2005年 11 月18日
最終陳述書
東京地方裁判所民事第15部合議A係 御中
原 告 鈴 村 元 一
目 次
はじめに
1.「イラク特措法」錯誤に基づく立法は
○虚構の大義
○最近(05.10.25)までの被害実数
○日本の「善意の第三者」の立場はありえない
2.時代遅れとなった違憲審査制度
○伝統的判断の墨守
○注目すべきブランダイスの側面
○立法事実の司法審査請求
3.再度、権利侵害と原告適格
○平和的生存権
○納税者基本権
○原告適格と証拠調べ
1:憲法訴訟
2:証拠調べ
終わりに(暴力肯定論)
はじめに
2003年3月の開戦以来のイラク戦争の状況は、現在も残虐と不合理の連鎖が進行中であり、自衛隊の派兵は継続されています。 この事態は原告の権利侵害も継続累進されていることで、精神的苦痛は耐え難いものです。時間の経過と共に明らかにされる真実は、原告の提訴の正当性をますます明白に証明していると言えます。
結審を前にして、明らかになった「イラク戦争の真実」を再認識し、証人採用を含む事実審理を強く要望いたします。
- 「権利に関する法律論」、「違憲審査制度の非現代性」については、これまで稚拙であることは十分に自覚しつつも、生活者として原告個人の能力の限界で対処してきたと自負しています。今回の陳述では、これまでの重複に配慮しながら「ブランダイス・ル−ル」と「ブランダイス・ブリ−フ」を加えて、これまでの主張を整理したいと考えています。
原告の権利被害と提訴の真意を明察の上、現代社会に適応した判示を願い、原告の同意する「法理論」を、冒頭に引用します。
「経済的・社会的に、さらに道徳的にも、大きな変動が見られる時代には、法の要素として確実性および安定性の重要性を過大視することの危険は、それをあまりにも低く評価する危険よりも、おそらく大きい。法律家的な技術に魂を奪われると、人間の事業がめざす目標からそれてしまうという危険もある。法的理論はそれ自身にはなんら価値がない。法は人の必要性を充たすために工夫された人間の一つの道具である。----
〔たしかに〕司法府は、法に関与し政策は議会に任すべきだ、としばしばいわれる。----しかし、この定式を厳格に固守するのは、法の機能と最高裁の役割とに関するあまりにも狭い見方である。憲法は社会の要請に応えて生長し変化しなければならない。」
『憲法訴訟に理論』芦部信喜著 有斐閣(365pコックスの著『ウオレン裁判所』から紹介)
- 虚構の大義
「9・11へのイラク関与」は検証されず、「大量破壊兵器」の存在も明確に否定された。
「イラクの民主化」についても、現在の治安悪化は、侵略占領の結果であり、長期亡命者による親米傀儡政権樹立に起因している。民主化の失敗は誰に目にも明かである。
- 最近(05.10/25)までの被害実数
03年5月のブッシュ米大統領による「戦勝宣言」、同年1月フセイン元大統領拘束、さらに04年6月の主権移譲など節目節目で、米国はイラク抵抗勢力の壊滅はもはや目前と訴えきた。しかし、実態は
- 米兵の死者は2,000人の大台を越えた。
米兵の負傷者数は、15,220人
多国籍軍の死者は、272人
民間傭兵会社の死者は、200人と伝えられる。
イラク軍、治安関係社は、3,430人。
イラク市民の犠牲者は、26,690〜10万人
- 抵抗勢力の勢いは増している。
昨年の抵抗勢力の一日平均攻撃回数
49件
今年 〃 〃
66件(先月は1日に90件に及んだ。)
- 米政府が推測する抵抗勢力の人員については、03年11月は5,000人とみていたが、今月は16,000人〜40,000人、援助者数は20万人とはねあがった。
(以上、東京新聞05.10.28朝刊ヨリ)
- 日本の「善意の第三者」の立場は有り得ず。
これまで自衛隊派兵は「人道支援のため」という説明が繰り返されているが、「善意の第三三者」として自衛隊が派遣されているという思い込みは間違いである。自衛隊は米軍を中心とする占領軍の一翼を担う形でイラクに駐留しているのであり、攻撃し殺戮した側に位置している。
建前としての「人道復興支援」と、本音としての「対米協力」の欺瞞は、これまでの事実関係を検証することによって心ある人々はその真相を知ったはずである。日本の国是や国際政治の本質を見失い、米国独裁・単独覇権主義を支持して得られる国益など、長い目で見れば国益を損なうものでこそある。
現今、日本政府の採るべき施策については「最終準備書面」において、国連と国際法廷の重視を既に記述した。
- 伝統的判断の墨守
周知の如く、1935年にブランダイス(合衆国最高裁判所の裁判官)が従来の判例を整理して、7点からなる憲法判断回避の準則(ル−ル)を説いた。このル−ルは我が国にも深く影響を及ぼしている。
典型的な例として、憲法問題が適切に提示されていても、別の理由で事件処理ができるなら、その憲法問題に判断を与えない、とか、法律の合憲性についての重大な疑いが提起されても、憲法判断を回避できるような限定解釈の可能性を確かめること、などを挙げることが出来る。
これまでの違憲訴訟に対する判決への不満として「憲法判断を回避するな」「裁判所を覚醒させよう」などの声を聞くがこの批判は狭い一面しか指摘していない。
裁判所は「制度疲労の論理・時代遅れの論理」を頑迷に、大真面目に遂行しているので、怠慢でも、居眠りをしているのでもないと原告は考えている。
憲法学者や法律家は、司法立法的判決の考察や裁量権の拡大とう、時代に即応した論理構築の努力をして、社会に提示しすべきである。
- 注目すべきブランダイスの側面。
これも周知のことで恐縮だが、ブランダイスが弁護士であった1908年に立法事実を問題とする書面を提出し、その後、ブランダイス・ブリ−フと呼ばれ重視されている。
これは、長時間労働が女性の健康にいかに悪影響を与えるかを立証する上告趣意書で、伝統的法律論に2頁を充てるのみで 残りの100頁余を医学的論証、証言、統計資料により構成するものであった。
本件訴訟において、対イラクへの経済制裁、大量破壊兵器査察過程、開戦の経緯、侵略された現地を執拗に記述したのは、ブランダイス・ブリ−フを範とする立法事実論を意識したからである。
- 立法事実の司法審査請求。
立法事実とは、法律の制定を根拠付け、法律の合理性を支える社会的・経済的・文化的な一般事実のことをいう。社会一般の現象として認められる事実であり、立法府が立法の資料として収集認定した事実である。
「イラク特措法」の制定を根拠付ける合理性の皆無であること、錯誤による立法であることは既に主張した通りである。
憲法判断の基準には、「法律合憲の推定原則」があることは承知であるが、本件訴訟については裁判所に、立法事実の司法審査を請求する。
- 平和的生存権
如何に抽象的概念と判示されても、現実社会には厳然と存在する人権であることを「普通の国の戦死者」を例示して、主張した。
尚、平和的生存権は、人権の根幹をなす権利であり、憲法13条などにより構成され支えられて成り立つ権利ではなく、逆に平和的生存権から13条の等の権利が導かれることを強調した。
具体的数値の提示だけでなく、平和的生存権を哲学とするイキザマの具体例も記述した。例示した人々の崇高な生活態度から感銘を受け、国と裁判所の平和的生存権の認識の浅薄であることを嘆かずにはいられない。平和的生存権を曖昧模糊の抽象的権利とか、また、社会的受容限度と言う尺度で矮小化しないで、日本国民のみならず、人類の保有する基本的人権としての認識で判示を願うものである。
- 納税者基本権
北野理論の納税者基本権が現代社会に如何に必要不可欠の理論であるかを過去の実例を紹介しつつ主張した。
北野理論と日本国憲法を精読することによって、「歳入歳出分断論」が憲法の枠外であることを認識して欲しい。
日本国憲法は、福祉国家を想定して、主権者国民のよる「財政民主主義の確立」を基礎とすることを謳っている。
既述の石破茂防衛庁長官の発言に、驚き呆れ、主権者が納税者基本権を主張すべき責任感を新たにした。
現況の「司法」と「生活者」との乖離を民法と世俗の比喩で主張ししたが、この主張は原告の精神的苦痛の真実である。
- 原告適格と証拠調べ
主権在民の国家の立法・政策が国民に関係ないと言うことが有り得るだろうか?
被告は、被告準備書面(1)以来、今回の「証拠調べに関する意見書」(平成17年9月9日)まで一貫して「--自衛隊の派 遣等は原告に向けられたものでない上、--]と主張しているが、理論を逸脱し過ぎていて理解できない。
日本国民が日本政府の立法府で制定した「イラク特措法」の合憲性に疑義がると提訴したことに対して、「貴方は無関係」
とは如何なる理由であるのか?
- 憲法訴訟
- 憲法訴訟の特殊性を考慮するならば、日本国国民全員が「原告適格者」である。
- 裁判所法第3条の「争訟性」は、あくまで、一般的訴訟の規準則である。憲法訴訟にあっては、広義の法解釈が要求されるべきである。
理由は、憲法訴訟に場合当然ながら政治性を有すること、また、「被害の保障」のみならず、「憲法の保障」という重要な要素を内包するからである。
- 本件訴訟のごとく、憲法の理念が蹂躙されたことは、憲法を遵守する国民にとっても「憲法自身」にとっても大事件である。国民として不名誉(このような政治状況)なことだが立派な「争訟性」であり個々具体的な権利侵害の被害だけを問題にするのは、違憲審査制度の訴訟指揮として大きな間違いであると考えている。
原告の精神的苦痛は、「多数制に基づく、社会的許容限度」と言う、それこそ正に抽象的な文言での精神的苦痛を測定する裁判官の杜撰さに怒りを覚えている。
- 「生け贄裁判論」を再度、論ずることはしないが、親族身内に「イラク特措法」の被害者いなくても、本人がイラク派遣を命じられなくても、十分に被害者であり事件である。市井の生活者が経済利益以外に国家権力を訴えることは人生の大事件である。是非、証拠調べで事件性を認識されたい。
- 証拠調べ
被告の非論理性の第一点は「国会の制定した法律でも国民に向けられたものではない」と言うこと。そして、第二点は、「争訟性」を問題としながら、証拠調べの必要を否定することである。「争訟性」は何をもって判断するというのだろうか?
何を、いつ、いかに、如何なる動機・意図で行ったかという当該訴訟を特定することなしに審理は進行しない。そして、権利侵害の有無、侵害があった場合には、その侵害は救済に値するかしないか、救済する場合は、その方法と規模が勘案されて判決に至ると認識している。この過程で証拠調べの重要性は絶対であり「証拠調べなくして真実無し」である。
法理論の証人依頼に消極的であったことを後悔している。本件訴訟の主張内容は、「平和的生存権」「立法事実論」「成熟性」「生け贄裁判論」等々これまでの経験からの独自性を発揮したので識者への遠慮もあった。納税者基本権の北野教授、基本権訴訟(原告未消化・咀嚼中)の棟居教授に依頼しなかったことは痛恨の極みである。
イラクの現地事情については、開戦前を検証すれば如何なる暴虐も予想される。人権の停止が戦争であり侵略行為である。同一訴因の訴訟で多忙な該当者に依頼することはしなかった。
ただ一人証人申請した小多基実夫は、申請理由書に述べた如く、原告の権利侵害を証明する適任者である。証人採用を強く望みます。
- 平和訴訟にとっては破天荒な暴力肯定論を引用して司法への期待の大きいことを、逆説的に述べ主張を終了します。
「民主主義がある限りテロはなくならない」と放言するのは野村秋介である。彼は昭和38年に河野一郎邸を焼き討ちして獄中に12年、同52年には経団連本部を襲撃して再度6年服役、獄中生活18年の経験をもつ民族派右翼の指導者。平成5年10月20日、朝日新聞東京本社において2丁の拳銃で自決、享年58歳。
「僕は、右翼は恐ろしい存在でいいと思う。ただ、今の右翼がいけないのは、市民に怖れられていることだ。必殺仕事人のように、市民に代わって悪を撃つ、こうでなくっちゃ。どんな時代でも仕事人は必要なんだよ。」
年がら年中暴力を振るうのは粗暴犯で、「--テロというのは必然性から生まれてきたものなんだ。だから、民主政治があるうちはテロはなくならない。」
「権力者は暴力以外恐いものはないわけだ。庶民に怖がられるのは困るけど、権力者にも怖いものがなくてはね。三上卓が5・15事件を起こしたとき、150万もの人から助命嘆願が集まったでしょう。そういう形のものであれば、決して否定しないよ。」
「仏教で《一殺多生》ということをいっている。一人を殺して、多くの人を生かす。これは仕方がないとお釈迦様も言っているんだから、民族派は暴力を否定してはいけないんだ。」
『さらば群青』回想は逆光のなかにあり 野村秋介著 276〜279p ヨリ
司法と生活者の乖離を埋めることが、暴力肯定論やアナ−キな思想の歯止めになると確信している。
以上。