意見陳述
2005年6月24日
東京地方裁判所民事第1部合2係 御中
原 告 田中良子
イラクで毎日のように起こっている爆弾による死傷事件は私にとっては60年前の戦時中の日々と同じ不安と恐怖と悲しみの苦悩なのです。60年前、敗戦によって戦争が終結した時のあの安心と解放感と生きている喜び、それがどれ程ありがたくうれしかったか。しかも、日本ではその戦争をしない国であることが憲法により半世紀以上続いたのです。私はあの2000万人もの生命の犠牲とその遺族たちの生涯を終えるまで続く悲しみと苦痛を自分の祖父(私の祖父は息子の一人を戦争で失ったのです。)この祖父が瞬時もその戦争で失った息子のことを忘れていない。その生涯を通じての悲しみを身近でみて知る者として、戦争がどれ程人間の起こす罪深い悪業かを痛感して来ました。それで憲法に明記されているように再び戦争の惨禍の起こることのないようにすることを決意し、主権が国民にあることの責任を自覚し生きて参りました。
この私にとって、憲法違反としか思えない自衛隊が、今度はついに重装備の武器を持ってイラクに出兵し、戦争をしている米国軍の兵士達や戦争のために使う物資の輸送を行っていることを報道を通して知るにつけ、60年前の日本へ逆戻りおはじめているのを感じ身震いが起こります。
「人道支援」と言いながら主として行っているのが浄水、しかもその殆どは自衛隊用であり、民間人によって行えば10分の一の費用でより多くの浄水が可能という報道記事を読めばひどい税金のムダ遣いだと腹が立ちます。しかも、イラクの人々を守るのではなく、オランダやオーストラリア軍に自衛隊が守られながらロケット弾も飛んで来る戦場に1年以上とどまっているこの意味は一体何なのでしょう。国際条約に違反し戦争を始めた米国の要請に応じイラクに自衛隊を出兵していることを世界の国々はどのように思っているのでしょうか。
大義少ない戦争を続ける国の仲間に入っているのです。いよいよ日本は米国に次ぐ世界第2位ないし第3位とも言われる巨大な軍事力を持って再び世界の国々の前にその姿を見せ始めていると、特にアジアの国々は危機感と不信感を強めています。小泉首相の歴史認識に対する被害国民の反感が増している現実も問題だと思います。
ところで私はこの裁判を始めるに当たり幾つかの目的を持ちました。一人の国民として憲法のもとで、法律がいかに活用されているのかを知りたいと思ったこともその一つです。それで日頃殆ど縁遠い所であった裁判所にも足繁く通いながら実体験をしているのです。
裁判においては法律によって判断するものであることはわかります。しかし、その法律は人間のためにあるものです。人間が公正に生きられるように定めるものだと思います。不足の部分に気づけば、これを修正したり補足したりして人間がよりよく生きられるように努力し人間と共に生きている司法であると思っています。色々なケースで出た判例をあれこれ引用して、そこに提起されている問題を判断するだけではないと思います。勿論、蓄積された裁判の結果は活用されてよいと思いますし。しかし、新しい個々の事態に対する誠実な裁判を常に期待したいと思います。
戦争をしない国として戦争で殺されることのない半世紀余りを生きて来ることのできた私にとってこの事実はこの上ない幸福でした。それがこの憲法下で戦争に参加することができる国に変わってしまう、その第一歩を踏み出したイラクへの自衛隊の派兵は憲法違反です。すぐに中止すべきです。戦争はしてはならない、戦争に起こしてはならない、予防し、防がねば人が人を殺し殺される事態になるのです。
先の戦争が終わったとき、私は子どもでした。大人たちになぜ戦争なんかしたのか、どうして止めなかったのかと言いました。口をつぐんで何も言わない人が殆どでした。答えてくれる人達は軍部の権力の元では反対し逆らうことなど恐ろしくてできなかったといいました。そうであるなら、戦争は起こさないことにしなくてはと思いました。
胸躍らせて学んだ「新しい憲法」は、はっきりと日本は二度と戦争をしない国であることを表明しているのです。この生命を守る憲法を破ることを認めてはならないのです。「今」が将来を決定してしまうのです。損害賠償金を1万円としましたが、戦争が起きれば何兆円もが浪費され、お金で買い戻せない貴い生命も失われるのです。これに値する「印紙」代は払えません。この裁判には国民の平和的生存権というまさに人間の生命にかかわる真剣な主張があるのです。裁判官の方々には、どうぞ法律条項で考え判断するその根源にこの願いと祈りがあることを受け止めて下さるようお願いいたします。司法も又、人間を活かすためにあるのだと信じます。