陳 述 書(甲1号証)
2004年10月26日
東京地方裁判所 民事第45部合議A係 御中 門 脇 恭 代
「イラクに大量破壊兵器はなかった」、この事実が明白になっても小泉首相はアメリカによるイラク攻撃を支持しつづけている。
「問題の核心はイラクが自ら保有する大量破壊兵器、生物兵器、化学兵器を廃棄しようとしないこと、国連の査察に無条件、無制限に協力しないところにあります。」と、イラクの大量破壊兵器を戦争支持の理由とした。
フセイン前大統領の拘束前には、
「大統領が見つからないといって、いなかったとは言えない。大量破壊兵器もみつからないからといって、なかったとはいえない。」と国会で述べた。
そして今、過去の判断を過ちではないと言う。
小泉首相のイラク問題に対する一連の言動を見ていると、自衛隊のイラク派遣はブッシュ大統領に対する首相個人の忠誠心の現れに過ぎないのではないかとさえ思えてくる。
2004年7月3日の朝日新聞で、村山富市元首相は、「自衛隊派遣は枠をはずしている」と述べたとある。多国籍軍参加はいわずもがなであろう。10月2日の朝日新聞に「集団自衛権、9条では無理」という見出しで「阪田雅裕・内閣法制局長官に聞く」という記事がある。少し紹介したい。
内閣法制局の役割は?
- わが国は憲法を頂点とする法治国家なので、法令が矛盾無く整備されるように目配りするのが役割。もう一つは憲法の場合、各省に共通した理解がないといけない。国会に提出する法案が憲法に違反しては政府としての責任を果たせないし国民生活にも混乱を与える。
憲法の番人と言われるが?
- 内閣の補佐機関として意見を言い、最終的には内閣が意見の採否を決める。首相が「違う」と言えば法制局の意見は政府の意見にはならない。
政権が変われば法律の解釈が変わることもあるか?
- 法律は基本的には政権を超えていると思うので、政権が変わって解釈が違うとしたら、法治国家とは言わない。政権が変わって政策が適当でないと考えるなら、その政権がめざす政策を盛り込んだ法律を制定するということ。
多国籍軍参加について
- 当時、今回のような形態での参加は頭になかったとは言える。あれば「参加にもいろいろな形態がある」と言っただろう。
「集団的自衛権の行使は可能」という意見があるが。
- 政府は、「わが国が武力攻撃を受けて、国民の生命、財産が危機にある時に黙って見ていることは国家としてありえない」という立場をとってきた。国家の最低限の義務として自衛権は行使できる、という立場である。ただ、集団的自衛権はそれを越えていると考える。9条で集団的自衛権の行使が可能だとは読めないと思う。
憲法98条順守義務を引き合いに「国際法上権利があるのに行使できないのはおかしい」という議論もあるが。
- 主権国家が国際法上認められる権利の行使を国内法で自制することはあり得ること。仮に日本が集団的自衛権を行使できるとすれば、わざわざ9条があるのはなんのためだろうか。おそらく日本国民が「平和憲法」と考えてきた感覚と違うと思うし、歴代政権の理解とも違う。世界の大多数の憲法と日本の憲法は何も変わらないということになり、ことさら平和憲法だというのはおかしい、となる。
以上
「人道復興支援」とは銘うっているが、
- 軍の大儀なき戦争に加担することになる。
- 武力行使をともなう多国籍軍参加は憲法上ゆるされない。
という点でも、イラクへの自衛隊派遣は違憲である。
原告は小学校の教員だった。6年生の社会科では日本史を学習する。卒業真近の3学期に学ぶ「日本国憲法」。
前文は6年生にはやや難解な言葉遣いではあるが、読み込むにつれ、内容の深さ崇高さに引き込まれ、人として豊かに生きる権利と自由を保障する国家を目指そうとする心意気に感動を覚える子も多かった。
「民主主義」「平和主義」「主権在民」をうたう憲法を学ぶ喜びと誇りをこども達と共有できることは幸せだった。
9条に関しては、PKO(国連平和維持活動)派遣の頃から陰りを感じ始めてはいたが。
原告にとって、小泉首相の自衛隊イラク派遣の際述べた憲法前文の引用は、青天の霹靂、発想の意外性ともいうものであった。解釈のしようによっては、崇高な前文も、解釈者に都合のいいものになるのだと、しみじみ思ったものである。たとえそれがこじつけのようなものであったとしても。
自衛隊のイラク派兵を許し、多国籍軍参加を黙認しているうちにも、やがてはアメリカとの協調路線ということからテロによる爆撃を受けることもあるかも知れない。身を守るために武器も使用することにもなるだろう。
緊張は高まり、軍備を強力にしようとし、武力への依存はより大きくなるだろう。
イラクに出兵していない国との溝は深まり、泥沼化したイラク情勢をもたらしたアメリカと共に、日本は世界の国々から孤立していくだけではないか。
政府のめざす国際協力とは程遠い道を歩むことになるのではないかと、憂慮する原告である。