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言論規制の危険性
飯島氏 自民党と公明党の作ってきた憲法改正国民投票法について、いちばん問題だと指摘されているのは、むやみやたらに言論規制があるというところかと思います。
 国民投票の基本的な考え方ですが、国民投票で決めたから国民主権が実現されている、あるいは民主主義が実現されているというわけではない。国民主権、あるいは民主主義が実現されたと言うためには、国民自身がいろんな議論を行う必要があるだろう。いろんな議論をふまえた上で、国民一人ひとりが十分、私はこう思うんだという自分なりの知識なり見識を身につける。それに基づいて国民が投票する、国民が政治に参加することが求められるかと思います。

 国民がそうやって十分な判断を身につけるためには、やはり国民同士が十分に、憲法改正がいいのか悪いのか、ということについて議論することも必要でしょうし、そういった議論の前提といたしましては、テレビや新聞でも、いろんな憲法改正に関する問題について、こういった議論があります、ああいった議論がありますということが紹介されるべきかと思います。
 ところが、この2001年の議連案でありますとか2004年の修正案というものは、あれはしちゃいけない、これはしちゃいけないという言論規制がいろんなところにありました。結果として国民が国のありかたを決定するという国民主権が実現されたとは言えなくなる可能性があるだろうとに考えられるわけです。
 で、どういった規制があったのかと言いますと、国民投票運動というものについてです。国民投票運動とは何かと言いますと、憲法改正に対し、賛成または反対の投票をさせる目的をもってする運動です。2001年案でありますとか2004年案には、以下の4つのものについては禁止されています。
    1. 中央選挙管理委員会の委員、選挙管理委員会の委員と職員、裁判官、検察官、警察官など。
    2. 国または地方公共団体の公務員。
    3. 教育者、つまり学校教育法で規定されている教師。
    4. 外国人や外国法人等。
 これに関しましては、5月18日に自民党の国民投票法案の大綱を見た限りでは、抜かれていました。
 ここでひとつ問題と言えるのは、こういった人たちがなぜ運動をしてはいけないのかということです。例えば私は大学教員という立場ですが、今日のような会で憲法改正問題を話したら、国民投票運動とされるような解釈もされてしまうんではないか。果たしてそれでいいのだろうかということが問題です。

 教育者が学生に対して、憲法改悪に反対しろと、でないと単位を落とすぞと言ったとするのであれば、それはいけないということは言えるかと思いますけれども、私がこういうところで講演したのが国民投票運動だと、地位を利用してやったというふうに解釈されて罰せられる可能性がある。そうなりますと、教員はおっかなくて憲法改正について発言できなくなってしまう。それは国民同士で十分な議論をしようということに、どうも反することになってしまうんではないか。
 裁判官や警察官が、なぜ国民投票運動をしちゃいけないのかというあたりも、非常に問題かと思います。裁判官が政治的な見解に基づいて判決を下すということであれば、それは問題かと思われますけれども、裁判官という職務を離れて政治活動をするのがなぜいけないのか。ヨーロッパなんかですと、核兵器反対の運動などは、裁判官は当たり前のようにやっております。日本では裁判所法52条の政治的中立性なるものの関係で、そういった政治活動が禁止になっているもんですから、裁判官の話を聞きますと、怖くて「野鳥の会」にすら入れない。野鳥の会に入ったら自然保護の運動に荷担したとみなされる。裁判官がなぜ政治活動をしてはいけないのか、というのは、どうも日本ではきちんと詰められていないところがあるかと思います。
言論内容の規制
 誰々が国民投票運動をしてはいけないという主体の規制だけではなくて、2004年案までは、こういった内容を新聞やテレビで報じてはいけない、というものがありました。それが言論内容に対する規制です。

 まず「予想投票」というものをしてはいけない、要するに国民投票の結果こうなるだろうとかいうような、予想の投票をしてはいけないことになっていた。「虚偽・歪曲報道」も禁止されていた。「新聞紙又は雑誌の不法利用等」も禁止されていた。この3つに関しましては、今回出された法案では取られたというふうになっています。
 実はこの国民投票法案は公職選挙法に倣ったということを、自民党や公明党は言っているわけです。衆議院選挙や参議院選挙で虚偽・歪曲報道を禁止するというのであれば、まだ理由が分からなくもない。あいつは少年のとき、とんでもない悪いことばかりしていたんだと、根も葉もないことを言われて、その結果落選してしまうというのであれば、それは問題かと思いますし、何が虚偽かはすぐ分かる。
 憲法改正に関する虚偽・歪曲報道とはいったい何なのかといいますと、これは非常に曖昧としているところがあります。小泉首相は憲法を変えたとしても海外では戦争をしないと言っていますけども、それに対して、憲法が改悪されれば戦争ができるようになると発言すれば、それは虚偽・歪曲報道というふうに取られて罰せられる可能性がある。それは非常に問題だろうと思います。憲法改悪でこうなるという言論に対しては、それは言論で対抗すればいいわけであって、刑事罰で臨むのは非常に問題があります。
 このような虚偽・歪曲報道ですとか、新聞または雑誌の不利用等に関しましては、法案から消されたというふうになっておりますけれども、どうもそうも言えないのではないか。条文の中に残っていないわけでもありませんので、そこらへんはこれからも見つめていく必要があるのかと思います。

 結局、与党案をどう評価するかと言いますと、結局、俺たちの言うことを聞けというものです。自民党の案を通しやすいように、いろんないかさまが施されている。憲法を改正すると外国で戦争になる、というような評価をすれば、どうもそれが虚偽・歪曲報道で引っかかる可能性がある。そうであれば、そういう発言ができなくなってしまう。
 立川の自衛隊官舎に「イラク派兵反対」というビラを配ったら、それが住居侵入罪で逮捕されて起訴されたという、立川テント村事件がありました。実際ああいう事件が起こってから、ビラなどを投函するのはかなり減ったというふうに聞いています。自分が罰せられる可能性があると思えば、どうしても人間は萎縮してしまうでしょう。言論も控えてしまうだろうと思います。その一方で与党は、憲法改正は国際貢献のために必要なんだ、自衛隊が軍隊でないというのは不自然ではないか、自衛隊の現状を認めるだけだから憲法改正していいんだ、というような、自分たちの都合のいい主張ばかりを流し込めるようにする。その結果、自民党の思うとおりに改憲をさせようという思いがはっきりしている法案でした。
 ですけども、民主党などとのやりとりがありまして、そういった言論内容に関する規制はかなり削られたというのが現状です。
民主党案を検討する
飯島氏 今度は民主党案について簡単に紹介させていただきます。
 私は大学の授業で、国民投票というものについてどう思うかと、去年も200人ぐらいの学生にレポートを課す形でアンケートを出させました。今年も160人いる授業で国民投票をどう思う、と聞くと、やっぱり国民に決めさせた方がいいんだというようなことを学生は言うんですね。実際にフランスとかドイツでは国民投票が悪用された、だから独裁者ほど国民投票を好むという政治的な格言があると、ドイツとかフランスの実例を挙げて危険性を言っても、やはり国民に決めさせるのがいいという意見はどうしても根強いですね。
 そうしますと民主党の案なんかには、どうも国民は好意的な評価を下してしまうのではないかと思われますけれども、このへんについてもやはりかなり注意して見る必要がある。とくに今の日本の状況で言いますと、民主党案に簡単に拍手をしないほうがいということは指摘すべきではないかと思っています。

 自民党と民主党の案では何がいちばん違うのか。1週間前くらいの毎日新聞でも、自民党と民主党の案は97%は違いがないんだという、中山太郎だったか保岡興治だったかの見解を紹介しまして、違いは3つだけなんだと言われていたかと思います。
 国民投票の内容をどうするかと言いますと、与党案が憲法改正だけに限るのに対して、民主党はそのへんを膨らましている。国政における重要な問題についても国民投票にかけるべきだというのが、民主党の案です。投票権の範囲というものにつきましても、自民党の案ですと20歳以上、民主党の案では18歳以上、国会決議があればさらに16歳まで下げてもいいと民主党は考えているようです。こうした民主党案に関しては、かなり好意的な評価もあるようですけれども、それでいいのか。

 去年の9月11日、衆議院の解散による総選挙は、実質的には国民投票と同じような機能を果たした側面があるかと思います。そこで去年の郵政民営化の問題とからめて国民投票法案の問題点を挙げてみます。

 まず国民投票というのは議論というものを単純化してしまう可能性がある。例えばあの郵政民営化の議論をかなり大雑把に見ますと、郵政民政化に反対している人がいます。郵政民営化自体は賛成なんだけども、小泉首相の言うような郵政民営化には反対だという人もいました。小泉首相の郵政民営化賛成という人もいた。大きく分けるとこういった3つに分けることができるかと思います。問題は、郵政民営化は賛成だけども小泉首相の言う郵政民営化には反対だという意見が、結局郵政民営化反対というふうに分類されてしまった。国民投票というのはこういうふうに、イエスかノーかに議論を分けてしまう、単純化してしまう危険性があると言えるかと思います。
 例えばいまここに6人いますと、これから食べに行くか行かないか、多数決を取ろうと。食べに行くにしても、どこに食べに行くのか。一人は中華に行きたい、一人は飲みに行きたい、一人はお寿司屋さんに行きたいという議論があったときに、そういったものを投票でうまくできるのかというと、どうもそういうことにはならない。寿司屋に行くのがいいのかどうかについて投票しようというふうに、国民投票ではなってしまう。そういった意味で、いろんな意見があるにも拘わらず、国民投票というのはどうもうまく収斂できないということは、フランスなんかでも良く言われていることです。議論を単純化してしまう危険性が国民投票にはある。

 2番目の、人気投票の危険性ということですけれども、去年の衆議院選挙のときに、小泉首相が何やってるか分からないけれども、彼のことが好きだから自民党に入れるんだと言っていた、年配の女性の方がいた。小泉首相の前の首相である森首相が同じような政治状況に陥って、郵政民営化について国民の声を聞きたいと解散したときに、ああいうふうな衆議院選挙の結果になったかどうか。恐らくならなかったのではないかという気がいたします。郵政民営化賛成か反対か、という議論は知らなくても、小泉首相のことが好きだからという理由で投票してしまう、そういった人気投票の危険性があるという点が、注意すべきではないかと思われます。

 3番目として、主権者意志の援用ということも気をつけなければいけない側面かと思います。フランスなんかではかなり警戒されていることですし、日本の憲法学界では樋口陽一先生なんかは、これがいちばん気をつけるべきなんだと、1970年代から言ってきているわけです。この郵政民営化の衆議院の解散のときに小泉首相は、今回の選挙は郵政民営化だけが問題なんだと、さんざん言っていたかと思います。ところが実際に9月11日の衆議院選挙で圧勝した2日後には、私はあらゆる国政上の問題についても国民の信任を得た、だからイラクの海外派兵についても国民は支持しているんだと言い出したわけです。結局、イデオロギーとしての役割を果たしてしまう、という点に国民投票の問題点があると言えるかと思います。

 そして4番目に、議論なしの政治運営、「鶴の一声」で決まってしまうということがあります。これは今年の2月号の「世界」に宮沢前首相が述べていたんですけれども、結局、郵政民営化の政治運営というのは、誰も小泉首相にノーと言えなくなっている状況が生じている。実際問題として小泉首相のおかげでああやって選挙に勝ったというふうにみんなが思いこんでしまいますと、結局、小泉首相には誰も背けなくなってしまう。それどころか、小泉首相が国会に現れると小泉チルドレンがワーッと拍手をしたりする。ある意味で北朝鮮と同じような状況だというようなことを言っています。
 国民投票というのは、国民の意思を聞くからいいんだというような議論がまかり通りやすいところではありますけれども、現実問題としましては、議論を単純化して、きちんと国民の意思が反映されない結果が出て来る可能性がある。のみならずその国民投票の結果しだいでは、十分な議論をして国の政治を決めていこうという状況を阻害する要因となってしまうという点も、認識されるべきではないかと考えております。
運動をどう進めるか
 今日はある意味で改憲反対の運動にも携わっていく集会なのかなというふうに思いましたので、簡単な運動論的なことも若干触れさせていただこうかと思います。。
 例えば今井一さんなんかは、ヨーロッパの経験でありますとか地方自治体の経験を踏まえて、やはり国民の意思を聞くということであれば、憲法改正問題は国民投票で決着すべきだと言っています。それは確かに一般論としては受け入れやすいんですけれども、じつはそんなに簡単じゃないよということについても、認識することが必要なのではないかと思います。
 3年前に小泉首相は国会でこんなようなことを言っています。「将来やはり憲法を改正するというのが望ましいという気持ちを持っておりますが、いまだにその機運には至っていない」。
 この「機運に至っていない」とはどういうことなのか。もうこの2003年の段階では、アフガニスタンを攻撃しているアメリカを支援するために日本の自衛隊がインド洋に行っていました。そのときのフランスの新聞には、「テロ特措法は明確な憲法違反だ」と書いてありまして、憲法と現実はそこまで離れてしまっていた。本当に国民の意思を聞くつもりであれば、その場で国民投票にかければいいにも拘わらず、その「機運にはまだ至っていない」という。

 どういうことかと言いますと、まだ小泉首相も国民投票で勝てるとは思っていないということです。だから勝てる「機運には至っていない」。実際に国民投票が行われる時はどういう時かと言いますと、例えば権力担当者がいろんな言論統制をして、あるいは自衛隊の海外派兵は国際貢献のために必要だという宣伝をさんざんしたたあげく、いま国民投票をやれば勝てると思ったときに出して来るのではないか、という感じがします。
 去年の5月にフランスで、EU憲法条約の批准に関して国民投票が行われたわけですけれども、否決されました。自民党で憲法改正国民投票法案をつくる中心人物である中山太郎氏ですとか保岡興治氏は、その現場をじつは目の当たりにしてきた。で、直接民主制というものはこんなに怖いものだということを言っているわけです。ですので、自民党が憲法改悪のために国民投票にかけるというような場合には、かなり世論誘導や報道がなされて、勝てると思ったときに出して来るという危険性があるのではないかと思います。
 運動論を多少展開させていただくとすれば、例えば「9条の会」は私は一つのいい形成になっているのではないかと思います。いろんなところに「9条の会」ができて、憲法改悪反対、9条改悪反対という声がいろんなところで出されていれば、むやみやたらに彼らも国民投票にかけようとはしないだろうと思います。
 そういった運動を展開するに当たっては、明らかに改憲を進めて、自衛隊を軍隊として認めよう、それを海外に出すのもOKと言う人たちを、こっちへ取り込むことができたらいいんですけれども、そうでなければ、良く分からないという人たちを取り込む必要があるのではないかという気がします。

 私自身、授業をやっていまして、例えば軍隊で日本が守れるかというような授業をして、「じゃあみんあどう思う」ということを聞いてみると、やはり新聞とかテレビの影響が大きいのか、やはり「軍隊をなくすなんて考えられない」という答が9割以上返ってくる。北朝鮮からミサイルが飛んで来る、中国は脅威だ、軍隊をなくすのはやっぱり無理だというような答がどうしても返ってきます。
 ところが、「沖縄でアメリカ軍が何をやっているか知っているか」、「日本がそれにどういう対応をしているか知っているか」と聞きますと、9割くらいの学生が沖縄っていうのはきれいな海だというイメージで、「アメリカ軍がそんなひどいことをしているなんて知らなかった」、「地位協定でそんな守られているなんてことも知らなかった」と言う。日本政府が「思いやり予算」で、アメリカ人のビリヤード台でありますとか、家なんかを建てているという話をすると、「そんなことは知らなかった、地位協定を変えろ」みたいな回答が多く返って来ます。
 こういう卑屈な日本政府は、いま海外に出てこいと言われたときに断れるかというと、それは断れないだろう。憲法改悪なんかして集団的自衛権だの国際貢献のために国連軍に参加することになれば、結局アメリカに引きずられて戦争に参加することになるだろう。そういった憲法改悪には反対だという議論が、学生の間でもかなり出て来るような気がします。
 運動論としましては、1万メーター泳げない人間に対して1万メーター泳げと主張をしても無理です。全く泳げないような人たちを取り込むのであれば、まず25メーター泳げるような運動でなければ。米軍によるファルージャの市民殺戮を小泉首相が支持したことを紹介しましても、それは危ないというふうに多くの学生はなるようなところもあります。そういった、イラクの実例でありますとか、沖縄の実例なんかから、憲法改悪はどういうことを生み出すかという運動をしていったほうがいいというふうに、私自身はいまの段階では思っています。
 拙い報告ですが、1時間、どうもありがとうございました。

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