準備書面(2)
2004年12月15日
東京地方裁判所民事第28部 B合議係御中
原告 野村瑞枝
<はじめに>
10月19日付けの準備書面(1)で羅列した判例時報等の引用からわたくしが何を学んだかをまず簡単にのべます。
被告は多数の判例によって繰り返し明確にされているから私の平和的生存権の具体的権利生はないんだと主張しますが、多数の判例によって繰り返し明確にされてもくつがえされた事実があるという例を証します。河川の氾濫等による水害訴訟です。甲第9号証の1は大東水害訴訟を契機にそれまで勝ち続けていた水害被害者たちが敗訴してゆくありさまが書かれていますが、それまではなぜ勝てたのかというと『判例法として確定していた』(同証24頁)からです。確定していたはずの判例法が大東水害最高裁判決でひっくりかえされます。すると今度はそのひっくりかえされた判例に下級審が従ってゆきます。こうして国家や地方自治体は河川の氾濫等の被害の補償から免れることができたのです。これはこれで大変大きな問題を含んでいますが、今回は『判例として確定してもそれは国側の都合によってくつがえせる』という事実だけをあげました。
では本題に入ります。数字からみた『平和的生存権の具体的権利生』についてです。
<1.答弁書から出てきた三つの数字は
何を示しているか?>
三つの数字とは以下です。
ア. 2548
イ. 12
ウ. 5-23-32<2.2548人は、
暇でお金あまっていたから
具体的被害もないのに裁判を始めたのか?>
この2548という数字は、原告の数です。
被告が答弁書であげている『平和的生存権には具体的権利生がない』との判決が下された13例の原告は全部で何人になるんだろうと思い、判例時報で原告の数を調べ、一審、二審、三審の数を足して合計を出した数です。百里基地の原告数はわたくしには正確に数えられませんでした。一審の原告は2人ですがそのうちの一人は本訴原告反訴被告で、もう一人は本訴被告で反訴原告です。この本訴反訴含めて一審というわけで実にわかりにくい裁判です。それによくこんな事件を被告はわたsくしへの答弁書に書いたなあと不思議で仕方ないのは、これはもともと土地所有権の帰属をめぐる純粋の民時事件(判例時報--以下判時という--842号22頁)なのです。判例を読んでも『払った払わない』ばかりがえんえんと続きます。(判時 同号、1004号、1318号)。この裁判の最高裁判決は『国が行政の主体としてでなく私人と対等の立場で契約したのであるから・・・私人間の利害関係の調整を目的とする私法の適用を受けるにすぎない』(判時1318号)というもので、こんな裁判を例に持ってくるなんてわたしくしをバカにしているとしか思えません。わたくしはお金の貸し借りで被告を訴えているのではないからです。
が、とにかくこういう裁判の原告(控訴すれば控訴人になるし控訴されれば被控訴人になる)の数を合計したのが2548人でした。延べですから決して多い数ではありません。でもこの数がもっと少なかったとしてもわたくしが受けた一種の力強さは変わらなかったでしょう。2548人のひとたちが、『おまえたちの訴えには具体的権利生がないんだよ』と言われ続けながらそれでもあきらめずに『次は高裁だ』『まだ最高裁がある』と裁判をした事実がこの数字に表れているからです。わたくしはこの数字こそが何よりも明確に被害の具体性を示し、裁判しなければ気持ちがおさまらない被害の重さ大きさを具体的にあらわしていると考えます。2548人は全員負けています。たいていは見事に一審で大負けです。一審で見事に勝った長沼ナイキは二審三審で徹底的に負けています。『最高裁は決して国民を勝たせてはならない』という、強いしばりがあるんじゃないかと疑いたくなります。しかし、この2548人が具体的権利生がないといわれながらも具体的に被害があったからこそ具体的な訴訟という形を借りるほかなかった事実を消すことは誰にもできません。(甲第14号証)
<3.13年間に裁判長は担当裁判官に
国を勝たせるように示唆した手紙を出し、
それにもめげず、住民を勝たせた担当裁判官は
出世の道がとざされたし(甲16)、
二審は審議途中で結審になった>
13は、長沼ナイキと称された事件の始まりから最高裁判決までの期間です。1969年、北海道夕張郡長沼町に航空自衛隊のミサイル基地を建設するために農林大臣は山の保安林指定処分を解除してその伐採を許したが、この保安林は木の保水作用により水害を防止して水資源を確保する役割を果たしていたので地元住民が自衛隊基地建設のための森林を伐採することは認められないとして、農林大臣を相手に保安林指定解除処分の取り消しを求める訴えを起こしたものです。最高裁判決は1982年(最高裁第一小法廷)ですから1982から1969を引くと13年ということになります。13年間、これは特別長い裁判ではありません。百里基地裁判は提訴から最高裁判決までに31年間もかかっています。しかし長沼ナイキが短いのにはわけがあります。札幌高裁の審議が第9回口頭弁論においいて突如結審されたからです。これについては判時821号に詳しく解説されています(3頁から20頁まで/長沼控訴審判決をめぐって)。
とにかくこの13年間という数字は、『住民側が勝った一審の判決内容』と『二審の訴訟指揮内容の不透明さ』があまりにもきわだって違うので、その点からも次回に持ち越して詳査しなければと考えています。
<4.5-23-32 日本国憲法の柱の一つに、
主権在民があるが、憲法はこのことを5津の言葉で表現し、
これは23の条文の32の場所に出てくる。
被告はこういう人々に平和的生存権がないと言い続けている>
憲法に出てくる主語で国民を言い表している言葉にどんなものがあるか調べてみたら5つありました。あわてものですからぬかしているかもしれません。
1.日本国民は
2.われらは
3.国民は
4.すべて国民は
5.何人も
の5つです。
- 日本国民は は、憲法前文に3箇所出てきます。
- われらは は、前文に2箇所です。
- 国民は は、11条、12条、30条です。
- すべて国民は は、
3条、14条、25条、26条の一項、二項、27条です。
- 何人も
16条に二箇所、17条、18条、20条の一項、二項、22条の一項、二項、31条、32条、33条、34条に二箇所、35条、38条の一項と三項、39条、40条です。23は、上に記した条文の総数です。
32は、総数に条文に何カ所か出てくるものを合計した数です。なお、憲法前文について長沼ナイキ高裁判決は『憲法前文は、その形式上憲法典の一部であって、その内容は主権の所在、政体の形態並びに国政の運用に関する平和主権、自由主義、人権尊重主義等を定めているのであるから、法的性質を有するものといわなければならない』と記しています(判例時報821号30頁)。また、『さらに前文の第三項は、自由、基本的人権尊重、国際協調を含む平和をわが国の政治における指導理念とし、国政の方針としているものということができる』と続けています(同上同頁)。わたくしはまさにこの判決で主張している国際協調を含む平和が政治道徳の面から侵されている事実を遺憾として今回の訴訟にのぞんだのです。
<今回のしめくくり>
次回準備書面(3)では、地裁や高裁でどんなに有利な判決が出てもどうせ最高裁ではつぶされるんだから裁判したって意味がないと思ってしまう無力感からどうすれば脱出できるかの点に迫りたいと考えています。
以上