【追震災体験3】 95/ 1/20 22:26


あの日々を思い出すことから 次の五年へ歩むため
この文章は神戸市長田区で私が被災した体験を、
震災直後から発信してきた文章にコメントを付加して
「追震災体験」と題して5年後の同日に再発表していくものです。
下記各メーリングリストとマスコミ関連そして私のWebページ
に公表していきますが、転載も歓迎します。ぜひ転載してください。
● mlx 震災復興メーリングリスト http://www.kitanet.com/ML.html
● Kobe-trial メーリングリスト
● aml オルタナティブ運動情報メーリングリスト
http://www.jca.apc.org/~toshi/aml/intro.html
とーちのページ http://toach.org/


 生きてます。3<とーち>

 
 どうも、NIFTYの神戸APは稼動していないみたいで、つながりません。
当分PC−VANにのみUPしますので、転載をお願いします。
 また、現地住民としての、マスコミへの意見なども織り混ぜますので、マスコ
ミ方面へも私のMSGを伝えてもらえれば嬉しい。(文章を推敲している間がな
いので、かきっぱなしですが、手直し等、してもらってかまいません)

 マスコミでは、ある一面を強調して伝えてしまう傾向があるようで、今は悲惨
さを強調する時期のようです。しかし、現場はさまざまな人々が、さまざまな立
場からいりみだれて行動しているのが現状です。
 悲惨な状況がまだまだ進行している傍らで、すでに復興に向けて動きだしてい
るのも事実です。カメラアングルを気にして、焼け野原だけがカメラに入るよう
にアナウンサーがしゃべっていたりしますが、カメラを180度パンすれば、そ
こには国道を追い出された車が列になっており、自転車にのって買い出しにでか
ける人々が続いているのです。

 今日、長田、兵庫のかなりの部分で電気が通じました。これにより、各地でスー
パーや商店が営業を始めたようです。スーパーが通常の売り方をするためには、
レジが不可欠で(最近、値札も付いてませんから)あるため、電気によってやっ
と販売が可能になった様子です。
 誰の役にたつかよくわかりませんが、私が見た、これまでの販売状況を書いて
みます。
ジャスコ長田店:18日にすでに、電池と1000円パック(菓子とウェットティッ
シュ、1.5リットルジュースなどの組み合わせ)などを販売していました。1
9日には、500円パックに値下げして(^^)、紙おむつ等も販売しています。店
内は真っ暗なままですから、店の前での販売です。
関西スーパー兵庫駅前店:20日、2階あるうち、1階のみで通常の販売をして
いました。カセットコンロのボンベやトイレットペーパーなどニーズにあった商
品を揃えていました。
 こういった販売情報は、私達にはとても重要なのですが、報道はまったくあり
ませんでした。20日の夜にやっと始まったようですが。

 報道についていえば、生情報が欲しい。「水道の完全復帰には相当の期間が必
要なようです。」こんなのが情報と呼べるでしょうか。これではなにもいってい
ないのと同じです。こんな下らない情報がデマを誘発するのです。完全に復帰な
どしなくていいのだ。とりあえず、チョロチョロでも水が出ればいい。段階的に
直すというのなら、海抜の低いところからするといったことや、なにが原因で今
は修復期間がはっきりさせられないのか、など、正直な現状をそのまま報道して
欲しいわけです。理由がはっきりすれば、人は待てます。理由もなしに相当の期
間などとごまかされて、おとなしくしている全体主義的国民にまで私達はおちぶ
れてはいない。
 そういった生情報を引き出すのがマスコミの使命じゃないか。いいかげんな情
報を右から左に流していて、情けなくないのか。

 あと、神戸鉄道の港川駅から上にのびる商店街は部分的に販売を始めていまし
た。たまご、ほうれんそう、つけもの、くだものなど、けっこう様々なものがそ
ろいます。
 また、JR新長田駅の南側に広がる商店街群では、この界隈のメインストリー
トである大正筋は全焼してしまいましたが、六軒道はのこっていて、野菜や果物
などの販売が始まっています。
 とおりがかりに聞いた話しでは、神戸中央市場では部分的に商品が入ってきて
いるとのことなので、今後、こういった流通ルートは充足していくと思われます。

 驚くべきことは、私が見た限り、こういった商店の値段がまったく上がってい
ないことです。かえって安いくらいです。これはすばらしい。関西の本当の商売
人の感性からいってこれは当然のことなのですが、それが失われていないことは、
うれしいことです。

 今のところ、不足しているものといえば、水を汲むためのポリ容器などでしょ
うか。神戸では、結局去年も断水にならずじまいだったので、通常の家庭では水
用のためおき容器が普及していないのです。そういう私も、キャンプ用のものは
ありますが、キャンプと日常生活ではやはり量がちがってくるでしょう。今は節
約しているので大丈夫ですが、長期となると苦しいかもしれません。
 家が残って、電気も来ているという、長田にあっては恵まれた環境にあっての
ぜいたくな悩みかもしれませんが、今、肉体的に一番つらいのはあたまがかゆい
ことです。(^^;)

 話しは飛びますが、倒壊した高速道路のことが大きく報道されていますが、私
の家の近くの阪神高速神戸線の港川インターの降り口は途中から倒壊しています。
また2号線の上を走る阪神高速の柱は2/3くらいが、上から1/3くらいの部
分の回りのコンクリートが弾き飛んで、外周を囲んで縦に走る鉄骨が樽型にゆが
んでいます。この柱はつくりなおさなければならないでしょうから、このあたり
はほとんど作り直すことになるわけでしょう。

 軽い冗談ですが、複数の人から聞いた、ここにいる人々にはとても納得のいく
話し。海に空港つくったり、あんなごつい橋作ったりするから、海の神さんが怒
ったんや。な、あそこに断層が走っとんてんやろ。

 壊れたスーパーにどろぼうが入った、という話しもありますが、本当にみんな
助け合って生きている、という感じです。列にならんでいたら、あっちのほうが
早いよ、と教えてくれたり、開いているスーパーを教えてくれたり、知り合いや
親戚はもちろん、それこそ袖触れただけの人からもそういったやさしさを受け取
ったりします。人間とは不思議なもんで、そのようにやさしくしてもらうと、別
の人にでもやさしさを返さずにはおれなくなるものです。火の回りも速かったが、
やさしさが広がるのも速かったのかも知れません。
 不必要な買い占めなども、私が知る限りありません。実に整然としています。
あるスーパーでは、一人何個まで、という制限を付けていたのが、事情があって
1時間後に再度いくと制限が取れていたりします。でもむやみに買う人はいませ
ん。これには感心しました。
 もちろん、すばらしい光景ばかりではありません。救援物の配分などでのトラ
ブルはありました。しかし、私はこれをそこにいた人々の問題とは思えません。
とうてい足りない救援物の量、次の予定をしっかりと伝えられない(何度もいう
が、分からなければ、どう分からないかといった理由がしっかりしていれば人は
納得できるものだ。ちゃんとした情報がしっかりあればトラブルは防げる)側に
問題はあるのです。

 ちょっと、気の早い話しかもしれませんが、気になることを少し。
 古い木造家屋をつぶして新しい家を建てたい、というのは神戸市の昔からの希
望であったと私には感じられています。そのこと自体、悪いこととは思いません
が、往々にして、新しい住宅は建ち、元々住んでいた人々は段階的家賃などで優
遇されているようで、いつのまにか払いきれなくなり困窮していく。そういった
ケースがあったと聞いています。
 木造家屋に住んでいた人々は、老いてはいても地域のなかでそれぞれの役割を
生き、「暮らし」を築いてきた人々です。そのような人々のつながりを断絶しハ
コに押し込めるようなサイカイハツはしてほしくない。
 また、当然そこで予想される汚職や賄賂といった行為があるかと思うと今から
イヤになります。復興の過程の監視をしっかり行って欲しい、と思うのです。ま
た、冗談でも、この地震でXXの株が上がるなーというような発想をしてほしく
ない。その発想は、やはりどう考えても経済に邁進しすぎたこの国の愚かさを表
しているとしか思えないのです。
 この焼け野原に愚かな墓標を建てるようなことにならないよう、注視してくだ
さい。
<とーち>

このメッセージで4日目なのですが、これを書いていたころはもっと時間が経
っていたような感触が残っています。電気のない夜も二晩だけなのですが、もっ
と長かったような気がしています。おそらく、この4日間でほぼ、「生き延び
た」ことに気づいたからだと思います。
もちろん、私は住居が現存していて怪我もほとんどない「まし」な状態だった
のですが、それでも恐怖がありました。

(前回から続く)
小栗虫太郎、海野十三など戦前のSF小説などをよく読むのですが、そこには上
海がごく自然に日本の一部のように出て来たりしてびっくりさせられます。震災
の数年前に逝った私の父は大正生まれでしたが、よく「戦争はよくない、とみん
ないうが、戦前はみんな戦争の恩恵を受けていた。軍部だけが勝手に戦争に駆り
立てたわけではない」といっていました。戦前の小説にはその雰囲気がよく出て
います。例外はあるにしろ、多くの人々が侵略の報酬をなんらかの形で受けて、
「良い」時代を過ごしていたのです。その時代があってこそ、その後の戦争への
道が理解できるような気がします。
そしてその当時はそういった繁栄は、欧州のように「強い国」にとって当然の
行為だったと思われていたのだと感じます。そして日本はその中で地位を占めた
かった。当時はどの国もやっていたことだ、なにが悪いのだ、という見解は今で
も聞かれますが、同じだからこそ悪い、と言いたいと思います。多くの異なる点
はありますが、なによりアジアの一員として欧州の思想とは異なる繁栄をこそ、
日本は行うべきでした。
(続く)

  
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とーち(奥野 律也) toach@e-mail.ne.jp
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