戦争編



石原氏「(略)みんなで走り寄ってその傷ついている兵隊を運び出すのを手伝った。/あれがやっぱり国家なんだよね。だから何度思い返しても、 悲しいとかなんかじゃない。やっぱり感動的だったな。あのとき兵隊さんたちと一緒にしみじみぼくは国家と座っていたんだと思うね(と、ハンカチで涙を拭 く)。(略)」
(1999年8月25日/9月8日『SAPIO』、小林よしのりとの対談)A
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(コメント)昔を懐かしんでいらっしゃいますね〜。戦前生れですもの。一人で思いに浸るのは個人の自由ですが、今の時代に’公’の立場で他人を巻き込まないでくださいね。愛国心はいいですが、外国人を排斥したり、不用意に軍事化したりする、狭くて危険な愛国心だけは、やめてくださいね。そんなに感動的だったというなら、今度は、正式な兵隊さんとして、世界のどこかの最前線に行かれては?



石原氏「(略) 総力戦を戦うために人知を尽くした結果、さまざまな技術 が進歩した。さらに戦場では愚かしいことも、崇高なことも交錯していたはずで、因果なことに人間はそうやって歴史を積み重ね進ませてきた。戦争がまった く起こり得ないというシチュエーションが、人間や国家にとって全き善かどうかは実は分からないんですよ。」
(2000年1月4日付『産経』、福田和也との「新春正論対談」)A
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(コメント)でもそれって、生き残った者の言う理論ではないでしょうか?戦争で、亡くなって犠牲になった女性や子供達はどうなんでしょうか。いずれにせよ、だからと言って、まさか今の時代に、戦争おこさないでくださいネ。

以下は石原氏が自らのベトナム戦争に日本人記者団と共に戦線に出かけた時の、本人の回顧文です。
石原氏本人の回顧「ベトナム戦線Dゾーンのチャンバンの砲兵陣地で、訪れた我々日本記者団に向かって、試みに大砲の引き金を引いて見ないかと副官にすすめられたことがある。 (中略) 番が私に廻って来そうになった時、同行していた石川カメラマンがおだやかな微笑だったが、顔色だけは変えて、

石原さん、引いてはいけません。引くべきでない。あなたに、この向こうにいるかも知れない人間たちを殺す理由は何もない筈です

といった。 躊躇(ちゅうちょ)している私に、陽気な副官は鉄兜をさし出し、

Kill(殺せ)fifteen V.C.!

と叫んだが、幸か 不幸か突然射撃中止の命令が入り、その時間の砲撃は止んでしまった。 私は今でもその時の石川君の、私を覗(のぞ)くように見つめていた黒いつぶらな瞳(ひとみ)を忘れない。童顔の、あどけないほどのこの若いカメラマンの顔に、私はその時、なんともいえず悲しい影を見たのだ。 彼がもし強く咎(とが)めていたら、私は天邪鬼(あまのじゃく)にその後まで待って引き金を引いていたかも知れない。

これに対し、同様に取材に来ていた本多さんは、「私はこのあと解放区の取材に長く潜入していましたから、時間と場所がすこしずれれば、ことによると石原の撃った砲弾が私のいた村にとんできたかもしれませんね。 」と述べてます。 (『週刊金曜日』 2000年7月7日 (No.322) 号より 貧困なる精神(121) 本多勝一さんの文章から)A
詳細は別のHPに記載されています。
(コメント)天邪鬼、つまり、人の言うことと反対の事をするという意味です。この石原氏の感想文が、仮に冗談であったとしても、こういう取り返しのつかない事態を招きかねない、彼の幼稚性には、彼本人のためにもはっきりとNO!と言ってあげましょう。