世紀転換期の戦争の語り方
(2001年3月10日 平権懇総会記念講演)
3月10日、平権懇は毎日新聞社内で学習会を開き、
元朝日新聞社編集委員(思想・文化担当)の西島建男氏に
「世紀転換期の戦争の語り方」をお話しいただいた。
なお、当日予定されていた平権懇総会は、榎本会長の検査入院のため当分延期となった。
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西島 建男
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私は文化記者だったわけで、学者でもありませんし運動家でもありませんので、九〇年代の文化論から見た戦争論はどうなっているのか、ということを今日はお話ししたいと思います。
私が見るところ、やはりこの一〇年で大幅に戦争論とか平和論の論調が変わったと思うんです。その背景はいろいろあるけれども、三つ挙げます。まず、やはり湾岸戦争が非常に大きなインパクトを与えた。平和協力法というものもありましたけれども、この湾岸戦争は九〇年代初頭の大きな問題を投げかけたわけです。
もう一つは、従軍慰安婦の問題です。九〇年に韓国の女性団体が責任者処罰要求を出して、九一年に元慰安婦の金さんが被害者として初めてカミング・アウトした。これが非常に大きな問題で、二〇〇〇年の女性国際戦犯法廷まで続く大きな論調になりました。従軍慰安婦問題がなかったならば、小林よしのりさんの『戦争論』も、藤岡信勝さんの自由主義史観も、西尾幹二さんの『国民の歴史』も出て来なかったと思うほどです。
もう一つは、五五年体制の揺らぎで細川さんが首相になってから、国民国家というものの揺らぎが非常に強くなってきまして、おまけに戦後世代が人口の七割から八割になった。すると戦争の記憶をどうするか、歴史というものをどうするか。歴史修正主義という問題が出てきます。
その三つが、九〇年代の日本の論調を変えた。一つだけ付け加えると、日本の論調と国際的な論調との捩れが、ここで強く出てきた。これはとくに従軍慰安婦の問題がそうなんですけれども、重要な問題だと私は思っています。
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湾岸戦争のインパクト
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湾岸戦争が論調にいちばん大きな影響を与えたのは、一九九一年の「文学者反戦声明」ですね。これが大きく文学者、学者、思想家の考え方を揺らしてきた。その前に、ポスト・モダンというものが八〇年代にありまして、消費社会とバブルで凋落したわけですけれども、ポスト・モダンが、ここから非常に大きく変わっていった。つまり、社会的なコミットメントの方へ転じようじゃないかと。阪神淡路大震災もありますけれども、要するに無関心・しらけの戦後世代の一部が、社会派に転向するきっかけになったわけです。その一人が、いま長野県知事になっている田中康夫さんとか、いとうせいこうさんです。
湾岸戦争の文学者反戦声明には「声明一」と「声明二」とありまして、「声明一」は日本国家は戦争に加担しないということです。問題は「声明二」で、ここでは、平和憲法があって戦争を放棄したのだから、日本は反戦運動をしなければいけないのだと言っているわけですね。これに対して加藤典洋さんなどは批判したわけです。声明をした柄谷行人、浅田彰、島田雅彦さんらに対する批判ですけれども。
この時の加藤さんの言い分は、憲法の前に一国平和主義がある。憲法によって平和思想を意義づけるのは、憲法を守護神とか用心棒にして平和を唱えるようなことだ。平和憲法を持っているから戦争反対だという言い方は非常におかしい。こういうことを言ったわけですね。憲法の平和主義という、物置にしまいこんでいた掛け軸を取り出して、塵をはらって床の間に飾り直す。こういうのは自己欺瞞ではないかというわけです。
もともと加藤さんは全共闘世代で、反戦・反帝・反スタは言ってきたけれども、平和憲法ということは言ってこなかった。文学者反戦声明を出した人たちは、常に外部からの、つまり平和主義とか人権主義とか、外から来た思想を取り入れて反対運動をやっている。
加藤さんたちは、この場合に内部から考えていかないと駄目なのだと言うわけです。この論争は、外部派対共同体派とか、啓蒙派対文学派とか言われますけれども、つまり土管の外から行くのか、土管の中から行くのか、ということですね。加藤さんは平和論とか戦争論をもう少し内部から深く考えていこうという考え方を持ったわけです。
この論争をもっと遡ると、吉本隆明の思想があります。反核声明の時からずっとあるわけですね。吉本隆明さんは、護憲とか改憲とか五五年体制の枠内の問題よりも、第三の道があるではないか、それは大衆の中からくる自立の思想であって、大衆のナショナリズムによる自立をきちんとやらない限り、戦争反対も平和運動も成り立たないのではないか、とずっと言ってきた。この路線の上に、加藤さんたちの内部派あるいは共同体派が出てきたわけですね。
文学者反戦声明を出した柄谷行人さんとか浅田彰さんとか、戦後民主主義と平和主義を守ろうという学者からは、そういう考え方は結局、共感の共同体の内部でぬくぬくと自足することになってしまうと反論します。しかし加藤さんは、外部からの語り方ではもう駄目だと、戦後世代、無関心派の生活感覚には何の衝撃も与えないと言うわけです。
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内在派の成立
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この時に、高橋哲哉さんなどは外部の目というのを、アジアの目とか戦争被害者の目ととかをとらえて、これが歴史主体論争につながっていきます。またこの時に出てきた「実感性」とか「共同性」を、加藤さんは「内在」と言うんですけれども、つまり日本の共同体を中からもう一回立て直すという考え方です。
これに対して大越愛子さんのようなラディカルなフェミニストからは、経済大国にぬくぬくと埋もれていく全共闘世代たちのあり方だという批判も出ています。また小林よしのりさんの『戦争論』も西尾幹二さんの『国民の歴史』も、一種の内在的な共同性ということから戦争と平和を問い直そうという点では、加藤さん、吉本さんの行き方と同じです。
もちろん、「新しい国民の物語」をつくり出そうとする戦前復古のような小林さんとか西尾さんと、もっと内在的に日本の共同体を考え直していこうとする加藤さんたちとは、根本的に違います。加藤さんは日本の戦争が侵略戦争であることを認めていますし、その侵略戦争で無意味に死んでいった自国の死者を、無意味なまま深く弔う仕方ということを言っているわけですから、小林さんとか西尾さんのような英霊論とは違います。
九〇年代になってから、内在的な問題から入って、それをどうやって突き抜けるかという問題点が、湾岸戦争によって出てきた。これは、日本が非常に自閉的・内向的になってきているということとも結びついているわけですね。しらけ世代の人たちが、社会的無関心派の若い人たちを含めて、もう一回ここから戦争と平和を考え直そうという動きは非常に強く出ているんですが、それが下からのネオ・ナショナリズムの動きとどう係わってくるのかというところが、今後の大きな問題点であると思います。
小林よしのりさんの『戦争論』はマンガです。このマンガは、かつての手塚治虫さんとか水木しげるさんの戦争マンガよりも身体イメージが希薄化している。戦争を個人的体験として蓄積していませんから、ゲーム感覚でやっていますから、非常に個人化していて、自閉的な不安な部分がたくさんあるわけですね。いまの戦争マンガは『機動戦士ガンダム』以来、ほとんどモビルスーツというロボットを自分の身体の延長としていて、身体イメージが非常に薄いわけです。
『風の谷のナウシカ』とか『ドラゴンボール』とか『宇宙戦艦ヤマト』などのアニメは、無垢な少年少女が戦士として戦っていく、要するに神風特攻隊のイメージがあった。『新世紀エヴァンゲリオン』になりますと、戦争というのは自閉した個人の中の心的な挫折とか、親との関係とか、先生や学校との関係とかの、トラウマの戦いにまで退行しているわけですね。しかし同時に願望としては他者と出会いたい。このあり方は加藤さんたちの内在派、共同体派と言われているものに、非常に大きなイメージを与えたと思います。
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従軍慰安婦のカミングアウト |
もう一つ、九〇年代の大きな問題は従軍慰安婦という問題です。この場合、大きな捩れというのは、日本国内では日本の責任を否認する国民の物語がこれで非常に強まっていったのに対して、国際的には国連の人権委員会、マクドゥーガル報告書では、やはり従軍慰安婦は国際法違反の人道に対する罪であって、戦争犯罪だという認識が強まっていることです。
一つは、よく慰安婦が五〇年間黙っていたことを初めて証言した、ということですね。
今までは戦争論では、国家の指導者、支配層からの政治経済的な見方とか、国家レベルの論調が多かったのですけれども、従軍慰安婦のカミングアウトも一九九五年のドイツ映画「ショアー」も、「私の領域」が出てきた。この映画はユダヤ人のホロコーストを、ユダヤの特務隊として協力していたユダヤ人の少年歌手が、もう一回強制収容所を訪ねるところから始まります。ホロコーストに協力していたユダヤ人側からの証言です。要するに、今までは国家支配層的な部分の戦争論だったのが、九〇年代になってプライベートな領域まで立ち入った個人の戦争体験というのが、非常に出てきた。
藤井忠俊さんの『兵たちの戦争』もそうです。野田正彰さんという精神医学者の『戦争と罪責』もそうです。中国で軍医がどうやって生体解剖をしたのか、陸軍少尉がどうやって首を切ったか、憲兵が何をしたか、聞き取りをしているわけですね。ごく私的な体験が構造的な暴力につながっていく罪という問題です。軍隊という共同体に入った時に、いかに人間が過剰適応して残酷な殺人もやっていくか。これはオウム事件ともからんで、九〇年代に大きな影響を与えていると思います。
これらの個人の証言に対して『国民の歴史』派は、個人の証言はあてにならない、記憶はあてにならない、断片的だし矛盾があるという。もう一つ、いちばん強く言っているのは、公文書がないということです。ドイツの八〇年代の歴史修正主義論争でも、ユダヤ人絶滅に対するヒトラーの公式文書がないことから、ホロコーストはあり得なかったという修正論が出ているのと同じように、日本の場合も公的な文書がないと。ここで重要な問題は、戦争の加害者・被害者を含めて個人の証言というもの、文章中心の歴史ではなくてオーラル・ヒストリー、つまり口承の問題をもっと重要視しなければいけないという方向に、論調としては変わっていくわけです。
歴史というのは、事実を実証したものがないと科学的歴史学にはならないというのが、今までの実証史学の立場でした。それに対して、歴史というのは記憶とか思い出とか、そういうものから作っていくんだというのは、古くは昭和史論争の時の亀井勝一郎さんの主張です。ベネディクト・アンダーソンの主張は、国家というのは政治的・経済的問題も重要だけれども、いちばん重要なのは幻想の共同体、あるいは想像の共同体、つまりその民族の言語とか文化伝統によって作られていく「われわれ意識」だというものです。
歴史というのは実証主義だけでは駄目だと、そういう一種の構成していく力が重要だとする考え方、これを構成史学と言っています。これがフェミニストでは上野千鶴子さんとか、藤岡信勝さんとか西尾幹二さんなどの国民の物語を作る右派まで、だんだん九〇年代に大きな論調になっているわけですね。実証史学の伝統的学者、例えば一橋大学名誉教授の永原慶二さんなどは、物語派は非常に危険であると反論します。実際に従軍慰安婦はなかった、強制連行はなかった、実証的な文書がないではないか、というのが「新しい歴史教科書をつくる会」の主張ですから、まさに二重基準になりますが。
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フェミニズムの戦争の語り方 |
もう一つ、この従軍慰安婦が論調に与えた大きな影響は、一種の女性史観に対する批判です。今まで女性は戦争の被害者であった、また女性は平和の女神であって、戦争に加担していなかったというのがこれまでの女性史観です。しかし現実には「女性の国民化」というのがあって、ナショナリズムに完全に女性も入っていった。女性が平等とか参政権と言って国民化をした時に、戦争の方へ入っていく。市川房枝さんとか平塚らいてうさんが非常に先鋭な翼賛会のイデオローグになったとか、高群逸枝さんは完全に大東亜戦争の協力者だったとか、銃後で戦争に参加していく。そこにもう一つ出て来るのが、日本の女性と植民地朝鮮の女性との対比です。それが今のフェミニズムが割れていく非常に大きな問題になっているわけですけれども。
八〇年代のフェミニズムは、個人的なことは政治的なことであるというテーゼを掲げました。私的領域は必ず公的領域と絡みあうんだと。ここから九〇年代には、従軍慰安婦のごく私的な体験が構造的暴力につながる、ということになって、ユーゴ内戦のセックス・キャンプ問題にもつながっていくわけです。
これに対して西尾幹二さんとか小林よしのりさんたちは、どちらかというマッチョ、男性主義です。小林よしのりさんの有名なセリフによれば、男は女や子供のために、女房や恋人を守るために死ぬんだと。自分のお祖父さんもそうやって戦っていった、国を守るとはそういうことなんだというわけですね。
従軍慰婦人のカミングアウトとか、映画「ショアー」とか、野田正彰さんの『戦争と罪責』とか、もう死んでいくかも知れない人々の最後の証言というものが戦後五〇年たってやっと出てきたことによって、「記憶の政治学」とか「忘却の政治学」という問題が重要になってきた。
東大の国際政治の教授の藤原帰一さんの主張ですが、いまや冷戦時代とは違って、戦争が起こりそうだからという政治・経済的な問題よりも、社会通念としてその国民国家の一般市民がどのような戦争の記憶を持っているかというのが、国際政治上の大きな対立点、論争点になっている。歴史教科書をめぐる論議でもお分かりのように、逆に記憶を殺害する、つまり意図的な忘却ということも政治的な問題になる。それが一国内だけではなくて、国際政治学上の大きな争点になりつつある。ハンチントンの『文明の衝突』にいう、文明の記憶がイスラムと西欧では違うとか、儒教とも違うということと、つながってくるわけです。
記憶というものをどのように考えるか、いろんな哲学者たちも書いていますけれども、これが歴史学とも繋がってくる、文学ともつながってくる、サブカルチャーともつながってくる。記憶の争い、解釈の戦争という意見もあるくらいですが、これはやはり従軍慰安婦の証言、カミングアウトから始まったと私は思います。それが九〇年代の新しい状況です。じつは七〇年代に、従軍慰安婦について千田夏光さんという人が書いているんですけれども、その時には全然問題にならなかったのは、いったい何だったのか。やはり九〇年代にカミングアウトがあったことが非常に大きな問題だと思います。
これが国際的な問題になりつつある。従軍慰安婦の問題は国際法廷も国連も責任者処罰と情報公開を求めているわけですね。これに対して日本政府は沈黙を守って、もう決着がついた問題として扱っている。ここに日本という国民国家の世論と世界世論との相違がある。
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「歴史主体論争」とは何か |
そこへ歴史主体論争というのが出てきたわけですね。最初に言いましたように、湾岸戦争からずっと内在派の主張があったわけですが、この論争の争点は私自身の整理では五つあります。一つは戦後日本人の人格分裂という問題。二つ目は押しつけ憲法の問題。三つ目は昭和天皇の戦争責任の問題。四つ目は戦死者の弔い方、哀悼の問題。五つ目は国民共同体と公共性の問題。
戦後日本の人格分裂という問題は、五五年体制の時に護憲派と改憲派、つまり革新派と保守派の対立があった。革新派は加藤典洋さんの言葉によれば「外向きの自己」ですけれども、国際的な普遍性のある理念、戦後民主主義とか平和主義から平和と戦争の論理を立てる。保守派の方は「内向きの自己」で、祖国とか天皇とか日本民族の伝統というところから論ずる。このように外向きの自己と内向きの自己が分裂している。本当にアジアの戦争被害者に謝罪するためには、この日本の人格分裂を克服して、統一した主体、日本国民という主体を立ち上げなければならない。この加藤さんの主張に対しては、すぐに批判が出てくるわけです。つまり日本という国民主体というものを、内部だけで作ると純粋なナショナリズムに行くのではないかという意見とか、他者がなければ自己という主体ができないんだという批判が出てくる。
押しつけ憲法というのは、要するにアメリカの圧倒的な軍事力で押しつけられたという捩じれを直視しない自己欺瞞からは、本当の平和というのを出てこないというのが加藤さんの主張です。これは僕とインタビューした時に、「まともに平和について考えるなら、『平和憲法があるから平和が大事』ではなくて、逆にこれをささえるための憲法がなくても、平和の大事さを考えるという仕方がなければいけない。それを、どう作るかというのが」これからの問題意識だと言っています。もういっぺん「選び直し」、つまり国民投票をやってゼロから選び直さなければ、憲法論議は永遠に分裂すると。これに対して高橋哲哉さんは、純粋ナショナリズムだと批判します。国民主体の起源から他者の痕跡を一掃する、一種の純粋な主体の哲学だと。憲法をなぜ選び直さなければならないのか、もうほとんど定着しているではないかという論も含めて言っているわけですね。
昭和天皇の戦争責任問題ですけれども、加藤さんの意見は橋爪大三郎さん、竹田青嗣さんとの共著『天皇の戦争責任』という本でまとまって述べられています。いちばんの特徴は、昭和天皇の責任は臣民に対する責任であって、何よりその考えの下で死んでいった自国の兵士たちに対する責任に他ならないということです。そしてその三千万のアジアの死者に対する責任は、天皇でなく日本国民にあると。加藤さんの責任論では昭和天皇には法的・政治的責任はないということになりますね。つまり道義的な責任になります。加藤さんが言っているのは、昭和天皇は戦前の詔勅の署名者である責任を、敗戦時、あるいは占領終結時にはっきりさせなかったことがいけない。つまり退位をすべきであった。昭和皇の戦争責任ではなくて、戦後責任があると言っています。これは「なぜすめらぎは人になりしか」と言った三島由紀夫さんの英霊論と似ていますが、ちょっと捩じれている。
橋爪大三郎さんの昭和天皇の責任論は、大日本帝国憲法と現憲法は帝国議会で連続していることから出てきます。法的に戦前の大日本国帝国憲法の立憲君主の下で考えていくと、天皇というのは非常に合理的な立憲君主であった。だから法的な責任はないというのが橋爪さんの合理主義的な考え方です。
それに対して高橋さんたちは、兵士たちは天皇の名によってアジアの人民たちを虐殺した、昭和天皇のために闘ってきたのだから、昭和天皇はやはりアジアの死者二千万人にも責任がある、というような言い方になります。
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「内在」と「関係」 |
第四点の戦死者の弔い方が、いちばん大きな論争点になりました。革新派は日本の侵略戦争で殺された二千万のアジアの死者への謝罪がまず先だとして、自国の三百万の兵士とか空襲で死んだ死者を「汚れた」死者として顧みていない。これは加藤さんの考え方です。保守派は逆に二千万のアジアの死者を顧みず、日本の兵士を靖国神社に祀って英霊にするという虚妄に陥っている。だから結局ジキルとハイドになって、これがいつも日本の口先だけの謝罪、そしてまた失言ということの繰り返しになっている。
それをどうしてなくすのかということに関して、加藤さんは僕のインタビューに答えて、「われわれ戦後の日本人は、自国の戦争の死者に向き合い、その向き合うという行為を通じて、そのことにより、他国の死者への謝罪という場所に連れていかれるような、そういう死者との向き合い方、死者の弔い方のみちすじを作り出さないとだめだ、死者の分裂という戦後の問題を解決しない」と言っています。つまり自国の死者を先に置くというふうに誤解を呼んでいるけれども、まず自国の死者を弔うことによって、他国の死者への謝罪が出てくるんだと。
加藤さんはそこを突き抜けていくという考え方ですが、そこを突き抜けないで切ってしまうのが藤岡信勝さんとか小林よしのりさん、西岡幹二さんです。加藤さんは自国の死者を無意味に死んだ死者だとはっきり言っている。あれは侵略戦争の犬死にだった、昭和天皇がそうしたんだと。これに対して小林さんとか藤岡さん、西尾さんは、それは自虐であって、あれはアジアの植民地開放のために死んでいった、日本の恋人とか妻とか郷土を守るために死んでいったのだから無意味ではない、犬死にではないと言う。ここが同じ内在的発想といっても、大きく違うところだと思います。
高橋哲哉さんはまず、靖国の論理が革新派の死者観から生まれたというのは無理があると批判します。つまり祖国のために死ぬのはべつに太平洋戦争だけではなくて、日清・日露から一貫して戦死者を祀るのが靖国神社ですから、戦後の革新派が自国の死者を考えることがなかったというのは間違いだというわけです。自国の死者を、ヒロシマ・ナガサキからずっと考え抜いて慰霊してきている。体制側でも全国戦没者追悼式をやっている。自国の死者は十分に悼んでいる、戦没者の遺族に四〇兆円も支援金を出している。ところが対外的には遺族に対して一兆円しか出していないのはおかしい、というのが高橋さんの主張ですね。
また高橋さんは、自国の死者への閉じられた哀悼は日本の戦争責任を曖昧にすると言います。閉じられた哀悼共同体が国民主体になってしまうと、アジア諸国の問題がカッコに入れられてしまうんではないかと。
もう一つ高橋さんが言っているのは、国民的な哀悼といった情動的な要求を優先させると、政治経済的な問題が抜け落ちてしまうと言います。三百万の自国の死者の中には、軍指導者、政治家と、兵士、民間人というものが全部含まれてしまう。その差を曖昧にするというわけです。
自国の死者と言った時に、これは加藤さんと小林よしのりさんが共通している点ですが、非常に身近な人間をイメージしています。祖父とか父から始めると、家族レベルと国民レベルとを混乱させてしまって、アジアの死者は他者として排除される。ここが非常に難しいですね。とくに小林さんの戦争論は、祖父がどういう戦争体験をしてきたか、ほとんど自慢話も含めて、そういう問題から入っていくわけです。ごく私的な戦争体験になると、また従軍慰安婦の問題とか生体解剖とかいろんなことがあるわけで、自分の父が、祖父がいったいどういう行動をしたのか、それが裁けるか裁けないのか、という問題が大きく出てきてしまうんですね。ドイツの映画で、最初は父を信じていたんだけれども、父が収容所でユダヤ人虐殺に関与したことが分かって、子供が父を裁くという話がありました。
ここがまたフェミニズムとの絡みになってくるんです。女性の国民化を進めていくと、男と同じようになっていく。湾岸戦争の時に、アメリカは女性兵士を大量に使ったわけです。女性の権利を男と同じにするのフェミニストの願望だったわけですけれども。イラク軍と戦った時に、若い兵士が横を見たら全部女性の兵士だった。小林よしのりは女性のために戦うというけれども、逆に女が男のために戦っている。女性と男性の同権化が女性の国民化になっていくと、ナショナリズムを越えられるのかどうか。脱国民化ができるのかできないのか。国民国家をどうやって乗り越えるのかが、非常に難しい問題です。
小林さん、西岡さん、藤岡さんたちは、共同性イコール公共性イコール国民国家、一本の線につながっていくわけです。しかし加藤さんは徹底して共同性から入っていくわけですね。つまり、われわれという日本人の意識は内在的にずっとあるわけだから、これを国家とか公共性よりも根底に置く。加藤さんの考えているは、新国学に近い。
つまり本居宣長から柳田国男、小林秀雄へとつながっていく、日本土着の郷土の共同体の中の民衆の「われわれ観」と言いますか、まとまりの意識と言いますか、そういうものを国民国家の基底に置くわけですね。
加藤さんは内在から入って関係にぶつかると言う。つまり個人として自立している人間がつながって公共性の意識になるためには、徹底してまず内在から入っていって、関係の、外部の他者という絶対性にぶつかって、そこで転換しなければいけないというのですね。これをやらないと、聖戦論という正義の戦争論を乗り越えられないし、国民国家も乗り越えられないと。これは女性の国民化ともからんで、九〇年代、どうなっていくのかという問題が一つあると思いますね。
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