東京都教育委員会御中

2005年7月26日

要請書

都立盲・ろう・養護学校で、
扶桑社版、歴史、および、公民教科書を、
絶対に採択しないでください。

学校に自由の風を!ネットワーク

 私たちは「学校に自由の風を!ネットワーク」に参加している保護者や、市民です。私たちの多くは、都立学校、公立小中学校、私立学校に子どもを通わせており、東京都教育委員会による 都立盲・ろう・養護学校、および都立中高一貫校での教科書採択について深い関心を持ち、扶桑社版が採択されるのではないかと憂慮しております。

 2001年8月の教科書採択から4年がすぎ、再び採択の季節が巡ってきました。

4年前には、東京都教育委員会は、病弱養護学校と青鳥養護学校梅が丘分室で使用する社会科教科書に扶桑社版のものを採択し、その理由を、扶桑社版の教科書は最も「わが国の歴史に対する愛情を深める内容」になっていたからだと発表しました。

先の戦争を「大東亜戦争」と呼び、日本軍の攻撃という歴史的な事実を時には「快進撃」などと情緒的かつロマンチックに表現する点において、扶桑社版の歴史教科書は他社のものに比べてきわだって特異なものと思われました。
このような特異さが「わが国の歴史に対する愛情を深める」ものだと教育委員の方々は判断なさったのでしょうか。

南京大虐殺については、犠牲者の数が中国や東京裁判その他の研究によってまちまちであることを理由にして「実態について疑問点が出されている」として、「南京大虐殺」は歴史的事実ではないかのような記述を行いました。

しかし、犠牲者の数が30万人でなく15万人なら、あるいは4万2千人なら、それは大虐殺ではないのでしょうか。戦争などしなければ死ぬことがなかったひとりひとりの命についての想像力をもたずに過去を見るだけで、果たして本当に歴史を学び未来に生かすことになるのでしょうか。


戦争をすることを肯定し美化し、そこで失われるひとりひとりの命はあくまで軽く数えられるかと思えば、時には「国を愛する」ために失われた尊い犠牲として美化される、その点において際立っているのが、2001年に採択された扶桑社版の歴史教科書でした。

公民教科書もまた、扶桑社版では、大日本帝国憲法を大きく取上げ、国際情勢の変化と軍部の介入によって戦時体制が整えられてしまったために「立憲政治の理想」は実現されなかった、と述べ、そうでなければ大日本帝国憲法のもとでこそ「理想」は実現されるはずであった、としか読み取れないような説明が行われています。その上で日本国憲法の成立について疑問を述べ、改正の手続きについて説明しているのです。現憲法を否定し、帝国憲法に回帰するのが当然である、と読み取れてしまう構成になっています。

しかし、大日本帝国憲法の下では、人々は「臣民」と定められていました。
臣民とは何でしょうか。天皇の家来、という意味にほかなりません。お国ために命を失うことを名誉だと思うしかない、それが「臣民」の意味するところだったのではないのでしょうか。
 
今回の採択の対象になっている教科書も、その記述の背景にある視点・論点は全く同様で、何の改善も認められません。

養護学校に通う子どもたちは、兵隊になって戦うことはできません。
平和の尊さと命の重さを私たちに伝えてくれる存在です。
どの子どもたちも、おとなたちも、誰の家来でもなく、ひとりひとりが自らの命の主人であるはずです。

平和な日本を愛し、これからも平和であり続けるためにどうすればよいかを、歴史から学び社会を見据えるために、最も適した教科書を採択されることを心から願い、要請します。


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