原告陳述書
2004年08月20日
東京地方裁判所 民事第1部合2係 御中
原告 新井 治
裁判所に入って最初に気が付くのが、あの物々しい警備です。あれは2年前には無かったはずです。どうしてあのような警備をするようになったのか、詳しいことは当事者の裁判所が一番詳しいはずですが、推測するに、あれはアメリカがイラク攻撃をした後の出来事ではないでしょうか。アメリカのイラク攻撃を”日本が無条件に支持”したことから”アメリカを支持する国はイラクの敵国であるとして攻撃の対象になる”といわれたのを受けて、警備を始めたのではないですか?
かつて国士無双と言われた「韓信」は、常に”楚”の兵站部を攻撃することによって、戦いを勝利に導いてきました。先の大戦では、アメリカ軍に輸送部隊がことごとく撃沈され兵器や食糧が届かなくなって、”餓死あるいは玉砕”という結果につながっていきました。戦争とは、前線と兵站部を持って成り立つのです。拡大すればそれを作る工場・人・農家まで含むことになります。対戦相手にとって、相手の国そのものが”敵”になります。後方支援だから大丈夫。燃料補給だから問題ない。兵隊でも武器を携帯しなければ輸送しても戦闘行為に当たらない、という世界に通用しない珍回答で国民をごまかしているのは”日本国”でしょう。今の自衛隊の活動は、”人道支援に名を借りた戦闘行為”です。このことからして日本は、イラクから攻撃対象にされるのは自明の理であります。
またイラクでは、奥参事官をはじめ、日本人への拉致・殺害がなされております。どうして、私たち日本人が、命を狙わなければならないのですか。どうして、私たち日本人が、命の危険を感じなければならないのですか。これはみな、小泉首相が自衛隊をイラクに派遣したからです。日本のこのような行動が、私たちの命を危険にさらされることにつながったのです。これこそ生存権の否定ではくて何にあたりましょう。
イラク戦争の中で、不思議な使われ方をしている用語があります。「テロ」です。「テロ」とは”悪”と同意語として用いられておりますが、広辞苑によると「テロ」とは、暴力を用いて世人を恐怖させること、と書いてあり、「防衛」とは防ぎ守ることと書いてあります。そしてまた、「ゲリラ」とは遊撃戦を行う小部隊とも書いてあります。今回のイラク戦争の場合、暴力を用いてイラクの民衆を恐怖のどん底に陥れたのはアメリカではありませんか。当時イラクには大量の査察団が入り、大量破壊兵器の探索を行っておりました。しかしいくら調べてもでてこない、しかも”調査団”が調査を続行すると言っているのに、”発見されないからといって無いとはいえない”などという珍発言にみられるように、攻撃を受ける危険が無いのに”やられる前にやっつけろ”とばかりに攻撃を仕掛けたのはアメリカではありませんか。アメリカこそ「テロ」国家ではありませんか。
アメリカは、ソ連軍に反抗する部隊を反政府組織あるいはゲリラ活動と言っておりました。今回、侵略を受けたのはイラクです。その侵略国に対し反抗している人間・部隊をなぜ「テロ」呼ばわりするのでしょう。侵略されたら反抗するのは当然の理です。日本人だってそうでしょう。外国から侵略されたら抵抗するでしょう。そのために今回は、合憲違憲は別にして、武力攻撃事態法なる法律も作ったではありませんか。アメリカを攻撃している彼らこそ侵略国に対するゲリラ戦士ではないですか。要するにアメリカは、アメリカに敵対する国を「悪の枢軸」、部隊を「テロ」、人を「テロリスト」と呼び、アメリカに味方する国を「同盟国」、部隊を「ゲリラ」と呼んでいるにすぎません。恐れがあるというだけで、他国を蹂躙する事が許されるのか。広辞苑に従えば、アメリカこそ「テロ国家」です。日本は、アメリカの言いなりになって、アメリカの言うとおりに言葉を使っておりますが、大きな誤りにつながってしまいます。注意すべきです。
日本はこれまで、イラクに対し1250億円の資金援助(04.7.19朝日)をしてきましたが、さっぱり効果をあげておりません。朝日新聞(04.07.19)によると、ムサンナ州のアハメド・マルゾク議長は日本の支援に失望感を表明とあるように、人道支援・人道支援といいながら、全く効果が上がっていないのが実情です。派遣自衛官は、自分の行動を徒労には終わらせたくないので、懇談会の中で現地の人に喜ばれた。効果が上がったと言っておりましたが、日本人の評価ではなくイラク人の評価で判断すべきです。今のままでは「テロ国家アメリカ」を支援するだけの援助になってしまいます。また、自衛隊を派遣する「安全な場所」という前提条件は完全に崩壊しております。1250億円は我々の血税です。ドブに捨てるような無駄な使い方はしてほしくありません。もっと本当に生きた使い方をしてほしいものです。人道支援の仕方が問われております。
59年の「砂川事件大法廷判決」のなかで、”一見きわめて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであって”のくだりがあります。また、「新しい憲法の話」の中の46ページに、『裁判所は、国会で作った法律が、憲法に合っているかどうかしらべることができるようになったことです。もし法律が、憲法にきめてあることにちがっていると考えたときは、その法律にしたがわないことができるのです。だから裁判所は、たいへんおもい役目をすることになりました。』と書かれております。今の日本は、世界第3位といわれる軍事力を装備しています。世界第3位の軍事力は、誰が考えても憲法違反です。当時は、これほどまで自衛隊が拡大膨張するとは考えられなかったのでしょうが、今の自衛隊が59年の砂川判決時に存在していたなら、”きわめて明白な違憲状態である”と認めたはずです。そのときの司法判断の忌避が、現在の自衛隊の違憲状態を造り上げてきたのです。“違憲状態”を改正するか放置するかは立法の裁量であり、違憲状態の修正は困難であるからといって、違憲か合憲かの判断を忌避すべきでは無いと考えます。少なくとも司法は「新しい憲法の話」の趣旨に則って、将来への禍根を残さない上からも合否の判断をしなければいけないと考えます。是非明確な判断を期待いたします。