大学に勤めている友人からのメールを転送します。
教師を志望している学生に地裁判決について聞きました。賛否のおおよそは、賛成7割、どちらともいえない2割、反対1割でした。その意見を紹介します。
地裁判決に対する大学生の意見
- 違憲という判決を言い渡した裁判所の判断は正しいと思う。
ある面では職務に定められていないとはいえ、任されたことに対して個人的理由をつけて拒否しているともいえる。しかし、それは正当な理由である以上、認められなければならない。
よって、人によって価値観や意見は違うだろうが、法に基づいて判断すると言う観点からは正しい判決である。控訴する都教委は強制でないとはいえ、委員会の意向通りに物事を進めたいし、上意下達になりがちな役人仕事では当然のことと思ったのかもしれない。だが、それは法的には行き過ぎた行為である以上、控訴の棄却もしくは再び敗訴となる可能性は高い。
- 裁判所の判決に対しては喜ばしいものと思う。東京都教育委員会の都内の公立学校に出した通知の内容は、教職員の思想良心の自由を侵害するものであると思うし、また校長の裁量の余地もない強制的なものと思えるものである。こういった一方的に押し付けるような行為は、教職員を通し生徒にも影響を与えることは免れない。国を愛する心を養うことは大切だとおもうけれど、それは教え込むということではないと思う。都教委に対しては、もつと別のやり方はなかったのかと思う。控訴より前に強制でない指導いう形で審議するべきではないだろうか。
- 国歌の斉唱を強制するのは絶対に良くない。そもそもあの歌詞の意味を理解している子どもたちがいるだろうか。私は全く意味も分からず歌っていた記憶がある。そのようなものを歌ったところで、愛国心など育つはずがない。国を愛するきっかけとなるのは国歌ではない。国民自身なのだ。政治を行なう者、父母。彼らの立派な姿を見て、子どもたちは国を好きになるし、自国に誇りをもつのだ。
学校という教育の場で愛国心を押し付けても、その効果はないに等しいと思う。ただ、国歌の内容を変えるならば話は別だ。天皇をたたえる歌ではなく、国民を励まし勇気付けるような、国民中心の内容にすれば、国歌の意味は十分あると、私は思う。
- この訴訟の判決について、私は賛成です。私の考えと全くといって良いほど同じものでした。日本人としての自覚を養い、愛国心を育てることはとても重要なことです。しかし、反対している人たちにだつて主張はあり、それなりの日本人としての自覚があり、愛国心を持っているからこその行動なのだと思います。このような場合、行きすぎた措置は思想良心の自由を侵し、精神の自由をも侵していると思います。よって私はこの判決について賛成です。
日の丸・君が代には皇国思想や軍国主義思想として用いられてきた歴史があります。それは消し去ることは出来ない事実です。ですがこの二つは日本にとっては最も象徴的なものでもあります。それならばその点をふまえ、同じ過ちを犯さないためにといった平和的な意味を加えてもよいのではないでしょうか。
- 国旗・国歌の問題にかかわらず、今の日本は本末転倒過ぎる。愛国心を強制して国を愛せるはずがない。人の気持ちを法律や命令でどうにかしようとする事が間違っている。
物事や人の気持ちは一つの答えだけを見てはならないと思う。違う答えがある事も認めて、理解しようとする心を育ててほしい。少数意見を切り捨てるような社会を作ってほしくない。しっかりしてください大人!
- 卒業式などで国旗掲揚、国歌斉唱に義務を負わせているという問題については私も不満におもっていました。強制的に国歌を斉唱するのはどうかとも思うし、歌わない者に対して処罰を与えるのは、やはり行き過ぎたものではないかと考えます。
憲法十三条の基本的人権や個人の自由があるのだから懲戒処分を命ずるのは裁量権の範囲を超えていると思います。だからといって国旗・国歌斉唱を全部否定的に考えるのも問題だと思うので、国旗掲揚、国歌斉唱の義務問題はなかなか答えが出しづらいものだと思います。
- 今回の判決は、ピアノ伴奏のところまでとかなり突っ込んだ内容になっていたので少し驚いた。が直後の石原都知事の定例会見の内容を見て、「高校生の生活の実態を考える」と強制まではいかなくても、指導してもいいのではないかと考える。もう半年もすればまた、卒業式が行なわれ、問題がいくつも出てくるのだと思う。
私個人的の意見としてはこの判決には賛成である。思想、良心の自由を侵してはならないと思う。これから先もこの問題をよくみまもっていきたい。
- 判決のとおりだと思います。私が高校生のころ国旗国歌法について県教にまで代表者が抗議しに行くという行動をしていました。そのときの県教の反応は強制的なもので、こちらの意見や行動を少しも理解しようとはしていませんでした。強制的に国旗を掲げ国歌を斉唱させても、ますます反発心を強めるだけだと思います。もっと個人の自由を尊重することが第一だと思います。
- 国旗、国歌を強制するのは良くないことだと思います。国を愛する心は自然に生まれるものであり、それを国旗、国歌を強要し、育てようとするのは違うのではないか。国旗掲揚や国歌斉唱に反対した場合罰を与えるのは行き過ぎたやり方だと思う。これは愛国心を強要しているような感じであり、人々の自由を奪っていると考えられる。なので、違法であるという判断は妥当だと思う。
- 私たちは国旗国歌法の下、教育を受けてきたわけであるが、戦争に深い理解や実体験がある訳でもなく国旗掲揚、国歌斉唱を抵抗なく受け入れてきた。しかし、教職員の世代になれば少なからず、戦争に関わったりその無惨さを知っている人たちが出てくるだろう。その人たちを懲戒処分にしてまで起立させるのは、やはり行き過ぎた措置であると思われる。また児童生徒のなかにも日の丸・君が代が表すものを理解し、起立、斉唱を拒むものがいる。そういった子どもたちにはどういった措置がとられているのか知りたいものである。
- 自分が生まれ育った国を愛する心を育てるというのはとてもすばらしいことだと思う。けれど、それは強制してやるべきことではない。君が代や国旗には、戦争という悲しく恐ろしい背景がある。それなのに個人の考えや想いを無視して「歌え!」などと強制してしまっては、逆効果なのではないだろうか。
今回の判決で、教師たちの思想が守られて良かった。無理矢理何かをやらせたって、そこにすばらしいものは生まれはしないから。
- 結論から言うと私は地裁の判決に賛成です。憲法に「思想良心の自由」や「不当な支配に服することなく」「宗教の自由」など意見、考えの自由が国で保証されているにも関わらず、それを駄目だと言って職を奪ったりする行為は、違法を犯しているとしか考えられず「不当な支配」の典型と言えるためです。
仮に国歌斉唱の際に野次を飛ばしたり、歌っている人の邪魔をしたりしていた場合、 これは処分されるべきだとは思いますが、実際は国旗掲揚のときに席を立たなかったり、国歌斉唱のときに歌わなかったりしただけで侵害はしていません。それで処分されるのは筋違いだと思います。
- 違憲か合憲かと言われれば違憲であると判断する。
- 理由1、「君が代」の歴史的事実及び創造理念
「君が代」が戦中の洗脳手段の一つであったことは間違いではないし実際そのように使われていた。また、現代では「君」とは天皇ではなく「あなた」という意味とするという意見もあるが、この君が代が作詞された理念は「天皇の世は永遠に続くものだ」というものだ。解釈を変えたところでそれは天皇賛歌に他ならない。それを知っているか、知らされてないかの違いだ。
- 理由2、義務化と強制
「君が代」の斉唱及び伴奏の義務化は先の「君が代」の理念を知り、リベラルな社会に生きる今の人々にとってはとても耐え難いものである。もちろん「君が代」を歌ってもかまわない人は歌えばいいと思う。だがそれに対して抵抗があり、教育者として許容できない、歌わない場合は処分という(都教育委員会を通じた右翼な都知事)方針は不当な支配であるという考え方はとても理にかなつていると思う。
今の赤一点の国旗になったのは戦後だと聞く。それまでに日の丸から曙光が指す旭章旗なるものだった。国旗のデザインを変えたなら国歌もこの際新しくしてはどうか。今という時代にあった 憲法がつくられるというなら是非今という時代に合った国歌を考えてほしいものだ。でも憲法が変わったら昔に戻るわけだから「君が代」のままにしたいのか。
12、 今回の裁判が予防訴訟であったことをはじめて知った。国歌斉唱が義務付けられるというのは国を愛する心を教育によって教え込むように思想の統制の要素が考えられる。いかに教職員といえども個人の思想や良心の自由は保障されるべきであると思う。また、国歌斉唱を強制され自身の意志を曲げて従う教職員を見ることは生徒の成長上良いとはいえないと思う。
本来国のシンボルとなる国旗・国歌だが、日本は皇国思想や軍国主義の精神的支柱として用いられてきたことがあり、手放しに受け入れられない問題がある。その点も考えて国歌斉唱を強制するべきではないと思う。
- 国歌斉唱や国旗については、愛国心、日本の道徳心を持つ上で最低限必要だと思うるしかし、卒業式での壇上で必ずやらなければいけないことに関しては、納得がいかない。車椅子の方とか足が悪い人に、無理にたいへんな思いをしてもらいたくない。みんなが気持ちよく卒業するためだったらフロアで行なってもいい。日本人は形式にこだわりすぎる。もっと気持ちを大切にした愛国心には賛成だ。
- 式典などで国歌である君が代を歌わない教職員に対して処分を出すというのは、私はおかしいと思う。
国歌斉唱を職務命令とし、強制するのは問題だと思う。憲法で「思想及び良心の自由」が保障されているためにそれはしていけないことだ。
- 判決についてメディアや新聞をとおして知った。我が家がとっている朝日新聞はこの判決をよしとしていたが、毎日・読売は中立的な意見を社説で述べていた。
国旗国家法が制定されるまで、私は国歌の歌詞の意味も分からず、正式な式典で歌っていた。法が制定され、メディアが大きく取り上げられるまで、式の一環的なものとして受け入れてきた。
法が制定されていなければ、今回のような裁判は起こらなかったろうし、教職員の処分もなかったはずだ。
憲法に定められているように、人は思想良心の自由がある。ましてや教育という機関の中で、強制されるのは、私個人の意見であるが、いかがなものか。国旗国家法が制定されされた由を明確にし、その法がなければ故人の考えのもので自由が存在していた。やはり、制限が加えられると、 個人の自由な思想が奪われる。故に私も裁判の判決は正しかったと考える。
- 国旗国歌訴訟判決について、私も国歌を歌わなかったからと言って懲戒処分をするのは行過ぎていると思う。
宗教の信仰上反対するのも分からないではないが、日本国の歌である国歌なのだから皆に気持ちよく歌ってほしいに決まっているであろう。なので世界観が違う主義が違うからなどといつていたのでは、なんとなく子どもっぽいというか考えが甘いのではとも思う。このように国歌に対立があるのなら、いっそのこと国歌を皆が納得するようなものに変えてみてはいいのではないかとも考えさせられた。
- 私は学生時代、「何故君が代を歌うんですか」と先生と話しているのを聞いたことがある。先生は「日本人の日本の国歌だから」といった話をしていたと思う。また「君が代」というのは日本の国歌ではあるが日本がどういうというより「天皇をたたえる歌」ともどこかできいたことがある。
私は前からたいした事ではないとは思っていたが「義務」だ「強制」だということになると話は変わってくる。先生のおっしゃるとおり教育基本法十条「教育は不当な支配に服することなく」を見事に打ち破っている。白黒はっきりさせねばならない法律というものではないか。
- 国歌斉唱義務不存在確認という詳しい内容は今回初めて聞いたことで、興味深かった。 個人的な意見としては、これを義務として強制すべきではないと思うし、国旗や国歌については、色々な考え方を持つ人がいるわけだから、それらの意見は尊重しなければならないだろう。しかし、卒業式や入学式などで、起立を拒むことで、一番気分を悪くするのは、生徒であることを理解してほしいところでもある。自分の生徒わ祝う式をぶちこわしにしていると思えてならない。言い方は悪いが公立校の教師や地方公務員は「国の手先」なのだから本来このようなもめごとをしてはいけないのではないか。主張ばかりして相手のこと、生徒のことが見えていない教師は、それこそ指導力不足なのではないだろうか。原告側にいた教師の年齢層は比較的高かったように思えるが、ひとりよがりな授業をして、学級崩壊していそうといってしまえば言いすぎだが、から回っている気がしてならない。生徒と主張、優先順位間違えてませんか、といつた印象を感じた。
- 国旗国歌をめぐる意見に関しては一概にイエスともノーとも答えることが難しい。私自身がまだそれに関する知識を広域に把握できていないが、否定する人がいる以上、その人権を保障してあげるべきではあると思う。しかし愛国心が皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱であったにしろ、自身がこの国に属している自覚を養うという点で一義的なものと考えたとき、シンボルとなる国旗国歌はあっても良いような気がする。だから命令ということに問題があると思った。教師と言う立場で生徒に自らの意見を押し付けるのはよくない。そのため私であれば生徒に混乱を与えない程度に意志を表明したい。「やらなきゃいけない」は拘束が強いように感じた。
- 難しく固く考えすぎだと思う。義務や強制という言葉に敏感に反応しすぎているだけな気がする。国旗国歌が戦争を思い出させ、思想良心の自由を侵害する。宗教上の信仰に準じた世界観や主義主張、オリンピック、ワールドカップになれば、日本!日本!となって選手と一緒になって君が代を歌い、日本が負ければ肩をおとす。夜中まで応援するのは当たり前です。校歌と国歌、全く違うようで似ていると思う。学び、笑い、泣いて楽しんだ場所の伝統ある歌。卒業では胸をはって歌い涙する。日本も胸をはり美しい国、すばらしい国と思えるならば心から歌えると思う。オリンピックワールドカップのように。
- 国旗国歌を懲戒処分してまで強制させることを行き過ぎていると感じている私にとって、裁判所が下した結論は一応納得しているものの、思想良心をかかげて国旗国歌を拒否する教員がこれから先、増加していくとしたら、その行いを生徒がどう受け止めるだろう。そう思うと不安がよぎる。なぜなら教員が拒否することによって生徒たちもそれらを拒否し始め、最終的に国旗、国歌を廃除してしまうことになってしまうかも知れないと懸念するからだ。
初めに書いたように処分までして強制させることには反対だが、生徒に日本が戦時に普及させた皇国思想や軍国主義思想が誕生した歴史的背景を考えさせる為にも国旗国歌の存在をつぶしてはならないと思う。
- 確かに懲戒処分をしてまで起立させ、斉唱させることはないと思うが、私はそんなに頑なに国歌を 拒む理由も正直理解できない。ただそういう人もいるのが現実。難しい問題だと思う。
- 都教員は都の職員であり、都のきまりごとにさからってはいけないのではないだろうか。たとえ自らが歌わないとしても、生徒にまでそれを強制するのはいかがなものであろう。ピアノ伴奏は自分が歌う歌わないに関係ないのではないか。現に私の友達に 国歌を歌わずボーと立っていたため今でも国歌が歌えないという子がいる。どこの国の国歌の歌詞も昔のままもの凄い歌詞のところが多いだろう。国歌だけ反対し「思想が」というのは勝手だが、他の面での反対に加わっているだろうか。加わっているとは思えない。身近な何かに自分たちの立場を使って反対するのはどうかとおもう。
- 私個人的意見として、思想がどうあれ君が代を歌わない人はおかしいと思います。君が代は国の歌であり、歌わない人は非国民であり、裁きを受けるのが当然であると思います。ましてや学校の教員という立場であり、このような態度をとったら子供に悪影響を及ぼしかねないのではないでしょうか。
- 愛国心と天皇を奉ることは違うはずなのに、それをかけちがえている人が多すぎるように思う。国を愛することは、自分の生まれた国を好きになり、伝統を守っていったり、郷土を大切にしていったりすることではないだろうか。児童や生徒がまず自分の国を愛することをきちんと教育の中にくみこんでいけば、何故国を愛することが大切なのか、天皇や国家を尊重する態度を養わなければならないのかが自覚できるようになるだろう。しかし、最も重要なのはそれを教える側である大人が自分自身日本人としての自覚を備えているかどうかということだと思う。