【追震災体験8】ジュラシックパーク 95/ 1/27 11:28


あの日々を思い出すことから 次の五年へ歩むため
この文章は神戸市長田区で私が被災した体験を、
震災直後から発信してきた文章にコメントを付加して
「追震災体験」と題して5年後の同日に再発表していくものです。
下記各メーリングリストとマスコミ関連そして私のWebページ
に公表していきますが、転載も歓迎します。ぜひ転載してください。
● mlx 震災復興メーリングリスト http://www.kitanet.com/ML.html
● Kobe-trial メーリングリスト
● aml オルタナティブ運動情報メーリングリスト
http://www.jca.apc.org/~toshi/aml/intro.html
とーちのページ http://toach.org/


 生きてます。8<とーち>

 26日に大阪にある会社まで「通勤」してきました。
 7時ごろ、夜明けとともに、長田区を出て、自転車で阪神青木まで向かいまし
た。ほぼ1時間20分ほどで着き、電車もまだすいてました。
 どうも、この日から複々線で運行できたようすで、特急まで走っていましたの
で、結局会社まで2時間半ほどでたどりつくことができました。
 帰りの青木から三宮へのバスは2時間待ちとアナウンスしていましたから(1
8:30ごろ)、私の方法はおそらく長田・大阪を結ぶ最速の方法ではなかった
かと思います。しかし、青木までの道のりはちょっと毎日走るのはきつそうです。
(^^;)

 結局、仕事は、できることを在宅でさせてもらい、どうしても必要なときに出
社する形にしてもらいました。給与とかがどうなるかなんてはまったく白紙です
が。

 自転車で走っていて、行き帰りに感じるのは車の渋滞のすごさです。43号線
と2号線を主に走ってきたのですが、よく見てみるとマイカーは確かにほとんど
ありません。で、道路があちこちで工事のためにせばめられていますので、この
渋滞はどうしようもないものになってしまっているのですね。

 私が見た限りでは、御影の南あたりの阪神高速の解体のせいで43号線が片側
1車線になっているのがいちばん影響が大きそうなので、それらがすめばだいぶ
ましになってくるとは思うのですが。それにしても、この工事現場が夜、こうこ
うと照明に照らされて、何十台のパワーシャベルが動き回るさまは、圧巻でした。
なんというか、文明のもろさと、力強さが共存しているような光景で、なんだか、
ジュラシックパークを思い出してしまいました。

 自衛隊が医療車(というのかな)を提供したというのをTVでみました。手術
もできる本格的なものです。風呂といい、この医療車といい、やはり自衛隊だけ
の装備はあるんだなぁ、と感心してしまいます。
 しかし、気になるのは、もちょっと早く用意してもらえなかったのか、という
ことと自衛隊がこういう装備を持っていることを、私達がまったく知らなかった
(知らされなかった)ことです。とくにマスコミには、自衛隊に風呂を提供でき
る装備があることを知っている人もいるんでしょうから、そういったことを報道
してほしい。いまからでも遅くないから、自衛隊の装備で今回の役にたちそうな
ものを知らせてほしいですね。
<とーち>

(前々々回から続く)
江戸時代の農業や治水のシステムがよくできていた、という話をよく聞きます。
そういった面では当時の日本にはある種の「理」(ことわり)というのでしょうか、
トップダウンではなくボトムアップの生活の中の秩序のようなものがあったよう
な気がします。
やはり、明治が転換期になっているように思えます。日清日露から今の日本ま
で同じ流れをたどっているように思うのです。その一つはやはり欧米においつこ
うとすることだと思えます。そして悪いことに、他のアジア諸国の一部の人々に
は「欧米化が成功したアジアの国」と見られている面が感じられ、やりきれない
気持ちがします。
しかし、もういい。
アジアにはアジアの、日本には日本の「理」を取り戻すときがきていると思い
ます。
(続く)

  
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とーち(奥野 律也) toach@e-mail.ne.jp
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