《「日の丸・君が代」強制施策と「服務事故再発防止研修」の
取りやめを求める要請書≫
に賛同していただいた方からのメール紹介


醍醐 聰さん(東京大学教授)
 「思想、良心の自由」を「内心の自由」と言い換え、「思想、良心はそれが内心に留まるかぎりは絶対的に保証されけれども、外部的行為となって現れる場合には制約を受ける」という議論があります(下記の有馬文部大臣答弁参照)
 しかし、後者の限定説を敷衍すれば、私達大学教員も、ある思想を伴った学説を内心に留めるのは自由だけれども、それを講義の場で学生に語りかけたり、講演で語ったりする、さらには活字で表現するといった「外部的行為」に転じた場合は制約を受けるということになりかねません。しかし、思想、良心の自由はそれを表現する(起立しない、歌わないという不作為も含めて)自由を伴わなければ、空疎なものとなるのは自明です。
 以上のような意味から、私は今回の「日の丸・君が代」強制施策と「服務事故再発防止研修」なるものをわが事とも受けとめて、取り止めを求める要望に賛同します。

  • 山元委員 これはやはりどぎつい思いがあるわけですね、今の局長の言葉で言うと、すべての学校に必ずというような言葉ですから。私はやはり、先ほどから申し上げていますように、それぞれの内心や良心の自由、民族観あるいは宗教観にさまざまな思いもあるように、そのどぎつく考えるということについては、ぜひ文部省、改めてもらいたい。これから現場の指導については、そういうニュアンスを大事にしていただきたいというふうに思います。
     そこで、今もちょっとありましたけれども、「指導するものとする」、児童生徒の思想や良心を制約しようとするものではありませんと先ほど文部大臣もおっしゃいました。今まで繰り返していらっしゃる。そのとおりだというふうに思いますけれども、教職員についてはどうですか。教職員について、思想や良心の制約をしようとは思っていないのか、思っていらっしゃるのか。

  • 有馬国務大臣 まず、一般に、思想、良心の自由というものは、それが内心にとどまる限りにおいては絶対的に保障されなければならないと考えております。しかし、それが外部的行為となってあらわれるような場合には、一定の合理的範囲内の制約を受け得るものと考えております。
     学校において、校長の判断で学習指導要領に基づき式典を厳粛に実施するとともに、児童生徒に国旗・国歌を尊重する態度を指導する一環として児童生徒にみずから範を示すことによる教育上の効果を期待して、教員に対しても国旗に敬意を払い国歌を斉唱するよう命ずることは、学校という機関や教員の職務の特性にかんがえてみれば、社会通念上合理的な範囲内のものと考えられます。そういう点から、これを命ずることにより、教員の思想、良心の自由を制約するものではないと考えております。

衆議院内閣委員会文教委員会連絡審査会会議録
平成11年7月21日 第1号より
(衆議院ホームページへリンク)
山元勉氏は当時の内閣委員会文教委員会理事の一人(民主党)



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