人事委員会審理傍聴記

丸浜江里子

 9月28日に行なわれた卒業式第2グループの人事委員会審理にいってきました。
とても内容の濃い、本当によい会だったので、記録を書いてみました。長文ですので、時間があるときにでも読んでいただけたら嬉しいです。今後の人事委員会の審理日程も一緒にあります。ひとりでも多くの方に傍聴してほしいです。

2005年9月28日 東京都人事委員会審理の傍聴をして

2005.10.1記
丸浜江里子
(学校に自由の風を!ネットワーク)記

 2005年9月28日、人事委員会審理の傍聴をしてきました。傍聴は今回で2回目、前回は用事があり、途中退出をしたので、最初から最後まで聞いたのは今回が初めてです。前回にまけず劣らず素晴らしい陳述を聴きました。近藤徹さんが書いて下さった記録も参考に荒い記録と感想を書いてみました。全員の方のメモを子細にとったわけでないので、かなり長短があり、聞き間違い等があるかもしれませんが、間違いはご指摘下さい。

1,やっとたどり着いて
 場所は都庁第一庁舎の北(N)棟の39階人事委審理室です。この場所は、わかっていれば何のことはないのですが、慣れない者にはとてもわかりにくい。都庁の建物には都議会、第1庁舎、第2庁舎があることは知っていたのですが、第1庁舎には北と南の棟がある事を忘れて南棟の39階まで上がってしまいました。そこで尋ねて32階までおりて、また39階まで。上がったり降りたりしているうちに時間ぎりぎり。到着してやれやれでした。土地勘がなかなかつきません。
 整理券をもらい(36番)、ややあってから「傍聴は40人までですからみんな当選」という声をきき、会場に入りました。傍聴席は20人から40人に増やしたそうですが、前回と同じ会場に20席足したもので、傍聴席が埋まると、かなり手狭な印象でした。休暇を取って傍聴に来る現役の教職員もたくさん見受けられ、たいへんだと思いました。

2,審理冒頭の闘い
 この日は、04年3月卒業式Aグループで、工芸・墨田川・本所・両国・東高校の教職員の陳述で、請求人10名・代理人(教職員)4名・弁護士3人(白井弁護士、海部弁護士、杉尾弁護士)、傍聴人40名、合わせると約60名が請求人側のメンバーでした。都側は、細田弁護士、都の職員2名で、人事委員は岡田氏、もう一人(?)、書記の方というメンバー構成でした。
 校長事故報告書墨塗り問題、審査員3名出席要求、都教委指導部・人事部出席要求を弁護士から、理をつくし、明確に、はっきりと要求しましたが、それに対する答弁はのらりくらり。毎回、提起し続ける弁護士の皆様に頭が下がります。この提起は民主的手続きとは何か、都民の信託を受けるとは何か、まさに民主主義とは何かを教える提起だと感じます。法で武装すること、法でもって正当に訴えることの意味を、法曹界の人に教えられる時で、聞いている私の背筋をしゃんとさせてくれました。

3,陳述開始   11名の陳述は次のように進行しました。

「人事委員会は公正な審理を行え」(杉尾弁護士)、
「内心の自由と教育の良心を守るために」(工芸高校教員)、
「生徒の人権を否定することはできない」(工芸高校教員)、
「都知事の思想を体現することが教育公務員の仕事なのか」(工芸高校教員)、
「権力による強制は教育には馴染まない」(前墨田川高校教員退職)、
「歴史を学ぶ者としての決意の下」(前墨田川高校教員・現葛飾野高校教員)、
「戦前・戦中に犯した誤りを繰り返してはならない」(本所高校教員)、
「思想統制の道に屈服するわけにはいかない」(前本所高校教員退職)、
「正気の沙汰ではない都教委」(前両国高校退職)、
「教育者としての原点を曲げるわけにはいかない」(東高校教員)
「職を奪うは不当」(前工芸高校教員退職、)、

いずれも素晴らしい陳述で迫力がありました。記憶をたどりながら書いておきます。

4,トップバッターは杉尾弁護士
 杉尾弁護士は、東京都人事委員のホームページから、「東京都人事委員会の役割」という文書をひいて弁論されました。そこには次のように書かれています。

民主的で公正かつ能率的な人事行政を推進

 民主的で公正な施策を推進していくためには、国民全体の奉仕者である公務員の身分が、政治状況により恣意的な扱いを受けない人事制度により保障されなければなりません。
 また、行政を能率的効果的に運営していくためには、能力や業績をよりよく反映した人事制度が確立されなければなりません。
 人事委員会は、議会や知事から独立した人事行政の専門機関として、民主的で能率的効果的な行政運営を行うための人事制度を確立する役割を担っています。
 なお、人事委員会は地方公務員法により、都道府県及び政令指定都市に置くことが義務付けられています

 杉尾弁護士の陳述は、次の3つの柱で構成されていました。

  1. 「民主的」→人事委員会審理を多くの都民の皆さんに傍聴してもらえるよう、13グ  ループに分けたりせずに併合して大きな会場で審理を行って欲しいこと
  2. 「公正」→処分者側が事故報告書等の書証の全面開示をするよう人事委員会から指導  して欲しいこと
     直接の処分者である人事部・指導部の責任ある立場の者を審理の場に出席させること
  3. 能率的」→審理の遅延問題(しかもその間に処分が繰り返されていること)
     有能で意欲のある人材を教育現場から排除することの愚かさ
  • なるほど!聞きながら次のお話しに本当に納得しました。
    「能率的効果的な行政運営を行う」とあるのに、人事委員審理が1年半もかかってい て、人事委員審理がでる前に再発防止研修が命じられているのはおかしい。
  • 教育長自ら、または直接の担当者である人が、この場にきて耳を傾けて欲しい。
  • 民主的で能率的効果的な運営といいながら、有能で意欲ある教育者を教育現場から排 除するには大きな損失。

5,心打たれる陳述 ・・・何人かのお話を
 まとめて書いたところもあります

  • 3度目の担任。韓国籍の生徒やアメリカ人を父にもつ生徒が在籍している。身近な生徒の将来に不安を感じた。ここで行動しなければ後悔するという思い。上意下達の仕組み、書類作成等で、忙しくされ、煩雑な中で物を考えない状況に追い込む施策。
    ささやかな抵抗だが、この抵抗が大きな力の一部になっていると思う。

  • 国旗・国歌法の制定の時、教育現場に強制しないと小渕首相が言明したにもかかわらず、教職員のみならず、生徒の思想良心の自由を侵害している。西村しんごが「国家のために命を差し出すような人間をつくる」といったがまさにその通りの道を歩んでいるのではないか。子を持つ親として、教育者として、圧殺されてはならないと思う。

  • 1943年生まれ。父は出征し戦死公報が届いた。このような私にとって、日の丸・君が代の強制は、私の内心の自由の侵害である。「憲法を命がけで壊す」という石原都知事は人の内心の自由をおかしている。権力による強制は教育になじまない。

  • 校長が10.23通達を拡大解釈し、君が代をブラスバンドで演奏させる暴挙。生徒の内心の自由をおかしている。主幹、教頭、校長から起立を促す圧力を受け、さらに校長は不起立教員がいたら卒業を祝う会に出席しないとか、来年度の分掌を変えるという脅しをかけてきた。保護者は、卒業を祝う会に校長は出席しなくても、学年の先生がでて下さればよいといってくれたが、校長は出席し、言葉だけの脅しだったが、今日はどんないやなことがおこるかと考えながら出勤する日々であった。たいへんな人権侵害であり、戦前・戦中に犯した誤りを繰り返してはならないと考える。

  • 教頭は君が代を歌いながら、教師の間を移動し、監視、報告。
    卒業生が主役でなく、壇上の旗と君が代が主役とされた。憲法、教育基本法に違反している。教師にとっても輝かしい場所である卒業式を10.23通達は苦痛の場にかえた。私はこの通達によって、戒告処分、勧奨退職後の嘱託不採用など、あまりに大きい不利益を受けた。あまりにも理不尽である。

  • 学年339名の名前を覚え生徒理解に努め、進路指導にも尽力し、東京都の英語教育にも尽力してきた。内心の自由をおかす以外にも、基本的人権を侵して下さいというような憲法違反の通達によって、たった40秒間の抵抗が処分の対象とされた。人権無視の狂気の沙汰である。

  • 近藤指導部長は教育困難校で一緒に苦労してきた人物。通達に近藤氏の名前をみて目が点になった。あのときは同じ気持ちでなかったのと聞いてみたい。ぜひ、私の気持ちを聴いて欲しいと思う。
     私は1945年生まれ、父は中島飛行機に勤め、四ツ谷に住み、東京大空襲の経験をもち、話を聞いた。大学に入り、父に「なぜ戦争に反対しなかったの?」と聴くと、「当時はできなかった」と答えていた。教師になり、「教え子を再び戦場に送るな」という言葉を知り、体育の教師が戦前、命令に黙って従う子どもをつくっていた歴史を思い、命令と力で従わせる教師にはなるまいと考えてきた。生徒に誠実に向かうことをモットウに仕事をしてきた。
     10.23通達は話しあいも、信念も、信条も否定し、命令と権力を前面に掲げる内容。35年間の教員生活で初めて、朝の打ち合わせで有無をいわせず強制された。自分の行動をどうするかたいへん悩んだけれども、1945年という歴史の原点に生まれた私のやむにやまれぬ気持ちであり、時の権力による脅しや、権力的命令はあってはならないと考えての行動である。身分上の損失になる事に納得がいきません。

  • 職員会議の校長連絡で10.23通達を告げられた。今まで一度も受けたことのない職務命令について校長に質問した。「軍隊並みの内容で、正常なことと思いますか?」と。
    校長は何度聞いても、「公務員としての職務ですから」としか答えなかった。校長自ら納得した事とは思えない。直接、児童生徒の育成にあたるところで、あってはならないことだと思う。校長は「自分がどうこうできる物ではない」というが、処分の口実を作るために職務命令を出している。納得できなければ異議申し立てができるはず。事情聴取や弁明の機会もないまま一方的に処分は間違っている。質問したら、「自分は使いの者だ」ということで処分書をもって帰ったため、私は処分書ももらっていない。求釈明(人事委員会に文書で要求すること)で校長の出した事故報告書の開示を請求したのに開示されてもおらず、処分を証明するものは何もない。それなのに、特認の非常勤講師の道を絶たれたのは不当である。

6,陳述を聴いて

  1. 戦後の力
     ひとりひとりの話を聞きながら大部な、とても読み応えのある良質な本を読んでいるような気がしました。たいへん緊張しながら話される言葉は、教師という職を持つ普通の人が、普通の営みの中で、良心の声に従ってとった行動が、理不尽な権力によって翻弄されたことを告発していました。1943年生まれという方がいました。父の顔も知らず、戦死公報で父の死を知ったことを語っていました。1945年という歴史の原点に生まれた者として、くりかえしてはいけない決意を語った方がいました。
     戦争の記憶や、戦争を語る言葉を日常的に聴いて育った最後の世代。
    戦争の記憶が直接的、間接的に残っているからこそ、戦争を決してくり返してはいけないという記憶が鮮明に残っている世代。
    くり返さないという強い意志が日本国憲法、教育基本法に込められていることを知っている世代。居ながらにして戦後教育の歴史をふり返りながら、戦後はこういう素敵な世代を生み出すという大きな成果を生んだ時代だと感じていました。

  2. 女性の輝き
     もうひとつ感じたことは、女性の素敵さでした。日本では数少ない、男女平等の給料体系のもとで女性、男性の差別なしで働けること、教育基本法という民主的な法律があること、子どもを育てるという未来につながる知的活動の仕事であることなど、都立高校は戦後民主主義の理念にそうシステムで運営され、女性が働きやすい条件があり、対等の関係の中で男性も素敵であると感じました。労働組合活動が保障されてきたことも大きいでしょう。石原都知事は「命がけで憲法を壊す」と発言をしていますが、憲法とともに戦後民主主義の成果をこわそうとしている石原都知事と都教委、壊してしまってよいものでは決してないと強く思いました。

  3. たくさんの人に、若者に聞かせたい!
     いろんな事を感じた傍聴でしたが、教職員だけでなく、ぜひ、一般の市民に聴いてほしいと思いました。これほどの話をもったいない! 一般の人が参加できるような広報活動を幅広く展開して欲しいものです。まず知ること、知らせること。
    そしてもうひとつ。被処分者の先生達が、こんな素敵なお話を、卒業した生徒に聴かせたら大きいなあとも感じました。高校を卒業したらもう大人。遠慮せずに訴えて、一人でもよいからきて話を聞いてもらえないか、あんな素敵な話が若者に伝わることはと
    ても意味があると思います。たいへんだけれども、語ることも、伝えることも闘い。今の局面を転換するためにも、卒業生への働きかけはぜひ強めて欲しいと思います。若者もいそがしいから、余り大きな期待をせずに、「これたら来て」位のスタンスで勧めたらよいと思います。

 よいお話だったので、忘れないうちに書き留めました。市民の声として読んでいただけたらと思います。


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