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新証拠は採用されない
佐藤和利 ではどういうふうに国選弁護がやられるかということを決めたのが、次に述べる刑事訴訟規則の改正です。「公判前整理手続」というのができました。今までの刑事裁判というのは裁判官が予断を抱かないように、それから国民が監視できるように、公開の法廷で審理したわけです。起訴状一本主義と言いまして、起訴状からスタートした。2005年11月以後は違います。公判前整理手続がまず持たれます。
 第1回の公判期日前に、何をやるのか、証人は誰を出すのか、どんな証拠を採用するのか、争点は何か、全部決めてしまう。まず検察官から証明予定事実を出させます。それに対して弁護士がどう争うのかを出させ、争点を決めます。その争点に絞り込んで証拠開示がなされます。証拠開示の中身としては、本当に証人の調書が任意に基づいて行われたかどうか任意性を争う証拠(類型証拠とよばれます)と、検察官と弁護人のそれぞれが証明しようとする事実に関連する証拠(証明関連証拠とよばれます)のみが開示されます。
 証拠開示がなぜ重要か。かつて松川裁判では「諏訪メモ」という、被告人が労働組合の団交に出席していたという組合のメモがあったのが、でっち上げであったことの決定的な証拠になったわけです。すべての冤罪事件では検察官の手持ち証拠の中に真犯人あるいは無実の証拠が隠されている。再審事件もすべてそうですね。30年、40年かかって再審決定があって、そこで地検の持っていた段ボール箱、10箱とか20箱とかの証拠が出て来て、初めて再審での無罪が勝ち取られています。

 今後は証拠開示でも、限られた証拠しか開示されません。弁護人が証拠開示を要求するときには、具体的に指名しなければいけないんです。「こういう証拠があるはずだ」「こういう人間の調書があるはずだから出せ」「こういう物証があるはずだから出せ」と。そういった、自分の立証しようとする事実と関連のある証拠でないと、証拠開示は認められません。しかしどんな証拠があるのか、弁護人にはいっさい明らかにされないんです。いちおう裁判官は全部見られるように証拠の標目という一覧表の提出命令を出せますが、裁判所はともかく効率重視ですから、可能な限り出さないと思います。
 殺人の否認事件でも、公判前の2ヶ月ぐらいの間に4回から5回公判前整理手続をやって、全部準備してしまう。裁判官の心証も作られます。その後に公判が開かれます。公判は連日開廷、殺人事件でも5日間で終わってしまいます。この時点で弁護人が「新たな証拠が出てきたから採用してもらいたい」「真犯人を見つけたから調べていただきたい」と証拠申請をしても、公判前整理手続で出てきていない証拠ですから、絶対に採用されません。予定通り終わらせます。弁護人が自分の反対尋問を長くやるとか、本来予定していた方向と違う方向に突っ込んだりすると、裁判所は訴訟指揮で訊問に対する制限が可能です。その制限に違反すると懲戒申立、国選弁護人の解任、弁護士会に対する措置請求です。
調書はほとんど出てこない
 弁護士は主訊問が終わったら接見をして被告人と充分に打合せをして、新たな証拠をチェックしないと反対尋問ができないんですが、刑事訴訟規則の改正以後は即日その場で反対尋問をやります。主訊問が終わったらただちに反対尋問をやらなければいけない。
 被告人が、「取り調べで脅迫を受けました」「連日眠らせないで留置場で訊問されました」「自白すれば許してやると言われました」と言ったとしますね。するとこの被告人の供述調書を採用するかどうか、捜査官の取り調べ状況を記録した報告書に頼って判断します。「昼間しかやっていません」「ちゃんと飲み食いさせました」などという取調べ状況を警察官が書面で出すと、それで被告人の供述は「任意性あり」になってしまう。
 証人尋問が予定されているとします。例えば目撃証人がいたとすると、その証人の視力とか、当時の暗さとかを反対尋問して証言を突き崩したいですね。それを裁判員が見ている目の前でやりたいわけです。しかし目撃証人が、忙しいとか被告人から後でいちゃもんをつけられるとかいろんな名目をつけて、公開の法廷での証人尋問は嫌だと言いますと、公判前整理手続で、つまり非公開の法廷で、まだ起訴状も出ていない段階で証人調べがやられます。被告人もいない中で、裁判官だけが証人調べをしまして、その文書は当然採用される。裁判員が疑問を呈しても、裁判官は「私が調べました、証人の態度は落ち着いていました、教養もあり立派な方です」と言えば、反対尋問を経ることなく、被告の弾劾を経ることなく証人尋問は終わります。
 裁判が予定通りに進行しないと、連日朝9時から夜の9時、10時までやります。予定通り終わらせるためには時間もへったくれもないんです。裁判員制度が始まりますと裁判員の負担が大変なものになりますから、もっと時間厳守になる。
 その代わり調書はほとんど出てこなくなります。直接主義と言いまして、法廷で直接の証人調べで終わらせます。たとえ部屋一杯の証拠があっても、被告人と弁護人で争いがないと、いっさい証拠は出しません。裁判員には読めませんから。検察官と弁護士の間で、こういう事実については争いはありませんという、一種の司法取引の契約書を作る。それで調書に代えることができます。だから、きわめて簡便化した裁判になって、裁判所の言うとおりにならざるを得ない。
このように、公判前整理手続、連日開廷、措置請求、大きく言ってこの3つで刑事裁判は縛られます。
問題だらけの裁判員制度
会場 2009年5月までに始まる裁判員制度については、新潟大学の西野喜一先生が『判例時報』1904号と1905号に批判の大論文を書いています。私より1期上の27期、東京地裁で裁判官を数年やりまして、新潟地裁に行って裁判官を辞めて学者になった方です。

 まず、裁判員制度と陪審制度はどう違うのか。米国の陪審員制度は「怒れる12人の男」の映画に見られますように、1人でも有罪に疑問を呈すると評決できないんです。だから1人の説得のために徹底した議論をやります。その議論の中でいろいろおかしな点が浮き彫りになって、11対1が0対12に逆転して無罪になることがあります。
ところが、いま日本で準備されている裁判員制度は多数決なんです。裁判官は3名の合議です。裁判員は6名です。裁判官が真ん中に座って、両側に3名ずつの裁判員が並びます。有罪か無罪かを評決して、5名が有罪だと言えば、4名が無罪だと言っても多数決です。だから、議論なんかするのはやめましょう、ということになります。裁判官にはもう結論が分かっているわけです。
 殺人を認定したとする。すると次は量刑をどうしましょうかということになる。2人殺したら死刑ですね。1人なら最高、無期懲役ですね。裁判官がそのように意見を出します。最高裁は、類似事件での過去の量刑についての資料をパソコンで検索して出せるように作っています。議論の余地はあまりない。でも裁判員制度になれば、重罰化傾向に間違いなくなるだろうと言われています。
 ですから、裁判員制度を作ってもそれは陪審制度にはなりません。それどころか手抜きの裁判になります。これまでの裁判では膨大な量の調書を読んで、証人調べを行ってきました。オウムの事件はすでに7年ですか、まだ高裁が始まっていないですね。しかし今回の制度なら最大3ヶ月だろうと言われています。裁判員には難しくて聞いたって分からないから、直感でやるしかない。被告人の方が悪そうだとか、弁護人はバカだとか、その程度の直感で有罪か無罪かの判断をすることになるだろうと思います。真相解明などあり得ないです。

 次に国民の負担です。裁判員は恐らく選挙人名簿から抽選で選びます。たぶん6名選ぶ前に20名ぐらいの裁判員の候補が選ばれます。選ばれると裁判所に行かなければならない。そこではプライバシーも何もないんです。どんなことをしてきたとか、どんな職業に就いているとか、思想信条についての調査もあります。良心的兵役拒否と同じで、宗教上あるいは自分の主義によって人を裁くようなことはできないと拒否すれば、たぶん裁判所は辞退を認めます。それ以外は、冠婚葬祭とか特殊な育児とか、両親の介護とか、特別の理由がないと免除されません。
5日間とか1週間の連日開廷の裁判が始まると、裁判員は連日朝から晩まで出なければいけない。事業をやっている人などは倒産してしまうんじゃないか。サラリーマンなら左遷でしょう。非常に重い国民の負担が発生します。米国でも陪審員にならないためにどうしたらいいか、さかんに研究されています。宗教上の理由か、やはり変な人間に見せることで拒否されるように仕向けるそうです。

 それから検察側も弁護側も、4名を拒否できるんです。そうしますと、皆さんのような平和運動の参加者はまず拒否されますね。いちばん拒否されるのはジャーナリスト、絶対に疑問を呈するに決まっている。要するに検察側はデクノボーで裁判官の言うことを聞くような人が望ましい。被告人の方はできるだけ真実を明かしたい人を選びたいけれども、検事が拒否します。
 どうでもいいような人が20名の中から選ばれます。予備の裁判員も選ばれます。万一、裁判員が欠席した場合に代わらなければいけないので、たぶん3名ぐらいが予備に選ばれまして、ずっと待機します。日当はたぶん1万円ぐらいだろうと言われています。国民にとって非常に負担です。
 裁判員制度がいざ始まれば、被告人からも国民からもこの制度の欠陥が指摘されるでしょう。戦前の陪審制度はわずか5年くらいしかもちませんでした。今回もたぶん3年もたないんじゃないかと西野先生は考察されています。
膨大な量の冤罪が、裁判員制度のもとの刑事裁判では生まれるだろうと予想されています。だから右派と言われた多数の裁判官がいま、反対しています。例えば大久保太郎という、かつて学生事件で強権的訴訟指揮をした有名な右派の裁判官がいますけど、彼も大反対。「憲法違反のデパート、刑事訴訟規則の改正はとんでもない、刑事裁判の自殺だ」と言っています。
日弁連はどうしているか
 今まで述べたことを具体的な報道で見ていきたいと思います。
まず、裁判員制度下では「最高裁は弁護士の措置(処分)請求をこれからバンバンやってきます」ということで記者発表をしました。例えば『読売新聞』2005年6月26日付で報道されています。弁護人が無罪を争うとか訴訟審理を充実させようとして抵抗することに対して、裁判官が措置請求をする。この弁護士をなんとかしろと、弁護士会に懲戒請求がなされる。
 「措置請求」はもともと刑事訴訟法に規定がありますけど、先ほど言いましたように「荒れる法廷」のとき裁判所が措置請求をしても弁護士会は一度も応じなかったので空文化しまして、1990年以降は一度も請求されていなかった。これからはバンバンできると言われています。
 弁護士会にも措置請求に対応するための規定がなかったんです。つい先日の3月3日の日弁連総会で規定ができました。措置請求があったら3ヶ月以内に結論を出す、日弁連に調査委員会を設ける、各単位委員会も同じようにやる、そして助言、指導または懲戒の申立をする。裁判所が言って来れば、いつでも「はい、やりますよ」ということです。そういう措置請求に対して、受け皿の手続規定ができたことになります。
 この日弁連総会には代理人出席を含めて6000人ぐらいの出席があったんですが、2000人近い反対がありました。ようやく日弁連の会員も、今の司法改革はおかしい、刑事裁判がおかしくなっているということが実感で分かるようになってきた。特に地方の先生方から問題点を指摘する発言が相次ぎました。執行部を支持する賛成の討論はほとんどありません。ただ派閥の力関係で多数決で通ってしまいました。

 日弁連の実情を申し上げますと、かつて左翼系と言われた弁護士がいま、右翼・財界の執行部としっかり肩を組んで、弁護士会を牛耳っています。たぶんこれは大学も一緒だと思います。かつて政府の諮問委員にならなかったような学者が政府の諮問委員になって、官僚と仲良くして、政策の立案に参加したくて、国家権力に取り込まれています。弁護士もまったく一緒です。
 いま弁護士会は真っ二つなんです。自由法曹団の主流は日弁連執行部派ですけど、たぶん3分の1ぐらいはおかしいと感じていると思います。同じ一つの法律事務所の中で多数派と少数派に分かれています。地方もそうです。自由法曹団は分裂状態です。日本中の弁護士会が分裂状態です。民主主義とは本当に底が浅いなと思います。弁護士は権力から自立し、自分で食っているにもかかわらず、日弁連執行部の言うことを聞き、長い物に巻かれ、政府の言うことを聞く弁護士がいまだに大半を占めているために、弁護士会はいっこうに良くならないし、こうして改憲の道筋を作られつつあります。
どのように報道されているか
 注目すべき新聞記事を2つ紹介しておきます。
裁判員制度がどうなるかということで、『読売新聞』記者が自ら東京高裁主宰の模擬裁判を体験した記事が2006年2月19日付で出ました。ともかく何がなんだか分からないというんですよ。被告に何をどう聞いたらいいか分からない。結局、裁判官が言うとおりに決まる。実刑か執行猶予かということでも評議になりましたが、結局、公判前整理手続で勝負が決まっています。記者は「お互いに手探りで、新制度を作り上げていく段階」と書いていますが、要するに裁判の形を作るだけが裁判員制度だということが良く分かります。
 もうひとつは初の公判前整理手続を経た事件の公判を取材した『東京新聞』2006年1月29日朝刊の記事です。先にお話したイラン人の殺人未遂事件です。記者は「公判は儀式? 被告に不利」とはっきり書いています。この裁判では証拠調べが終わる前からもう判決はできていた。公判前整理手続のときにすでに判決が書いてあって、弁論や論告は聞く必要がない、6日目に判決言い渡し、無期懲役ということでした。

 最後に理論的なことです。九州大学の刑事法の内田博文先生の、「刑事法理念の転換と司法改革」というお話がついこの間ありまして、小冊子にもなっています。刑事法理念が完全に変わったと。かつての構成要件について団藤・平野が争ったような客観的な理論は何もなくて、違法論と責任論が癒合、可罰的違法性論もなくなって、刑事裁判が一丁上がりの裁判になっている。いま司法試験の刑法の論文は以前とまったく違うそうですね。過失の故意化は故意犯と一緒だという理論を、京都大学・東京大学の御用学者が展開している。内田先生は少数派として淋しい思いをされていると言っていました。
 本当にいまの日本の刑事司法は、とんでもないものになっています。
一応、基調報告はこれで終えて、討議に移っていただきたいと思います。

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