平成16年(ワ)第6503号 違憲行為差止等請求事件
原 告  石 川 文 恵
被 告  国

陳 述 書

2005年7月12日

東京地方裁判所 民事第43部 合議係 御中

原 告  石 川 文 恵

 精神的自由に対する権利侵害について、陳述します。

 今の社会には、市民一人一人の思想・信条の自由を押しつぶそうとする動きが急速に広がっています。特に、米英によるイラク戦争と、それに続く自衛隊のイラク派遣を契機に、その動きは明確になってきています。つまり、市民の自由な表現や政治的発言に対して、「権力による弾圧」に等しいことが、半ば平然と行われるようになってきました。

 たとえば、昨年2月27日、東京都立川市の自衛隊員宿舎の郵便受けにイラク派遣に反対するビラを入れただけで、3人の市民が、公安警察によって住居侵入で逮捕され、75日間も勾留されてしまいました。他人の住宅に無断で入って郵便受けにビラやチラシを入れるだけで、住居侵入の罪に問われるのなら、日本中のセールスマンが犯罪者となります。3人は起訴されましたが、裁判では、被害届も警察自身が用意していたことなどが明らかとなり、無罪の判決が出されましたが、検察側は控訴しています。

 また、東京都杉並区にある公園の公衆トイレに、「戦争反対」「反戦」「スペクタクル社会」と落書きをした24歳の青年が03年4月17日、警視庁荻窪署に器物損壊容疑で、現行犯逮捕されました。彼は、5月30日に保釈され44日間にわたり勾留され、この間に、建造物損壊容疑へと罪状を“格上げ”されて、起訴されました。建造物損壊は、最長で懲役5年に処せられる重い罪です。判決は、懲役1年2ヶ月、執行猶予3年となりました。落書きはよくないとしても、処罰するのなら、軽犯罪法違反が妥当です。公衆トイレにはたくさんの落書きがありますが、「反戦」という政治的メッセージだけを狙い撃ちしたことは明らかです。しかも、彼のアパートは家宅捜査を受け、賃貸契約書も押収されました。

 立川でビラ入れした3人が逮捕されたのは、昨年2月27日(実際のビラ入れは1月17日だった)で、この日は、自衛隊の本隊がサマワに入った日です。また、トイレの落書きで青年が逮捕された頃といえば、折しもイラクに侵攻したアメリカ軍が、首都バグダッドを陥落させた一週間後ですし、イラク軍の拠点ティクリートが制圧された2日後です。さらに日本では、アーミテージ米国務副長官の強い要求もあり、復興支援のため現地に自衛隊を派遣しようというムードが、政府部内で急激に高まり始めた時期でもあります。

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 市民が自由に意見を表明し、行動できることは、民主主義の土台です。言うまでもなく、事由な意見表明の中に、国策批判もあってよいはずです。しかし、今挙げた2つの事件だけみても明らかなように、国策に反する主義・主張が恣意的にターゲットにされ弾圧されています。学校現場では、日の丸掲揚・君が代斉唱に反対する教師たちが処分され続けています。卒業式の日に、校門の外で、「日の丸と君が代を強制しないで」というビラを配っただけで、やはり逮捕された人もいます。埼玉県では、「埼玉県迷惑行為防止条例」が4月1日より施行されました。その内容は、

  1. 迷惑ビラ等の配布などの禁止(公共の場所において、通行人に対して配布すること、住宅などの郵便受けに差し入れたりすること、など)
  2. 違反者に対する罰則(50万円以下の罰金、または勾留もしくは科料が科される、また常習者には、6ヶ月以下の懲役または50万円以下の罰金)
  3. 使用者責任(違反した者だけではなく、その者を使用した法人や代表者にも、50万円以下の罰金)

…というものです。
 さらに個人情報保護法や人権擁護法案、青少年社会環境対策基本法案、そして、憲法改正国民投票法案など、特に「報道の自由」の担い手であるメディアへの規制の動きも加速しています。

 憲法第19条「思想、良心の自由」、第21条「表現の自由」などで保証されている精神的自由が明らかに侵害されています。未だ戦闘の続く海外の戦地へ自衛隊が派遣されたことは、自衛隊が発足して以来、初めてのことです。世の中が戦争へ向かう時ほど、言論の不自由な社会になっていくことは、歴史を見れば明らかです。多様な考え方が否定され、特定の価値観が押し付けられ、少数者の意見は仰圧されます。何よりも、政府批判の自由が奪われるという民主主義社会の土台をひっくり返す暴挙が既成事実化していきます。

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 最近、「戦争の狂気」というものを考えざるを得ません。

 たとえば、「新聞は戦争に反対できるのか」というタイトルで、鎌田慧氏(ルポライター)が次のように述べています。

「新聞が戦争に弱いのは、経営者の思想の問題以前に、社員が部数競争の誘惑に勝てないからである。民衆が戦争に熱狂すると、それに水をかけるよりもそれに追随したほうが部数がでる。従軍記が貪るように読まれるのは、出征した家族の消息をたしかめたいばかりではない、愛国心の昂揚という要素もある。」(市民の意見30の会・東京ニュースNo.74より)

 戦争は、どこか人の精神を狂わせる要素を持っているようです。たとえば、オリンピックの代表選手の活躍を見るときや、サッカーの外国との試合を観戦するときの一種独特の「魂を慄わす」作用と共通するようなものです。つまり、日の丸を背負って(日本の名誉のために)、精一杯頑張っている姿に対して、熱狂的に声援を送ってしまう、他の人々との一体感に心地よさを感じてしまうなどです。立花隆氏が自らの著書「イラク戦争 日本の運命 小泉の運命」(講談社)の中で、河合栄治郎の戦争論「国際的不安の克服」(昭和9年)より、戦争の持つエモーショナルな衝撃力を強調するという文章を引用しています。以下紹介します。

「戦争の脅威があるときに、解決さるべき一切の問題が看過されてしまうほど、国民の眼はただ戦争にだけ注がれる。
(略)
戦争という問題の前に立つ時に、われわれは自らの心の中にさえ異様なる対立を意識しないであろうか。冷静な書斎のうちに理性の声を聴く時に、それは戦争に対して一つの態度を指示するであろう。だが街頭に出て軍事物語を聞く時に、戦争映画を見る時に、およそ前とは異なる思いに胸の躍るのを禁じえまい。本能かと思われるほどに、祖国のための戦争は、われわれの魂を慄わす力を持っている。いかなる問題についても、しばしば力を現す彼の理性と本能との葛藤は、この問題について、拡大されて現れてくるではないか」

 たしかに、イラクに派遣された自衛隊は、戦争をしに行っているわけではないでしょう。しかし、胸にも腕にも日の丸をつけた自衛隊員が、日の丸をつけた車でイラクの地を走りまわり、「人道復興支援活動」を行なうというシーンだけで、すでに十分な日の丸のシンボル効果は発揮されています。昨年の自衛隊派遣直後、マスメディアはくり返しくり返しこのシーンを放映し続け、当初、派遣反対の世論が圧倒的だったにもかかわらず、逆転させてしまいました。(もちろん、日本人に多い現状肯定意識「もう、行ってしまってるのだから、とやかく言うのはやめよう」もあると思います。)

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 理性をもって客観視すれば、自衛隊派遣はアメリカのイラク侵略に加担することであり、間接的にせよ、イラクの人々を苦しめることになります。国内的には、前代未聞の超ど級の憲法違反、法律違反になります。しかし、戦争の持つエモーショナル(情緒的、感情的)な衝撃力は、人々から理性を奪います。私は、何よりもこのことが怖いのです。前述したように、市民の自由な表現や政治的発言に対する「権力による弾圧」も怖いし、もちろん許しがたいことですが、理性を失った人々がそうでない人々を弾圧する、つまり、「人々による人々への弾圧」に底知れぬ恐怖を抱きます。

 映画「ロード・オブ・ザ・リング」のあの指輪のように、「戦争」という魔物は、多くの人々の心を狂わせ、支配し、傷つけるものです。絶対にあの指輪に近づいてはいけないのです。

 イラクの治安はますます悪化しています。サマワも例外でなく、自衛隊の車を狙った爆発物が爆発したり(6月23日)、宿営地内に迫撃砲やロケット弾が撃ち込まれたり(7月5日)しています。万が一、自衛隊員に犠牲者が出た場合、世論はどう動くでしょうか。即、派遣を中止し、撤退すべき、小泉首相は退陣すべき、という声はきっと上がるはずです。しかし、それ以上に、それとは正反対の世論が大きく沸き上がる恐れがあると、私は予想しています。万が一、自衛隊員に犠牲者が出た場合のシナリオは、十分に練られているはずだからです。前述した立花隆氏の著書より、氏の描くシナリオを紹介します。

「死者が出ると、小泉はすぐにイラクに飛んで、日の丸で棺を覆った遺体とともに日本に帰ってくる。自衛隊の儀仗兵たちが、厳粛な葬礼の音楽とともにそれを迎え、空港でも墓地でも、厳粛なセレモニーが繰り返される。犠牲者は手厚く国葬の礼を葬られる(天皇ならびに三権の長、三軍の長、国会議員、政府高官の多くが臨席。そのあと遺族が望めば、靖国神社にも祀られる)。
   (略)
小泉は犠牲者たちが危険をかえりみずに国家につくした勇気と犠牲的精神の高貴さをほめたたえ、「私と日本国民は全員あなたたちを誇りに思います」、
「あなたたちの死を無駄にはしません」といい、涙をぬぐおうともせず、国民に」こう呼びかける。
「ここで引いてはなりません。ここで撤退することは、彼らの遺志を無にすることです。
   (略)
テロに屈せず、我々に国際社会から託された任務を果たそうではありませんか。この尊い犠牲の上に立って我々の義務を果たしつづけることが、日本国憲法にいう、国際社会において名誉ある地位を保ちつづけることになるのです」こういうシーンが、くり返しくり返しテレビで報道される…(略)」

 そして、さらに一気に次のシナリオへと導かれていきます。

『これだけ大きな犠牲を払って国のために尽くしてくれる自衛隊を法的に認知しないで、いつまでも日陰者の地位に置いておくというのは、日本の恥です。これから自衛隊に国際貢献活動をどんどんやってもらうためにも憲法は改正すべきです』という小泉の主張にみんな共感するようになり、憲法改正、自衛隊完全認知、日本の軍事力行使の容認という方向に一挙につき進んでいきかねない…」

 私は、このシナリオが、空想力豊かな立花氏のフィクションにすぎない、と簡単に受け流すことができません。日本人は伝統的にエモーショナルな民族です。なぜなら、大きく世論が動くときはたいてい理性的判断ではなく、情緒的感情的要因によるからです(たとえば小泉人気、北朝鮮に対する意識など)。本人の自覚のないまま精神的自由が容易に奪われてしまうことは、60年前の日本を振り返れば明らかです。

 私は、精神的自由への権利侵害がこれ以上進行しないよう、冷静かつ客観的な司法の役割が今こそ十分に発揮されることを、心から願うものです。

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イラク派兵違憲訴訟の会・東京
会としては2007年9月 解散しました。
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