原告陳述書(甲3号証)
2005年4月19日
東京地方裁判所 民事第45部合議 係 御中
原 告 門 脇 恭 代
原告が住んでいる藤沢市の辻堂駅は、最近になって、構内に、食べ物屋、マーケット等が出来て少しずつ商業化されてきましたが、近辺の駅に比べると素朴さも残り、夕日に染まる富士山も見えるのどかなところです。
ついこの前、電車を降りて階段をくだり、マーケットの駐輪場に目をやると、「テロ特別警戒中」という黒々した字が飛び込んできました。住み慣れた町の空気とは異質の印象に、一瞬緊張感を覚えました。いよいよ辻堂も〜という思いでした。
我が家の上空は、厚木と横須賀の基地を結ぶ米軍機の空路になっていて、日によっては夜10時を過ぎても耳をつんざく金属音が響きます。一日中断続的ではあっても、飛び続ける日は、電話の声も聞き取れず、盲人用のテープの録音も出来ません。テレビも映像のみで、楽しみにしていた音楽もドラマもおじゃんになり、イライラがつのります。
イラクへの自衛隊派兵を続けることは、私たち国民が、かろうじて保とうと努力しているささやかな幸せと平和な生活に、不安と恐れを抱かせることになるでしょう。
我が家を含めて、近所もこども達が成人して、老人や障害を持つ人が増えてきました。介護ヘルパーの手をかりながら、なんとか日を重ねる一人暮らしの人もいます。生きていくこと自体がたいへんで不安なところに、社会不安が追い打ちをかけようとしています。
戦中戦後のたいへんな時代を生き抜いて、何とか安住の地を得ているお年寄りたちが、再び悲しい惨めな思いをしないようにと強く願っています。
個人的には原告は、第二次世界大戦の被害者です。
準備書面(4)の補充で陳述したように、父も義父も戦死し、私たち夫婦は父の、こども達は祖父の愛情を知らずに育ちました。母達に遺族年金はきたけれど、かけがえのない父達の人生、母達のしあわせが失われました。
時代が悪かった、戦争だからしかたがない、そんな納得の仕方で片付けてはきたものの、不条理なことだと改めて怒りがこみ上げてきます。
中学生のとき、醤油を飲んで兵役をのがれたと、得意顔で語った先生を許せませんでした。でも、彼をずるいと非難するのは間違っているのかもしれないと今は思います。
アメリカは「テロとの戦い」を理由に、武力によって世界を支配しようとする独断的な国に見えます。
国連加盟国の多くの国、アメリカ国民の反対もありながら、イラク攻撃を押し切り、反米武装勢力を武力で抑え、罪のない人々の暮らしをこわし、いのちを奪う。テロは治まることなく、憎しみの連鎖が続くように思われます。
原告は、戦争被害者の悲しみや苦しみを再び味わうのはこりごりですが、加害者の立場に立つのはそれ以上にごめんこうむりたいと思っています。どの国の誰にしても、戦禍の中の悲惨さ、残酷さを強要する権利は無いはずです。
小泉首相がイラク攻撃を支持する姿を見るにつけ、加害者としての自分を意識し、イラクの人たちの苦しみ、悲しみを思います。
他人事のように語る首相に怒りを覚えます。
戦争の被害者にも加害者にもなりたくない、憲法9条を守って武力でない解決を考えたい、戦争で亡くなった人たちの無念の思いも、それでこそ生かされるのではないかと考えるのです。