◆2005年東京の
卒業式・入学式に関して
忘れてはいけないこと◆

庄村有太
(「学校に自由の風を!」ネットワーク)

 今年の東京の卒業式や入学式に関しては、学校職員62名が懲戒処分を、1名が訓告処分を受けました。停職処分などという前代未聞の処分までが出たことは、記憶に残り続けるでしょう。
 それとともに、5名の学校職員が、言論封じと呼ぶにふさわしい「厳重注意」「指導」処分を受けました。これは、生徒や子どもに対する異常な指導・人権侵害と表裏の関係にあると思います。
 都立高校の生徒が受けた仕打ちだけでも、

  • 卒業式の「君が代」のとき立っていなかった在校生に対して、副校長と主幹が事情聴取。
  • 卒業式の予行で、管理職が「声が小さい」と怒鳴り散らし、3回も「君が代」の練習をさせた。
  • 卒業式の予行の「君が代」のとき立っていなかった生徒を、管理職が呼び出して説教。
  • 管理職が、本番の「君が代」のとき立たないだろうと予想した生徒を、出席させないようにした。
  • 副校長が、卒業式の「君が代」のとき立っていなかった生徒の肩をゆすって、立つように促した。

と、挙げていくときりがありません。
 問題にし続けていかなければいけないことだと思います。
 一人の「厳重注意」処分を受けた都立高校職員が、手記を書いてくれました。以下に、紹介いたします。

◆「厳重注意」◆

 私は、ある都立定時制高校につとめる社会科の教員ですが、さる5月の連休明けに都教委に呼ばれ、指導部長から直々に「厳重注意」を受けました。「厳重注意」の理由は、私が卒業式の前の授業で、(君が代斉唱時に)起立しない、歌わない自由があると生徒に説明したことが、学習指導要領に反した不適切な指導になるからだとのことでした。

 この日、支援に駆けつけてくれた人たちが指導部長室のある都庁第2庁舎29階まで同行してくれました。しかし、廊下には十数名の指導部職員が待ちかまえていて、支援に来ていた人たちの行く手を妨害しました。私は支援者の声援に送られながら、指導部の一角にある指導部長室に入りましたが、そこにも数名の職員が部屋の奥にいた指導部長との間に立っていました。「厳重注意」なる行為は、途中で私は抗議の声をあげたのですが、ものの2、3分であっけなく終わりました。

 今年3月はじめに行われた卒業式で、私が担任をしているクラスのなかで出席していた生徒全員が君が代斉唱中に着席しました。全員といっても1学年1学級の小規模な定時制ですので、人数でいえば数名でしたが。その原因になったかどうかは分かりませんが、私は卒業式直前の授業で、生徒に憲法で保障された権利、つまり内心の自由について話をしたうえで、(繰り返しにはなりますが)卒業式で立つ、立たない、歌う、歌わないは生徒一人ひとりの判断の問題であって、強制されるものではないという趣旨の説明をしました。

 一昨年10月に都教委が出したいわゆる「10.23通達」と付属する「実施指針」なる書類によって、都立学校での入学式、卒業式において日の丸掲揚や君が代斉唱をはじめ、式の実施内容に関してあらゆる細かい部分まで都教委に干渉されるようになりました。そして、我々教職員は、君が代斉唱時に日の丸に向かって起立し、歌うことを職務命令によって強制されることになりました。さらに、昨年の後半、教育委員会から校長に新たな「指導」がされ、生徒に対して「学習指導要領に基づいて適切な指導をするよう」、つまり起立して君が代を歌うよう指導することが新たな職務命令として追加されました。

 私の職場の校長は、新たな「指導」に基づいて、内心の自由について予行で生徒に説明することも、この時期に授業で説明することも許されないと2月末の職員会議で言いました。普段の授業で内心の自由について生徒に説明するのは構わない、と付け加えましたが。なぜ、普段の授業でよくて、「この時期」にはいけないのか、何の説明もありませんでした。むろん説明できるはずもありませんが。

さて、卒業式のあと校長に呼びだされ、事前に生徒にどんな話をしたのかと問われたので、この件については逃げも隠れもする必要はないと考え、授業で説明したことを答えました。この「事情聴取」の際、校長は大変な剣幕で、まるで警察の取り調べのようで、このことはすぐに都教委に報告すると宣言しました。よほど、勘にさわったようでしたが、私はなぜこんな対応を受けなければならないのか、怒りと同時に何かとても悲しい気持ちになりました。そのあとは、だいぶあいだが開きましたが、おさだまりの都教委による聞き取り調査があり、ついには呼び出し、「厳重注意」ということになりました。

 このように都教委が教員に対して、授業の内容にまで立ち入って「厳重注意」をしてきたことは前代未聞の事態であり、教育内容に対して権力が不当に干渉し、支配しようとしていることに他なりません。このような権力による横暴が許されてしまうなら、すくなくとも東京の教育には、憲法で保障された思想、信条の自由などどこにも存在しないということです。

 今の日本では、時代が後戻りしているようにみえます。政府与党内で教育基本法、さらには憲法の改悪が具体的に検討されています。十年前だったらあり得なかった自衛隊の、外国どころか戦地への派遣が当たり前のように実行されてしまっています。このような時代の流れに逆らうことは決して容易なことではありませんが、今の日本に生きている人間一人ひとりが、その人なりに少しでも何らかの行動を起こすことが大切なのではないかと思います。私は自らを「教師」といえるようなえらい人間(「厳重注意」のときは、私ごとき人間のために指導部長がわざわざおでましになったので、ちょっとえらくなった気分になりましたが)ではありませんが、自分ができる範囲でこれからも抵抗していこうと思っています。

(M.)

追記:私に関わることばかり書いてしまいましたが、本当は生徒に関わることで書かなければならないことがたくさんあります。ただ、もしそれを書くと、生徒個人の生活などに影響が出てしまうのではないかという懸念を払拭することができず、どうしても今回は文章にすることができませんでした。あしからず、ご容赦下さい。

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