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国民投票法案を検証する

第4回学習会 2006年9月27日
報告者 飯島 滋明

自民党「新憲法草案」の評価
飯島氏 最初に自民党の「新憲法草案」について、外国でどのような評価を受けているのか、ということを紹介します。

 去年の11月22日、自民党が結党50年ということで、新憲法草案を正式に発表しました。その翌日あるいは翌々日には、アメリカのいくつかの新聞に、またフランス、ドイツでありますとか中国の『人民日報』に、この新憲法草案が取り上げられていました。アメリカの『ワシントン・ポスト』の評価がいちばん分かりやすいかと思って、訳してみました。
「[憲法]改正は、いわゆる『集団的自衛権』、つまり、他の国の軍事的援助に至ることを可能にさせるといった、憲法に関するより緩やかな解釈に途を開く。[憲法改正によって]最も利益を受ける国は、日本と最も親密な関係を結んでいる同盟国アメリカであろう。アメリカは日本にそうした措置をとるように促してきた。日本の憲法上の状態の変化は[アジア]地域、とりわけ台湾をめぐって中国とアメリカ合衆国との間に武力紛争が生じた際には重要な意味を持つことになろう。」

 フランスの『ル・モンド』も、確か2ページ目か3ページ目にけっこう大きく載せていました。「日本は平和憲法を改正しようとしている」という見出しで、「あらゆる権限を持つ軍隊を創設しようとしている」「こういった改憲案は、アジア近隣に懸念を呼び起こす」というような内容です。
 こういった報道からすれば、自民党の新憲法草案は恐らく、平和主義や国際協調主義に反するという評価を受けているのではないかと思います。
 この自民党案につきましては、皆さんは恐らくすでに検討されたと思いますので、詳しく述べることはいたしません。今の憲法というのはどういう建前になっているかと言いますと、国民、国家構成員というものが国の主役なんだと。その国家構成員の権利を守ることを一番の目的としていると。国家構成員の権利というのを守るために誰が一番危険なのかというと、権力担当者、とくに法律を作る立法者が権利侵害の主体となると。だからそういった権力担当者を法的に縛ってしまえというのが、今の憲法の建前、立憲主義です。自民党案はこの立憲主義を逆転させる内容になっていると思います。
 そういった意味では、2004年6月の自民党発行の改憲問題についてのパンフレットには「国民しあわせ憲法」だと書いてありますけれども、海外での戦争遂行体制、国内での国家総動員体制の確立をはかるという意味で、「国民おしまい憲法」と言えるのではないかと私は思います。
 内容を見ますと、権力担当者が自由に戦争できるようになっている。権力担当者の指示に国民とか地方公共団体が従うような内容になっている。

 こういった憲法改正案の内容を普通に紹介すれば、国民が従うかどうか。誰がこんな憲法改悪に乗っかるか、という話になりそうなものなんですけれども、ここらへんは少し注意する必要があるかと思います。このような国民のためにならない改憲案であっても、国民投票の法の定め方しだいではいくらでもいかさまができるということです。
 例えば最高裁判所の裁判官は、国民審査によってダメだったら切ることができる制度が憲法79条には定められております。国民が審査はしているんですけれども、逆に国民が信任したような結果を出している。
 こういったいかさま的な国民投票を、裁判所が憲法違反だと言えるかどうか。例えばフランスですと、かつてド・ゴールが大統領を直接投票で選ぶようにする憲法改正を国民投票にかけました。これに関しては多くの学者が憲法違反だと言っても、実際に国民投票をした結果を憲法違反だと言うには、よほどの証拠がない限りは無理だというので、裁判所もそこは遠慮せざるを得なかった。そういった意味で、裁判所にいざという時に助けを求めること、期待することはできないんじゃないかと思います。
 そういった意味で、国民投票法を定めることがいいかどうかということもありますけども、定めるのであれば、いかさまを施させないような内容にすることが必要と言えるかと思います。
 そこで次に、いま与党が出している国民投票法案、民主党の国民投票法案の問題について、お話をさせていただきます。
有効投票数説は正しいか
飯島氏 なぜこの時期、国民投票法案なのか。自民党の中山太郎氏であるとか保岡興治氏なんかは、いろんなところで「国民のため」だと、これまでなかったのは「立法不作為」だと言っています。私は自民党の政治家がこんなに国民思いだとは、正直言って思いませんでしたけども。実際にはいろんなところで指摘されているように、憲法を変えるための布石であると、憲法改悪の外堀を埋める作業だと言えるかと思います。
 では与党案のどこが問題なのか。

 いまの憲法の改正については、憲法96条で2つの要件が定められております。ひとつは衆議院と参議院の各議院の3分の2以上の議員の賛成が必要。もうひとつは国民投票というものになりますけれども、ではどういった要件がそろえば国民投票で承認を得たとするのかにつきましては、3つの学説があります。

 1つ目は「有権者数説」でありまして、有権者全部の数の過半数があれば国民投票で賛成を得たとする考え方です。2つ目は「投票者数説」で、投票者の過半数を取った場合に有効とする。3つ目は「有効投票数説」で、無効票を抜いた票の過半数を取れば国民投票で賛成を得たという考え方です。
 実は宮沢俊義先生、芦部伸喜先生といった、日本の憲法学界を代表する方が有効投票数説を採っていまして、学説的には通説となっています。
 2001年に憲法調査推進議員連盟(議連)は、日本国憲法改正国民投票法案(2001年議連案)というものを作っています。この自民党と公明党の議員が中心となって作った国民投票法案では、この有効投票数説が採られています。さらに2001年議連案を修正した2004年修正案でも、有効投票数説が採られています。今回5月26日に与党が国民投票法案を出しましたけれども、それでもこの有効投票数説が採られています。民主党はこの分類でいきますと、投票者数説を採っております。

 学会の通説からすると、自民党の案も悪くはないんではないかと言えると思いますけれども、本当にこれで国民の意思を聞いたことになるのかどうか、ということが問題になります。
 どういうことかと言いますと、憲法というものは普通の法律とは違うわけなんですよね。憲法というのは国の基本法ですから、普通の法律のように簡単に変えられてはいけない。自民党が政権を取ったらこうだ、民主党が政策を取ったらこうだと、国の基本的な在り方がそんなにコロコロ変わってはいけないということです。どこの国の憲法でも、やはり他の法律とは違いまして、簡単に変えられないような仕組みが採られています。

 日本国憲法も普通の法律とは違いまして、先ほど申し上げましたとおり、各議院の総議員の3分の2の賛成がなければいけない、プラス国民投票まで要求されているというものです。国家の基本法であるからには、改正にはできる限り国民の意思がきちんと反映されなければいけない。国民の意思がきちんと反映された上で変えるならやむを得ないですけれども、それなしに変えられるのは非常に問題となるかと思います。

 そこでフランス革命のときの例を紹介しますけれども、例えば1793年の通称ジャコバン憲法をめぐる国民投票はどういった状況か。700万人の有権者がいた。そのうち200万人しか投票していない。賛成は185万3847、反対は1万2766、これでもう国民が承認したことにされてしまったんですね。4人に1人しか賛成していないことになります。
 その後の1795年の共和暦3年憲法はもっとひどくて、賛成は13.6%、反対は0.59%。有効投票数説的ですと、これはOKとされてしまうわけです。
 さすがにこれでは問題だろうと思います。少なくともイギリスのように40%以上の投票がなければ国民投票は成立したことにならないというような、最低基準を設けた上での有効投票数説に立つか、それとも投票者数説のような考え方でなければ、国民の承認があったとしてはいけないのではないかと思われます。
新憲法制定というペテン手法
 先ほど述べたように、2001年にまず憲法改正国民投票法案を自民党と公明党が作りました。2004年に一定の修正が施されたんですけれども、そこではまだ投票方式をどうするかが、必ずしも確定的ではなかったということがあります。どういうことかと言いますと、例えば憲法9条と憲法13条の改正を、一緒に投票するのか、それとも別々に投票するのかが、ここでは分からなかったわけです。
 中曽根康弘元首相などは、そういったものは一括して投票すべきだとずっと言い続けてきたわけですけれども、さすがにそれでは国民の意思を聞いたことにはならないということになりまして、実は新しいペテン手法というものを自民党は採りつつある。

 どういうことかと言いますと、憲法の部分改正というのではなく、去年の11月に発表されたように、新たな憲法を制定するという手法を採る。新たな憲法を制定したことにしてしまえば、もう部分的にここに○をつける、×をつけるという話にはならない。一括して、この憲法を承認しますか、それとも承認しませんか、という問い方になります。そういったことによって、実は憲法9条というものを改定しようと目論んでいる、というふうに言えると思います。

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