- 挨拶と経過報告 (丸浜)
1月後半 数人で署名活動開始
2月17日 都庁で第一回記者会見(署名3241筆)
2月18日 都教委と会見
2月25日 都議会へ陳情書提出
3月16日 都庁で第二回記者会見
(署名5774筆 賛同保護者のいる都立学校7
8校)
3月17日 都議会文教委員会で陳情審議
3月31日 外国人記者クラブで記者会見
(署名7500筆 賛同保護者のいる都立学校85校)
4月4日 交流会 この席で本日の集会決定
4月23日 都庁で第三回記者会見
運動の中でどんどん出会いが広がっていった
- 一人5分間での発表
1)養護学校保護者
スロープがあったにもかかわらず、様々な努力で感動的な式はできた。
舞台へのスロープは70数万円かかったと聞いていた。後でリースだとわかった。
入学式にはそのスロープはなかった。
2)養護学校教員
2002年春、自作のブラウスを着て式に出席し、戒告処分を受けた。
今回は悩んだが、やはり起立しなかったら、減給処分を受けた。
「良心の抵抗」は権利。
3)教員(音楽)
3月まで国立市
希望していなかったが、この4月に異動させられた
伴奏を拒否してきた
この春には胃から大量出血し、入院した
身体は正直
4)都立高校卒業生
民族学校で6年間教育を受けた後、都立高校入学
不安だったが、いじめられることなく、人気者
楽しい高校生活をおくった。
卒業式ではチマチョゴリを着た。一番自分らしい。
友達や保護者の方からもすてきだとほめられた
5)高校教員
3月まで教員。
4月から嘱託が決まっていたのに、取り消された
武道を続けてきており、従来はずっと君が代は歌ってきた
戦争中2歳のときに、母の背中で焼夷弾によりやけど
生きていられたことをありがたく思う
- ザ・ニュースペーパーによるコント
出演者は二人
演目は「悩める高校教師」「ニセ小泉首相」の2本でそれぞれ独演
- {ニセ小泉首相は、メーキャップや髪型、振る舞いすべてにおいて本当によく特徴をつかんでいる。まるで本物のよう。大笑いしながらも、やるせなさを感じた}
- 事情聴取の状況と予防裁判について (加藤文也さん)
都立F高校の校長の昨年の卒業式メッセージ紹介
- {私はちょうど息子の卒業式でこのメッセージを聞いた。元々座るつもりでいたが、これを聞いたあとだったのでより抵抗なく座れたことを思い出した。なぜ、このようなメッセージまで中止させられなければならないのか、改めて怒りを感じた}
- 憲法学者と教育学者のアピールについて (俵義文さん)
「つくる会」の主張:
(この教科書を)感銘して受け入れる教師、保護者をつくっていく
「心のノート」の提唱者:学校から社会を変革していく
- {無理やりに押し付けるのではなく、感激して受け入れていく土壌を作ろうとしていると聞いて、そこまで考えているのかと身震いしてしまった。あなどってはいられない}
- 休 憩
- 一人5分での意見発表
1)小学校教員
人権救済申し立て
特に音楽の先生が多い
自分はまちがていない。正しいのに・・・・・できないと悩む
2)都立高校保護者
生徒の卒業式関係委員が校長に3点申し入れたが拒否された
(1)日の丸を三脚たてに
(2)内心の自由のアナウンス
(3)来賓はフロアに
そこで、3年生のPTA学年委員会で話し合い、保護者にアンケートをとった
総会成立できる人数の賛同が得られたので、委員会として改めて校長に
生徒の要望を受け入れるよう申し入れたが拒否された
校長の言葉「一番偉いのは都議さん」
- {PTAとしてこの問題に正面から取り組んでいるところもあるのかと感心した。私の娘も都立高校だが、そのような話題はまったく話せる状況ではなさそうで最初からPTAに関わろうとは考えもしなかった。保護者の横のつながりをどうとるか?}
- 3)(シンガポール紙特派員 は 高熱で欠席)
4)海外紙(イギリス)特派員
外国の記者による関心は高い
様々な国で記事になっている
イタリアの新聞の見出し 「日本の学校の先生は歌わないと職を失う」
5)高校生<国連で日本の子どもたちの状況を報告>
国立の小学校の卒業生
それまで生徒が主体の卒業式
あきらめずに、国連に訴えたら、ちゃんと訴えを取り入れた勧告がでた
- お話 (西原博史さん)
君が代強制は各地であり
1990年代にはすでに北九州市であり → こころ裁判
7月に法廷で証言予定 裁判長はあの小泉靖国参拝違憲判決をだした人
広島 2001年 100人以上処分 2004年 処分なし? 実態は?
裁判はひとつの手段としては有効だろう
- {東京だけの問題ではないという指摘は、ごく当然なのだが改めてはっとさせられた。広島では今はどうなっているのだろう?いろいろな方法で運動していこうという提起には素直にうなづけた}
- 歌 (定塚才恵子さん)
2000.3. PTA会長として小学校の卒業式で挨拶の代わりに自作の歌を歌った
校長からは批判された
- {2曲歌われた。2曲めが卒業式でのもの。生まれてきたときのことからを思い出して、ありがとう というもの。歌いはじめられたとたんに私の心にひびき、涙が次から次へと流れ出た。歌ってすごい!この歌を聴けただけでも、参加した甲斐があった。またぜひ聴きたい}
- メッセージ紹介
省略
- 集会決議
朗読の上、拍手で採択