見る基準があるというのは、要するにアメリカに対してはOKにしているわけで、今だったら北朝鮮とかイラク向けだったらダメですよね、同じ物でも。
今日的には日本の何が狙われているかというときに、大きいのはロボットですね。筑波大学の山海嘉之教授の研究が狙われているということがNHKで特集されていました。実際にアメリカの戦争の仕方としても、無人化が非常に進んでいますよね。無人偵察機とか無人爆撃機。その操作はアメリカ本土でパネルを見ながらできるわけです。だからお父さんが勤務中にイラクに爆弾を落として、夕方には帰ってきて一家団欒ができる。まさにテレビゲームのような爆撃で、当然ながら危険はないわけです。山海教授のところにはアメリカから共同開発しないかとか、金をやるから協力しろとかいう誘いもあるみたいです。
あと問題なのは、事業仕分けとかで研究費を削っていくと、どんどん人材がアメリカへ流出します。ある日本の若い研究者は農薬の無人散布の研究をしているんですけれども、それが金があって研究環境がいいからとアメリカで無人ヘリコプターの研究をしているんですね。それは無人ヘリコプターを編隊で飛ばすという、軍事研究なんです。けっこう見ていたら危険な徴候があると思うんですよ。
さらにロボットの問題で言うと、自衛隊も無人化してきているんですね。北海道の陸上自衛隊はソ連に対抗する最強の部隊だったわけですが、いま無人偵察機などを使った機械化師団になっている。アメリカから協力を言われたらノーと言う日本の企業とか研究所も、自衛隊から言われたらどうなのか。これはちょっと微妙なところがあると思います。
最後の表4は、どういうふうに日本の技術とか産業がアメリカに取り込まれているのかを整理したものです。
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