原告のこれまでの主張、特に8頁の杉原説と11頁を熟読下されば、この項は不用とも言えるのであるが、現在の制度としての付随的違憲審査を考慮して、これまでの主張の立場から具体的(私的)な事柄を少々、主張することにする。
しかし、付随的違憲審査制度、裁判所の判断基準・準則等々については、大いに異論があり、現行制度に心服してしているわけではない。「争訟性・権利性」をどんなに証明したところで、判断基準が前近代的であれば、現代的権利は正当に判断されない。どんな貴重な原石が発掘されても、高度な精錬・加工の技術が伴わなければ原石の有効利用に直結しないのと同じである。
「権利性の主張」と「審査制度」は一体不可分である。「準備書面(6)」にて詳述、主張する。
1.恐怖と不安な日々。
1)被告は積極的にイラク侵略戦争に加担した。その結果として、5人の日本人が殺害された。その内の一人はあまりにも人権無視の政治的発言によって、首を切断され他国の国旗(憎しみの象徴)に巻かれて遺棄された。他の4人の方々の家族、親族を含めて心情や如何にと、哀悼情に耐えない。
この悲痛な死は「明日は我が身」でもありえる惨劇である。なぜなら、「報復対象国」として武装抵抗組織が日本を名指ししたからである。スペインの列車転覆事件を引用するまでもなく恐怖は実在するのである。
これは、原告の被害妄想ではない。その証左として、日本の公安当局や関連省庁、交通諸機関等は、通称「テロ警戒態勢」に膨大な経費を使い、また、何万何千という通達、指令の書類を発行した事実は裁判所も認めるところと思われる。
被告の政策(違憲行為・平和的生存権の侵害)が社会不安を生み、原告は「生活に恐怖・不安」と「他人を見たらテロリストと疑え」の人間不信、猜疑心を強制されて日々を暮らさなければならない。平和の内に暮らしているとは到底言い難い。
被告は準備書面(1)の3〜4頁において「イラク人道復興支援特措法に基づく自衛隊のイラク派遣は、原告に向けられたものではないし、そもそも原告の具体的な権利義務ないし法律関係に対し、何らの影響を及ぼすものでないから、----」と却下を主張している。これは、「空港の警戒態勢や公安当局の指示は無視しろ」と裁判所を通して宣言していることに等しい。なぜなら、イラク特措法は原告に向けられたものでないから、イラク特措法からの波及効果にも何の法律関係を及ぼさなくてよいのである。被告の答弁を素直に解釈すれば、結論はこうなる。原告がテロ警戒を無視して検閲突破で逮捕されたときには答弁書の理屈で、被告側代理人は原告を釈放する自信が有りや無しやと求釈明したい。
「イラク特措法⇒自衛隊派遣」・「報復対象国家の指名」・「現況の社会不安・生活不安」この3点の因果関係は明瞭であり、原告は報復対象国の国民である。
2)将来的不安な日々についても、権利侵害と考えている。
被告は準備書面(1)4頁において「裁判所は----将来を予想して憲法及びその他の法律命令等の解釈に対して存在する疑義論争に関し抽象的な判断を下すごとき権限を行い得るものではなく」と、以下「特定の者の具体的な法律関係」の判例(昭和27年[1952年])を引用している。なんと53年前の判決である。これは、時代感覚からも、本件の事件性からも逃避した卑怯で時代錯誤の主張である。
既に引用した、長沼ナイキ基地訴訟の第一審判決(1973年)で、「一朝有事の際」を想定している。さらに、近年は原子力発電所に関して建設の差し止めが認められている。「将来を予想」する判決は存在するし、法として当然の機能である。
本件での不安は、「戦争できる国造りに邁進している」ことである。
- ア)湾岸戦争への戦費135億ドル?(最終)の支出、掃海艇の派遣等は事実が記録されたが、その内容の意義についての国会論議は無いに等しく結論は国民に明らかにされてはいない。乳児院の虐殺、水鳥と重油等のプロパガンダ−が明らかになり、米国の侵略事前承認説まであるというのにである。この段階で、国際紛争を武力で解決することを支援することは「是」とされ、憲法の理念は「国際貢献」と引替えにお蔵にしまい込まれてしまった。
イ)お蔵のお荷物「理念」をチラチラ気にしながら「PKO参加5原則(*)」の張り子の平和像を創り、門外不出の自衛隊を怪しげな外地へと送ることにより、自衛隊の渡航の自由を国民に印象付けた。
PKOそのものが、国連憲章規定になく、しかも、関係当事者国は関わらないと言う原則も変節しているPK0への参加である。なぜ、張り子の平和像か、敵前逃亡を「可」とするような非現実的な内容と、「原則を守る、憲法を担保」と言っても監視人無し、担保評価人不存在であった。「怪しげな外地」とは、国連に於ける二重規準が派遣地域の状況を規定付け、それが真実の如く固定観念化していたからである。カンボジア、ゴラン高原いずれの地域も中立、当事者の同意等問題山積であった。
(*)「参加5原則」⇒1 停戦の合意、2 紛争当事者の受入れの同意、3 国連平和維持活動の中立の厳守、4 以上の@ないし 5 の原則のいずれかが満たされない状況が生じたときの自衛隊の撤収、6 自衛のため最小限の武器使用。
ウ)これらの下準備の後に、さて、「テロ特措法」「イラク特措法」「多国籍軍参加」である。お蔵の「お荷物」はどうしょう?お蔵に鍵をかけてあまり気にしないように、新しい荷物をお蔵の前に積み上げよう!と被告は考えたと思われる。
「北朝鮮の核、ミサイル脅威」「拉致問題、不埒な北朝鮮」「日米同盟堅持⇒極東条項なんのその」「人道復興援助」「国連常任理事国加盟」、新しい集荷物は見栄えがする--?荷物に髑髏の絵を貼ったら、もっと見栄えがするぞ!
日本は、自衛権があるとしても、武力によらない自衛権しか認められないはずである。お蔵のお荷物ならぬ「お宝」の憲法理念によってこそ種々の国際問題を解決しなければならない。原告等が、国民主権の行使の一環としてお蔵のお宝を公にしない限り、このままでは戦禍の国になることは必定と思い心が痛く、平和ではない。
なんと場違いに、落語の彦六師匠を思い出してしまった。
弟子「ちエ、正月の餅に青黴が生えた、なぜでしょうねエ−」
師匠「ばかやろ−、早く喰わね−からだ。」
今、憲法の理念に基づいた行動をとらない限り現在の平和憲法は黴びてしまい、価値を失い、我々は戦乱の渦に飲み込まれる不安で一杯である。
2.魂の苦痛。
1)これまでの判例では、平和的生存権が侵害された精神的苦痛を表層的に「人権を処世術の範疇にしか判断していない」。
被告曰く、「自衛隊派遣による原告らの苦痛は、自らの信条、憲法解釈に反することによる公憤、義憤、憤慨の情、不快感、挫折感等で、多数決原理に不可避的に伴うもので法的保護に値しない」(掃海艇事件東京地裁判決H8.5.10)。
上記判決文のアンダ−ラインの部分については、既に「多数決原理は、民主主義の擬制であり、少数者の権利を放棄して良いものではない」と反論した。
このアンダ−ラインの文言を除去した判決文は、漱石の『草枕』の世界だ。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」「----どこへ越しても住みにくいと悟ったとき、詩がうまれ、畫ができる。」漱石は暢気で平和だが、判決文は物騒である。「多数決原理に不可避的に伴う」ものと悟って、人を殺そうが、自分が殺されようと、個人はツベコベ言うなと突き放している。この態度は、日本国憲法の下で法理を語る資格はない。
2)“魂の苦痛”は、我ながらちょっと、キザな感がなくもないのだが、日常の喜怒哀楽よりも、より深く人間の内奥からの叫びと言う意味を述べたいのである。
魂の苦痛を超えて、これぞ平和的生存権を意識した生き方であると感銘を与えてくれる人々がいるので紹介したい。
昨年の3月19日に『われらの悲しみを平和への一歩に』という著書が岩波書店から出版された。内容は「9.11同時多発テロで肉親を失った100以上の家族によって構成されている[ピ−スフル・トゥモロウズ]。彼らは、報復や戦争ではなく平和的な解決を模索・提案する。思想的背景も、年齢も家族構成も異なる多様な人びとが、困難な状況下、時には迷い、論争しまた資金難にあえぎながらも、いかにグル−プを結成し、どのような活動をしていったか、その最初の一年半の試行錯誤を克明に綴った希望のドキュメンタリ−。」(同著、表紙見開き部分ヨリ)である。
彼らの行動と思考は驚くばかりである。「愛する家族の死を戦争の口実に使わないでほしい----」とアフガニスタン侵攻に抗議すると共に同国を訪問して、事件に何の関係もない肉親を奪われた悲しみを語り合う。続いて同じ理由でイラクを訪問する。なおも、日本のヒバクシャを米国に迎え(2002.4)、8月には広島にも来日している。この時のことを彼らのニュ−スレタ−は「わたしは日本にやって来た。すなわち一つのグランド・ゼロ<ニュ−ヨ−ク市ロワ−・マンハッタン>から第二のグランド・ゼロ<アフガニスタン>に、そして今私はグランド・ゼロの原点にやってきた。----わたしはわたしの意識に、次々に残虐行為を付け加えてきた。だがその結果、わたしはますます同胞の人間に、さまざまな挑発行為に対して非暴力的対応を真剣に考えて欲しいと懇願するようになった。わたしたちは、必然的に自滅に至るような道を、歩み続けることはできないのである。」と書き記している。
彼らが、平和的生存権という権利を承知か否かは知る由もないが、彼らの「人権尊重」の行動こそ平和的生存権の実践であると思われ、尊敬せずにはいられない。彼らの感動的生き方を思い、日本政府の政策を思う時、原告は激しい怒りをも含む魂の苦痛を感じる。
3)「お前はどんな犠牲、被害をうけたのかね?」との被告の声が聞こえてきそうである。幸いにして現在は物理的被害は些細である。そして、被害者であるなしに関わらず原告には他人に感動、感銘を与えるような発言や行動は無理である。しかし、人間としての感受性は人並みに持ち合わせているつもりである。人間が好きで、人間を愛しているとも断言できる。
「愛する家族の死を、戦争の口実に使わないで」という家族がいる、憎しみの象徴の他国の国旗に包まれた同胞の死がある。これらの現実に対して、魂の苦痛を訴えることは「法的保護に値せず、本人又は身内の生け贄(犠牲者)」を要求されることなのだろうか。そんなことはあってならないことである。
原告の“魂の苦痛”は二重の意味を持っている。
その一つは人格である。崇高な行動に感激し、優れた芸術に接したときの喜び、これらの人間性が、イラク侵略加担によって、ずたずたになり、平静を保つのが困難なほどである。
次に原告は、天賦人権論に依らない。近代国家は憲法によって権利は付与されるものである。であるにも関わらず違憲行為が不遜な態度で闊歩することは許し難い。
因みに原告は『権利のための闘争』イエ−リン著村上淳一訳 岩波文庫を愛読するものである。
4)最後に、平和的生存権とは「斯くあるものだ」という2篇の詩を引用して終わる。
- 前掲の著書の第8章に峠三吉の詩が載っているのには吃驚した。出版社の編集時点で掲載なのか?、[ピ−スフル・トゥマロウズ]の実感なのだろうか?
原告は、『長崎の鐘』永井隆著(長崎医科大学教授)や『人間襤褸』太田洋子著等を連想し「温故知新」の思いである。
ちちをかえせははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえっせわたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんのにんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわをへいわをかえせ
(峠三吉『原爆詩集』1951年)
- 戦没学生の手記『きけわだつみのこえ』はご承知の如く、戦時中、戦争にたいして懐疑し、内省し、短い生涯をいかに充実させるかに悩み苦闘した痛ましい魂の記録である。この著の序文の末尾にジャン=タルジュ−の詩を渡辺一夫東京大学教授が訳しいる。(1949)
死んだ人々は、還ってこない以上、
生き残った人々は、何が判ればいい?
死んだ人々には、慨(ナゲク)く術(スベ)もない以上、
生き残った人々は、誰のこと、何を、慨いたらいい?
死んだ人々は、もはや黙って居られぬ以上、
生き残った人々は沈黙を守るべきなのか?
以上
【「】終わりに(審理の継続を願って)
原告は、裁判所を信頼しているからこそ、提訴を行った。しかし、幾分かの不信があるのも事実である。人証、書証の採用をせず、後の準備書面を審理することなく結審されるのではないかとの不安である。
「納税者基本権」については、「歳入・歳出分離論」が如何に法と民衆の乖離を増長させるものかを主張したい。立憲主義において法と民衆の乖離は決定的な悪影響を生み出すと思う。
「違憲審査制度」についても、原告は「発動」されてきていると考えている。しかし、限界のある部品を限界を超える加重で使用することは危険で、自動車部品であるならばリコ−ルの対象である。付随的違憲審査制度の長所と限界を、現実の社会に適応させる術を司法と有権者は探求せねばならないと考えている。素人の発想にも是非、耳を傾けて頂きたい。
原告の尊敬する門田實裁判長(松川事件仙台高裁)は、かつて、「裁判官は、世の中の雑音に耳をかすべきではないと言われたが、裁判官も人の子、新聞雑誌の記事(松川事件関係)は目を通すことにしていた」と回想されていたと記憶する。原告は今、証拠について厳選中である。本件については、多くの報道があり、情報の摂取は十分で有ると思われる。諸賢の裁判官に月並みな証拠は煩瑣なだけではないか。毎回長い準備書面を読んでもらった負い目もあって慎重にならざるを得ないが、近日提出予定である。