2005年1月21日
意見陳述
東京地方裁判所民事第1部合議2係御中
原告 田中良子
「・・・政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」これは日本国憲法の前文です。この憲法を持つ国、日本は60年近く戦争をしない国でありました。
ところが昨年、戦闘地イラクへの兵器をもっての自衛隊派兵、続いて多国籍軍参加と政府は憲法に違反をはじめました。これを止めることは主権者国民の責任であり義務であると私は国を相手に訴訟をいたしました。しかし被告の国は憲法に明記されている平和的生存権、幸福追求権は抽象的概念であるので、原告の田中良子の具体的権利義務は法律関係に対し何らの影響も及ぼさないので法律上の争訟性を欠き不適法なので訴えを却下すべきであり、請求を棄却すべきだと主張しています。
しかし一人の国民である私、田中良子にとって、憲法に記されているこの平和的生存権、幸福追求権は実に具体的な私の暮らしの基いなのです。私は日本国憲法にはっきりと書かれている平和的生存権、幸福追求権を信じ、敗戦の日本から再び希望と勇気をもって再出発をし、今日まで世界の平和を希求し、努力を続け生きて来ました。憲法の平和的生存権は決して抽象的概念などではなく、生きている私の血となり肉となって具体化し、日々の言動をしっかりと支えているのです。又、法律関係に対し、何らの影響も及ぼさないと被告は言いますが、憲法を尊守することを国民としての正しい義務としている私にとって、これに違反している国に対し、こうして法律的にも訴訟をしているのです。法律関係に対し、何らの影響も及ぼさないと、どうして言えるのでしょうか。
国民には違憲訴訟をする権利があります。憲法に記された平和的生存権や幸福追求権は抽象的概念だと言われ、ああそうですか、と言うようには、簡単に納得するわけにはどうしてもゆきません。憲法32条に「何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪われない」を信じ、この提訴を私は行っています。そして、憲法76条3項「すべて裁判官はその良心に従い、独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」によって、裁判官が公正に私の訴えを審査して下さると期待し確信しています。憲法に記されている平和的生存権や幸福追求権が抽象的概念にすぎないと言うことを国民が納得すると思っているとしたら、公開で調査をしてみるべきです。平和への権利を追求することは国際的潮流ともなって来ています。
又日本憲法の平和的生存権は先の戦争を体験した者にとっては抽象的概念などではなく、実に具体的な権利なのです。一切の戦争の放棄と軍隊の不保持を宣言した新しい日本国憲法によって、戦争をしない国として半世紀を私たち国民は間違いなく生きて来たのです。戦って死ぬことも、戦って殺すこともない平和な国としての歴史を私達は憲法によって確かに生きて来たのです。こうした日本であることで、近隣の国々も安心し、平和な関係を維持して来ているのです。一国民として国際親善に努めて生きる中で、この平和憲法は大きな支えであり、信頼される根拠となっています。まさに世界の人々が共に生きる上で、この平和的生存権は人間すべての最も大切な権利とも言えるものなのです。或る一人のカソリックのシスターが「この地球上のすべての人々が平和で幸せに暮らせる日まで私には幸せはありません」と女学生だった私に言われました。以来私も又そのシスターのように世界の人々を友として生きて行こうと決心し、そのように努めて生きています。この私にとって憲法に記されている平和的生存権は決して決して抽象的な概念などではなく、私の人生そのもので、毎日の暮らしそのものがこの権利を土台として生きられているのです。
ところで自衛隊イラク派兵を理由に、日本へのテロの攻撃が宣告され、以来、電車内、駅、道路等で警察官、警備員が一日中警戒に当っています。老人など弱者の福祉予算や、教育費が減らされ、こうした支出を増やしていること、戦闘状態の中で身を守りながらの自衛隊の復興支援なるものは何倍もの高い費用が支出され、すべてこれが私たちの税金と思うとその無駄の多さに抗議したくなります。耐えがたい苦痛でもあります。こうした国民の思いを無視し、国家が国民の人権を認めなくなって行く、今の状況は軍国主義の日本への逆もどりだと、戦争体験者である私などは肌で感じ、恐怖を覚えているのです。一刻も早く、自衛隊のイラクからの帰国を要求します。兵器をもっての復興支援は殺したり殺されたり、とりかえしのつかない犠牲を出してしまっています。憲法違反の派兵を差止め、すべての人の平和的生存権を大切にし、非暴力、非戦のやり方でイラクの平和を実現させて参りたいと願っています。
私は今回の原告としての体験を自分の所属している平和団体は友人達に可能な限り報告し、日本の司法が国民とどのようにかかわりその生活の中で如何になじんで行けるものか、普段殆どの国民が無関係である裁判というものなので、知らなかった、知らずにいたということで行政に比べ理解がない現実を少しでも改善してゆけたらと思っています。裁判所でのことは何から何までが新しい体験でそのきまりということにもなぜそうなのかを問いなおしながら受容れたり、課題として考え続けています。裁判官、書記官の方々のお仕事も改めて知ることに努めています。傍聴席にすわっている者の存在についても今の私は良いこと悪いことその意義など、これまで無関心でいた自分を反省しつつ体験をしています。民主化した日本における司法について、あまりに自分がこれまでかかわることも関心をもつことも少なかったことを反省しています。国の向上と国民自身の向上は一つのことなのだということを確認し、これからも法廷に真摯にかかわって行こうと思っています。