平成16年(ワ)第9989号 違憲行為差止等請求事件

陳 述 書

2004年7月29日
東京地方裁判所 民事第15部合議B係 御中
原告  大 野 道 夫

 第一回の公判に当たって,わたし自身の生い立ちを振り返りながら,この裁判を起こすこととなった,その気持ちをお話ししたいと思います。

 わたしは1931年に生まれました。この年の9月に,関東軍が今の瀋陽の近く,柳条湖で鉄道線路を爆破して,それをきっかけに「満州事変」が起こりました。32年には五・一五事件,36年には二・二六事件が起こり軍部が勢力を伸ばすこととなりました。長野県で「赤化教員」の検挙,大本教,ひとのみち教団の弾圧など,思想統制が厳しくなっていきます。37年には「盧溝橋事件」をきっかけに日中戦争が,ヨーロッパでは39年にヒトラーがポーランドを攻撃,第二次世界大戦が始まっています。そして1941年12月8日には,日本は米英両国に対して宣戦を布告「太平洋戦争」が始まりました。

 こうしてわたしは物心の付くころを戦争の中で過ごしました。あとで触れますが,わたしたちが良心的軍事費拒否の会を始めたときの共同代表である石谷行さん,沖縄良心的軍事費拒否の会代表の平良修牧師もうかがえば1931年生まれとのこと,わたしには偶然のこととは思えません。この年代に生まれた者は,戦争を忌み嫌い,平和を愛する気持ちが特に強いのだと思います。

 1945年8月15日をわたしは栃木県那須の学校の農場で迎えました。日本の敗戦で戦争の時代は終わりました。翌年11月には「日本国憲法」が発布になりました。高等学校で先生が「憲法9条は日本の悲願です」といったのが今でも心に残っています。

このページのトップへ

 1950年に,牧師になるために同志社大学神学部に入学しました。戦後の混乱期の中にありながらも,新生日本は平和主義で行かなければならないとの思いが強くありました。特にキリスト教会は,戦争中に迫害を受けたこともあってほとんどが平和主義でした。

 1956年神学校卒業とともに群馬県の教会に赴任しました。説教の中で平和を語ることもしばしばありました。1964年,足利の教会にいるときにあるメノナイトの宣教師と知りあうことができました。神学校を卒業してしばらく経つことだし,もう一度勉強してみないか,と勧めてくれました。その当時,わたしはメノナイトについて平和主義であるということくらいしか知りませんでしたが,援助をいただいてアメリカの合同メノナイト聖書神学校で学ぶことになりました。この学校で,メノナイト信仰のもととなっている聖書主義,絶対平和主義などを知りました。その当時,日本の平和運動家が「アメリカの原爆は許せないが,ソビエトが原爆を持つのはやむを得ない」などといっているのを聞きました。これは相対的平和主義とでもいうもので,すべての戦争を終わらせることはできないと思います。絶対平和主義では,どんな戦争もいけない,それは神の意志に反したものだから…と考えます。その意味では「自衛」の戦争も例外ではありません。

 日本に帰ってきてから,日野市でキリスト教の集会を始めました。どこにも属していないので自活しなければなりません。生活を立てるために英語会話教室を始めました。
 自宅でするのですからごく小規模のもので,生徒数合計20名くらだったでしょうか。

このページのトップへ

 わずかですが収入になるので所得税の確定申告をしなければなりません。まことにうかつなことですが,このとき初めて,自衛隊と自分の支払っている税金との関係に気づきました。平和を説く牧師が,自分の税金を払うことによって戦争を手助けしていていいのだろうか…と考えました。尊敬している方と相談し,同じ考えを持つ人たちと語らって,自分の所得税のうち自衛隊に使われる分は払わないという「良心的軍事費拒否の会」を作りました。1974年11月23日のことでした。

 聖書では,いわゆるモーセの十戒に「なんじ殺すなかれ」と書いてあります。主イエス・キリストは,「剣を取るものはすべて剣で滅びる」とおっしゃいました。そのようなイエスに従うものとして,わたしは自衛隊を認めることはできません。そういうだけなら,わたしの個人的な見解にすぎないかもしれません。しかし,日本には憲法があります。「日本国憲法」の前文や第9条をすなおに読めば,自衛隊は一見明白に憲法に違反しているといわなければなりません。当然,自衛隊のイラク派遣も同じように憲法に違反しています。裁判所は,これらを憲法違反であるとハッキリ判断していただきたいのです。

 日本の裁判所は,信教の自由であるとか,良心の痛みであるとかについては十分な理解を持っていないように,わたしは感じます。歴代の総理大臣の神社参拝にしても,自治体の首長の地鎮祭参加にしても「習俗」とみなしています。キリスト教なり,仏教なりの信徒にとっては,これらの行為は自分たちの良心の中にズケズケと踏み込んでくるような痛みを覚えるものです。

 聖書が戦争は罪であるとしていることを知りながら,イラク戦争を容認しているという自己矛盾。信徒に対して平和を説きながら,自分では戦争の道具である自衛隊を支えているという自己矛盾。これではわたしは「うそつき」になってしまいます。宗教者にとって「うそつき」であるということは致命的です。

 現在,アメリカをはじめ,ドイツ,オーストラリア,ベルギー,カナダ,デンマークなど十数カ国では,良心的兵役拒否を法制化して認めています。個人の内心の自由を,法律に優先するものとしているのです。信教の自由,良心の自由をここまで重く見ているのです。

 裁判官の宇田川基,石原直弥,室橋秀紀のみなさん,国を代表して来ておられる宮田誠司,山本美雪,石川さおり,峯金容子,太田修司,作沼臣英(どなたがおみえなのでしょうか?)などのみなさん,どうか良心の自由がこのように犯されることによって生じる痛みを理解してくださいますように。

このページのトップへ


トップページへもどる
イラク派兵違憲訴訟の会・東京
会としては2007年9月 解散しました。
ここでは、訴訟の記録を残していきます。
Eメール:nora@cityfujisawa.ne.jp
携帯電話 090・5341・1169