準備書面(7)
法の支配の回復と裁判所の責務
違憲立法審査権の発動の必要性
2005年7月12日
東京地方裁判所民事第43部合議係 御中
原告 石川 文恵
イラクの治安は悪化の一途を辿り、内紛の様相を呈してきている。イラク民衆の犠牲者は言うまでもなく、米兵も03年3月開戦以来、死者の数は減るどころか増えつづけ、05年6月現在で1700人を超えた。サマワの自衛隊宿営地への攻撃や、自衛隊の車両を狙った爆破も、6月以降、起きている。7月7日には、イギリスのロンドンで同時テロが発生し、いよいよ、日本もテロのターゲットとしてすでに名指しされている以上、テロへの警戒は現実味を増すことになった。
資本主義社会であれ、社会主義社会であれ、時の支配者は権力を握ると暴走する。それに歯止めをかけるのが憲法であり、三権分立である。それは、民主主義の根幹であり、司法が司法の独立を放棄し、立法、行政に対し、なんらチェックの機能を果たさないなら、もはや裁判所の存在意義が失われる。
長沼ナイキ基地訴訟第1審判決(札幌地裁判決1973.9.7)では、次の場合、裁判所が憲法判断の義務を負うと、説明している。
- 国家権力が憲法秩序の枠を超えて行使され、それゆえに憲法の基本原理に対する黙過することが許されないような重大な違反状態が発生している疑いが生じ、かつ
- その結果、当該訴訟事件の当事者をも含めた国民の権利が侵害され、または侵害される危険があると考えられる場合において
- 裁判所が憲法判断以外の方法によって訴訟を終局させたのでは、当該事件の紛争を根本的に解決できないと認められる場合、
がそれである。
政府は周辺事態法・テロ特措法・有事法制そして、イラク特措法と次々と違憲の法律を制定してきた。しかし、これについて司法が判断を示さないため、国の暴走が続き、次々と違憲の既成事実が積み重ねられている。一方、政府はこれらの立法が違憲であると自ら承知しているので、改憲とか創憲とかの議論をしている。これらのことは。三権分立の法治国家であれば許されることではない。
まず司法がイラク特措法が憲法違反である、と判示し、行政はその違憲判決に従い、現在の自衛隊の海外派遣を中止させる。行政が違憲とされる立法を法案として成立させたいのであれば、その憲法に抵触する条文について改憲の提案を行なうべきである。憲法違反の行為を先に行なって、それから改憲するなど、全く非条理であり、法治国家とはいえない。
民衆訴訟において、憲法20条政教分離原則の愛媛玉串料訴訟、憲法15条普通選挙の保障、選挙区定数配分による無効確認訴訟等は、いずれも付随的違憲審査制ではなく、抽象的違憲審査制による憲法判断を行なっている。
砂川事件最高裁判決(1959.12月)の「一見極めて明白に違憲と認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外」という判例を用いて、これまで裁判所は、国の安全保障に関わる事柄についての憲法判断を避けてきている。しかし、いつまで、この半世紀前の判例に固執し続けるのだろうか。仮に、この判例を採用したとしても、今回のイラク特措法による自衛隊の海外派兵は「一見極めて明白な違憲」と判断し得るものであり、裁判所は充分審理を尽くし、憲法判断を行なうべきである。