7.17自由の風ネットワーク「交流会」報告資料より
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そして、入学式以降、高橋PTA会長の辞任に関する動きは以下の通りです。
- 4/6(火)・・・入学式後、校長に呼び出され、「学校方針に反する事を公の場で発言するべきでない。PTA会長の席は重い。今後気を付けるように。」と注意を受けた。
- 4/7(水)・・・午前、役員会。役員全員から、私の挨拶がPTA全体の総意と取られて心外だ、このまま一年間私と役員の仕事を続けられない、等の不満が続出。一たん解散。
午後、私は役員との信頼関係に溝を作ってしまった責任を感じ、役員に辞意を表明。校長にも報告。
- 4/8(木)・・・私以外の役員が今後の事で話し合い。鈴木前会長も参加。早急に全会員に、会長が一身上の都合で辞意を表明した旨のお知らせを出し、第一運営委で承認、という方向で処理しようという事となった。その後私にも了解を求める電話があった。私は電話をくれた役員に、「『一身上の都合』とあるが、この表現では不明瞭で、却って疑念を生ずる恐れがあるし、それならお知らせを特に出す必要がないのではないか。何度も名前を出されるのは心苦しい。また、出すならちゃんと発言の主旨を載せ、質問意見は高橋個人へ、と書いて出す方が明瞭で良いのではないかと言った。」役員は、一たんは、「私達はあなたの身勝手な発言の処理のため懸命に努力しているのに何だ。」と言ったが、その後、「私達が勝手に会長の処遇を決める権利はない、私達に辞めさせられたと感じているのなら謝る。明日もう一度役員全員で話し合いをやり直したいので参加して欲しい。」と言ってくれた。
- 4/9(金)・・・私も参加しての役員会。 この話し合いでは、7日とはうって変わって私への反発意見は一切なく、辞任に関しては白紙に戻そう、今回の発言に高橋さんが個人で責任を持ち、今後一切このような独走をせず、公式に発言する場合、役員の承認を得るようにするなら、一緒に仕事をして行っても良い、等の意見がでた。
私は、役員の反発がないのなら、たとえ校長側とは多少の確執は残しつつも、仕事を全うできると考え、校長に辞意の撤回を申し入れた。しかし校長は承諾せず、
「12日(月)、学校評議委員会が開かれる。委員の皆さんは色々意見がお有りだ。参加してそれから頭を冷やして考えるように。」と言った。私はその場で意見を述べ、反対意見等は私個人の責任で対処し、役員達に迷惑を及ぼさないようにしようと考えた。
役員にも、評議委員会後、最終的に辞めるか続けるか決断したいと伝えた。
- 4/12(月)・・・学校評議委員会。ある委員が主に私に辞任を勧告。私は応じなかったため、話は30分以上平行線を辿った。その後、教頭が強く辞任を勧告して、「もし6人の役員全員が、あなたと一緒に仕事をできない、と言った場合、辞任するか。」と質問した。私は、9日の話の流れから、そんな事は考えられなかったため、「それなら辞任する。」と言った。教頭がPTA 室から、待機していたと思われる6人の役員全員を連れて来て、私と一緒に仕事をできるのかどうか問いただした。信じられなかったが、全員が私と一緒に仕事をできないと答えたため、辞任せざるを得なくなった。
校長は、また辞意を撤回されては困ると思ったのか、私に辞める旨の念書を書かせ、押印もするよう指示した。私は半分捨鉢になり、応じた。
- 5/12(水)・・・PM3:00〜PTA年度始め総会
この日に「PTAニュースNo.1」が配られた。その中に私の辞任の報告があるので引用する。
「『役員の人事異動について』副会長である教頭先制より、『4/9付けで会長高橋聡さまが一身上の都合で辞任されました。つきましては、会則に則り後任を選考補充したい』との説明があり、前年度会長鈴木哲也さまを後任する事で満場一致で決定しました。なお、在任期間は前会長の残任期間である今年度末までとなります。」
総会開始前、私が役員、教頭に、辞任の経緯を説明させて欲しい、と申し入れたが、教頭は応じなかった。
私は、「委任状を出した欠席者の中には、会長代行の件まで委任したわけではない、会員への総会のお知らせのプリントには、代行の件など書いていない。これでは会員への説明不足だ。ちゃんと今日、その議題を設けて、私に辞任の経緯を説明させてほしい。」と言った。
教頭は、「会則には、会長を事故などで欠いた時には、まず副会長が代行して、後任は運営委員会の中で選出する、とある。特に会員の承認は必要無い。」と言って応じなかった。
会則には確かに、承認する必要には触れていない。定刻が過ぎ、私はひとまず着席し、総会が始まった。
しかし、開始直後、司会の副会長が、「高橋さんは一身上の都合でお辞めになり、前会長が今年度の会長を代行する事になりました。」と延べたところで、会員から、「疑問がある。ちゃんと高橋に辞任の経緯の説明させてほしい。」、「一身上の都合というだけでなんの説明もないのはおかしい。役員の方から何かメッセージはないのか」という意見が出た。教頭は、「それなら、総会後、高橋さん個人が、あくまで総会とは関係なく説明すればよい。」と説明することを認めざるを得なくなった。
「役員から何かメッセージを」という要望に対しては、教頭は、「後日役員の意見をまとめる事も検討します。」と答えた。
その後、総会は滞りなく10分ほどで終わり、私はすぐ、「経緯を書いてあります。ぜひ読んでください。」と、プリントを配り始めた。参加した会員殆ど全員の手に計30枚渡す事が出来た。教頭も受け取った。
その後も、会員の皆さんは帰らず残っていたので、私の口からも直接皆さんに説明した。教頭は、事実と違う事が書いてあるからプリントを回収するべきだ、と言った。
もちろん回収はしなかった。
1時間近く経緯について質問や意見を交わした。
ある前年度役員が、「高橋さんは、現役員が、高橋会長を受け入れていると誤解し、4/9に校長に辞意の撤回を申し入れた。現役員は始めから受け入れてはいなかった。撤回などするべきではなかった。」と言った。
私は「4/9の役員会での現役員の発言から判断して、辞意の撤回を申し入れた。私に反発する意見はなかったのに、受け入れられていないと判断できるわけがない。」 と答えた。
またこの前役員は、「高橋さんが辞めた1番の理由は、役員とうまくいかなかった事ではないのか。評議委員会の圧力は関係ない。そんな事を書くべきではない。」とも言った。
私は「圧力があったのは事実で、書く必要があった。」と答えた。
この前役員が、4/12(月)学校評議委員会の日に、役員に召集をかけていた事、また4/10(土)にも、私以外の役員と校長が話し合いを持つよう働きかけた事も分かった。
ある会員は、「今まで役員から辞任の件はお知らせされていない。総会当日になって、PTAニュースでお知らせしてきた。総会のお知らせを出す時点で分かっていながら、議案に書かないのはおかしい。」と言った。
ある会員は、「入学式での挨拶が、波紋を広げるのは予想していたのか?」と質問した。
私は、「ここまでとは予想していなかった。」と答えた。
教頭は、「入学式の挨拶で個人的意見を言ったり、今のこの場を利用したりすることはPTAの私物化だ。」と言った。
私は「私はPTA会員だ。会員が総会で意見を述べて何が悪い。」と答えた。
ある会員は、帰り際に、「共感しました。小学校も大変だけど、中学校はもっと排他的だ。石原が都知事でいる限り変わらないのでしょうね。これからも大変だと思うけど頑張ってください。」と言ってくれた。
- 6/5(土)・・・中野ゼロホール・リハーサル室にて、「入学式の挨拶で『日の丸君が代』問題に触れ、PTA会長を辞めさせられた!?報告会」と題する報告会を開催。
52名の方が参加してくれた。ここで、学校と中野区教育委員会に質問状を出す事を決議。しかし、その後、質問状ではなく、まずは面会を申し入れる事になった。
- 6/21(月)・・・桃園二小に出向いて、花岡光明校長、竹山弘志教頭あてに面会を手紙にて申し入れる。校長は不在。教頭が応対した。「返事は25(金)までに文書で」とお願いした。しかし、24(木)午後、校長から突然一方的な電話で連絡先の方に拒否の通告。「私達を悪者あつかいする人達と会う必要はない。」と、まったく誠意のない高圧的な態度だった。
- 6/28(月)・・・学校側が会おうとしないため、区役所に出向いて、手紙にて学校を指導監督する立場の中野区教育長に面会を申し入れる。「返事は7/1(木)までに文書で」とお願いした。区教委は、期日になっても返事をしないため、再度区役所に出向き返事を聞いたところ、やっと、7/5(月)pm6:30から一時間だけなら会っても良いと返答した。ただし教育長は出席せず、事務局次長と指導室長の二人が応対すると言う。
- 7/5(月)・・・pm6:30中野区教育委員会と面会。
区教委側の出席者は、事務局次長 金野晃氏と、指導室長 小林福太郎氏。私達の出席者は15名程。
私達が質問した事は、以下の13点。区教委の返答も簡単に記す。
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高橋 聡(ピアノ)プロフィール |