第三 争点に対する判断 一 争点1及び争点2について判断するにあたつては、まず、原告らの主張する 平和的生存権及び納税者基本権が実定法上の権利として認められるかどうかが 問題となるので、まず、この点について検討する。 1 平和的生存権について 憲法前文は、第一段において「・・・われらとわれらの子孫のために、諸 国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確 保し、政府の行為によ一って再び戦争の惨禍が起こることのないやうにするこ とを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。 ・・・」と述べ、第二段において「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間 相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する 諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意し た。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除 去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生 存する権利を有することを確認する。」と述べているところ、憲法前文は、 平和主義の理念が憲法の基本的原則であることを掲げたうえ、国際的平和に よって裏付けられなければ国民の安全と生存を実現することができないとい う認識を背景に、全世界の国民について「平和のうちに生存する権利」があ ることを宣言しているものということができる。 しかし、このことから、直ちに、国民が「平和のうちに生存する権利」の 侵害に対し救済を求めることのできる具体的な権利ないし利益を有するとい う結論が導かれるものではない。 すなわち、憲法前文は、憲法の建前や理念を表明したものであつて、そこ に表明された基本理念は、憲法の条規を解釈する場合の指針となり、また、 その解釈を通じて本文各条項の具体的な権利の内容となり得ることがあつて も、それ自体、裁判規範として、国及び国の機関を拘束したり、国民がそれ に基づき国に対して一定の裁判上の請求をなし得るというものではない。こ とに、平和主義や、平和的生存権についていえば、平和ということが理念な いし目的としての抽象的枕念であつて、それ自体具体的な意味・内容を有す るものではなく、それを実現する手段、方法も多岐、多様にわたるのである から、その具体的な意味内容を直接前文そのものから引き出すことは不可能 である。 このことは、「平和」の意味内容を、戦争放棄、戦力不保持及び交戦権の 否認を規定している憲法九条と結びつけて、戦争という概念と対置される平 和ないし武力の行使によらない平和と解したとしても同様であり、また、平 和的生存権をもつて憲法一三条のいわゆる幸福追求権の一環をなすものと理 解したとしても、やはり、「平和のうちに生存する権利」という国民の国に 対する権利又は利益の具体的な意味内容を導き出すことはできないものとい わざるを得ない。 さらに、原告らが主張するように、平和的生存権を「戦争や軍隊によつて 侵害されない生命権」として把握したとしても、いかなる要件のもとに当該 権利が侵害されたといい得るのかなどその具体的な意味内容は不明確であり、 それはあくまでも憲法上の基本理念にとどまるものと解さざるを得ないので あって、その点では平和的生存権の祇念と何ら変わるところがないというべ きである。 したがって、平和的生存権をもって、個々の国民が、国の平和遵守義務違 反行為についての差止めを求め得る具体的権利であるとか、具体的訴訟にお ける違法性の判断基準となるといつたような裁判規範性を有するそれ自体独 立の権利とかいうことはできないというべきである。 2 納税者基本権の侵害について (一) 原告らは、主権者たる国民の財政監視の権利として、「憲法に適合する 目的のために、かつ、憲法の朱項に従うのでなければ租税を徴税され、あ るいは自己の支払った租税を使用されない権利」との内容の納税者基本権 を有すると主張する。 (二) そこで検討するに、憲法は、国民は法律の定めるところにより納税の義 務を負うとし(三〇条)、新たに租税を課し、又は現行の租税を変更する には、法律又は法律の定める条件による(八四条)こととする一方、国の 財政を処理する権限は国会の議決に基づいてこれを行使しなければならず (八三条)、国費の支出は予算の形式で国会の審議を受け議決を経ること を要求する(八五、八六条)など、財政民主主義の原則を具体化する各種 の規定を設けている。 これらの規定をみると、憲法は、国民の納税義務や国の財政における国 民の主権の行使の仕方や財政民主主義の在り方について、国民の代表であ る議員によつて構成される国会を通じてこれを行うべきであるという間接 民主主義の制度を予定していることは明らかであつて、国費の支出を伴う 国のすべての施策について納税者たる国民が納税者たる資格に基づいて直 接にその是非を争うような直接的な制度ないし権利を予定し、これを保障 していることを明示する規定は存在しない0国民の納税義務を定める憲法 三〇条が、納税者たる国民が、その反面として、「主権者たる国民の財政 監視の権利」を当然に有することを前提にしていると解すべき根拠はなく、 他に、憲法上、国民個人に国費の支出に関する監視の権利が付与されてい (三) 以上のとおり、憲法を直接的な根拠にして原告らの主張する納税者基本 権を国民の主観的権利ないし利益として導き出すことはできず、また、現 行法制上、他にこのような権利を認めた規定は存在しないから、原告らの 主張する納税者基本権なるものを、裁判規範性を有する権利として認める ことはできない。 二 争点1(本件違憲確認請求に係る訴えが適法か否か)について 裁判所が審判し得る対象は、裁判所法三条一項にいう「法律上の争訟」、 すなわち、当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争 であつて、かつ、法令の適用により終局的に解決できるものに限られると解 される。したがって、裁判所は、具体的事件を離れて、抽象的に行政府の行 う事実行為等の違憲性について判断する権限を有しない。もっとも、裁判所 が「法律上の争訟」ではない事件につき法適合性を判断することすべてが禁 止されているものではなく、法律によつてそのような訴訟形態を設けること ができるとされているが(裁判所法三条一項)、現行法のもとにおいては、 国又は国の機関が行った事実行為、措置あるいは国費の支出等について具体 的な権利又は法律関係についての具体的な紛争を離れて裁判所が憲法及び法 律に適合するかどうかを判断することが予定されているとは認められない。 そうすると、裁判所が右の点に関する判断をすることができるのは、原告 久野らと被告との間の具体的な権利又は法律関係についての紛争が生じてい る場合に限られる。 しかるところ、右原告らが、政府の本件派遣行為により侵害されたとして 本件違憲確認請求によつて保護を求めている平和的生存権、納税者基本権な るものは、前記−で判断したとおり、いずれも、憲法上認められた裁判規範 性を有する原告ら固有の権利ないし利益ということはできないから、右権利 ないし利益に関して、右原告らと被告との間で、具体的な権利義務ないし法 律関係が発生しているということはできない。 したがって、原告久野らによる本件派遣違憲確認請求に係る訴えは、不適 法なものとして却下すべきものと解される。 三 争点2(本件差止請求の当否−原告ら主張の平和的生存権及び納税者基本権 本件差止請求の実定法上の根拠となる権利といえるか否か、右が肯定される して、本件派遣行為により右権利が侵害され原告らが右差止請求権を有する といえるか否か)について 原告らが主張する平和的生存権及び納税者基本権は、前記一で判断したとお り、いずれも、憲法上認められた裁判規範性を有する原告ら固有の権利ないし 利益ということはできないから、右権利の侵害を根拠とする原告久野らの本件 差止請求は、その前提を欠き失当である。 四 争点3(揖害賠償請求の当否ー原告ら主張の平和的生存権ないし納税者基本 権ないし人格的利益が国家賠償法等の不法行為の規定の保護の対象となる利益 といえるか否か、右が肯定される場合、本件派遣行為により右人格的利益が違 法に侵害され原告らが損害を被っているといえるか否か)について 1 平和的生存権及び納税者基本権の侵害を理由とする損害賠償請求について 原告らが主張する平和的生存権及び納税者基本権は、前記一で判断したと おり、いずれも、憲法上認められた裁判規範性を有する原告ら固有の権利な いし利益ということはできないから、右権利の侵害を根拠とする原告ら損害 賠償請求は、その前提を欠き失当である。 2 人格的利益の侵害を理由とする損害賠償請求について (一) 原告らは、原告らの主張する平和的生存権及び納税者基本権が憲法上保 障された権利としては認められないとしても、「現行日本国憲法の大原則 である平和主義・平和原則のもとで安全平穏に生活できる利挙は、原告 らの人格的利益として法律上保護されてしかるべきであり、右利益には、 戦争に加担しないで平和に生きたいという怒い、人殺しには加担したくな いとの信念へ自己の納める税金を戦費に使用させたくないとの切実な願い を含むほか、現行日本国憲法の大原則である平和主義・平和原則の廃止を 許さないという信条や、核兵器も軍隊もない平和な日本と世界を乍りたい という理想が含まれているところ、本件派遣によりこれらの利益が侵害さ れたことを理由として、損害賠償を求めている。 (二) そこで検討するに、国家賠償法一条一項の損害賠償請求の対象となる国 の不法行為は、未だ権利としては明確に確立されていなくとも、法律上保 護されるべき利益に対する侵害が違法であると認められれば成立するもの というべきであり、個人の内心的な感情も、それが害されることによる精 神的苦痛が社会通念上受忍すべき限度を超えるような場合には、人格的な 利益として法的に保護すべき場合があり、それに対する侵害があれば、そ の侵害の態様、程度いかんによつては、不法行為が成立する余地があるも のと解すべきである。 右の観点から、原告らが、政府の本件派遣行為によつて被ったと主張す る前記(一)記載の人格的利益についてみると、証拠(甲四六、五一、五七、 六四ないし七〇、原告信太正道及び加藤賀津子の各本人)及び弁論の全趣 旨によれば、原告らは、政府の本件派遣行為によつて、前記H(一)記載の個人 的に抱いている思い、信念、願い、理想を傷つけられ、これにより精神的 苦痛を感じていることがうかがわれる。 しかしながら、原告らの精神的若痛の内容は、本件派遣に関して間接民 主制のもとにおいて決定された国家の措置が、自らの歴史認識や平和主義 に関する信条に反するために生じた危機感、焦燥感等にほかならず、また、 原告らが本件派遣行為自体に関して個別的、具体的に特別の関係を有する ことにより生じたというものではなく、いわば国政に関する公憤ないし義 憤というべきものであると碑されるところ、かかる精神的苦痛は、多数決 原理を基礎とする政策的な決定においてその決定に反対する者に不可避的 に伴うものであつて、間接民主制のもとにおいて認められる政策批判や原 告らの見解の正当性を広めるための活動等によつて回復されるべきもので うした思い等が主観的にいかに強く、切なるものであったとしても、こう した個人の内心的感情が、直ちに社会通念上甘受すべき限度を超えたもの として、不法行為法による法的保護に値するものであるということはでき ないことは明らかである。 (三) 前記Hで説示したとおり、原告主張の人格的利益は、国家賠償法の不法 行為の規定により保護すべき利益に当たらないから、その侵害を理由とす る損害賠償請求は失当というべきである。 五 以上によれば、原告久野らの本件違憲確認請求に係る訴えはいずれも不適法 であるからこれを却下し、原告久野らのその余の請求及びその余の原告らの損 害賠償請求はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負 担について、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条、六五条一項本文を適用 して、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第三部 裁判長裁判官 青 柳 馨 裁判官 谷 口 豊 裁判官 加 藤 聡 |