陳述書
2004年7月16日
東京地方裁判所民事第1部合2係御中
記
なぜ提訴をしたのか、本日は裁判官の方々、被告の国の代理人の方々、書記官の方々そして傍聴しこの裁判に関心を寄せ支援して下さる方々に自分の思いを直接お話するのを聴いて頂きたいと思うのです。
この提訴を決断した理由は日本を再び戦争をする国にしてはならないからです。戦争を生き残った者の一人として私は戦争で亡くなった人々のことを忘れることが出来ません。2000万人を超える犠牲者の生命の贖いによって敗戦後の私達は新しい日本国憲法の基で暮らして来ました。平和憲法による日本はこの半世紀戦争をしない日本として殺さない、殺されない国であることが出来ました。私にとってこの事実はずっとずっと維持して行くべき暮らしだと思っています。そしてこうした平和な生き方を可能にしている私達の憲法の平和理念は日本人の私達だけではなく世界の人々の宝として、地球上にひろげて行きたいと努力して来ています。
それが今、爆撃の続くイラクへ重装備の自衛隊が派兵されたのです。これは憲法違反です。憲法によって否と言うべき事柄です。多くの国民が声をあげているのに小泉首相は多国籍軍への自衛隊参加も一存で決定することまで行いました。こうした行政の過ちに対して司法の場でこれを違憲と判断しないとしたら、憲法は骨ぬきにされてしまいます。司法の府がよもやそんな判断はすまいと、一国民、一市民として国を相手に提訴をいたしました。今、このことをしないとしたら、私は国民として自分の責任を果さない自分となってしまうと思っています。
先きの戦争を生き残った私は、大人達にどうして戦争などをしたのか、どうして反対しなかったのかと問いつめました。子供であった私の戦争の体験からでもこれ以上無益で無意味なそして悲惨な人間の行為はないと思えたからです。戦争での死は誰も責任をとることのない理不尽な虚しいものです。今戦争をしない国となった日本、平和憲法をもつ日本であることは日本人にとっても世界の人々にとっても本当にすばらしい人間の生き方を可能にしているのです。それなのに、なぜに自衛隊は戦火のもえ続けているイラクへ派兵されたのか、国民の権利として義務として、国のしていることは憲法に違反している間違っていることだち私は言いたい。そして国が憲法に忠実な政治を行うよう要請したい。司法がこの時、憲法に照らし、今の日本が再び戦争する国への道を行くことは許されないと判断することを私は期待し、又、確信してこの提訴を決心いたしました。
軍国主義教育からとき放され、民主化教育の中で心躍る思いで「新しい憲法の話」という社会科のテキストを学んだ中学生の日のことを私は今も鮮明に覚えています。覚えているだけでなく、今でも、憲法の前文、第九条、基本的人権、民主主義日本へと生れかわった暮らしを二度と再び失うことがないようにと大切に生きて来ているのです。今日の日本政府の憲法に違反しているとしか思えない行為を、見のがすことは国民としての責任を果さないことだと私は思います。三権分立の日本で、司法が行政の違憲判断をしないとは私には思えません。国を相手に私は一国民として裁判を行う権利を行使する決断を今、したのです。
国民は国民として自からのもつ正当な権利を時には行使して、その責任を果す義務が国に対してもあるのだと思います。昨日7月15日(木)19:30のNHK「クローズアップ現代、追跡!毒ガス兵器が町に潜む」において日本軍が地中に埋めた毒ガスが井戸水に入り、その水を飲み続けて来た住民たちに今、被害が出ているのです。昨年すでにこのことは問題となりながら説明会すらされないまま一年がすぎ その間に最も弱い幼い子どもたちにその心身を侵す被害が出て来ているのです。若い母親は何でこんな目にあわなくてはならないのか、日本軍の毒ガスで、今なぜ戦争の被害を子どもたち、住民たちが受けなくてはならないのかと言っています。そうなのです。戦争とは敵も味方もなく、ただ人々が殺されてしまう恐ろしいそして愚かな事なのです。戦争をはじめるときの大義に国を守るなどと言うのですが国民など守られることは戦争がはじまったらないのです。兵隊が死んで行きます。戦場の市民たちも殺されます。普段人々など殺すことのない人々も人々を殺すことをします。戦争はしてはならないのです。生命は失ったらもどすことは出来ないのです。戦争をはじめてしまうと、これをとめることは至難の業となります。その間に犠牲者がどんどん増えてしまうのです。今の政府のしていることを止めなくてはなりません。国民は憲法によってこのことをはっきり国を相手に主張すべきだと、私は2000万人の戦争で殺された人々に促され、生き残った者としての義務を果す責任を痛感しているのです。
私は戦時中東京に住んでおりました。学童疎開で親元からはなされたのですが、とても恐ろしい体験を沢山しました。都下西多摩郡羽村と言う所へ品川区の学童達は疎開させられたのです。すぐ近くに今も横田、立川基地などがある所です。もともと日本軍の基地があり、中島飛行機などの軍需産業があった大変敵国からねらわれる危険な所がすぐ近くにあったのです。当時の政府はその危険な地に学童を疎開させたのです。安全でない所に子供たちをわざわざ疎開させたのです。軍のカモフラージュとしか言いようがありません。度々機銃掃射という恐ろしい低空飛行して来るアメリカ兵の顔さえ見える程の近さからの攻撃を私たちは体験しました。敗戦後沖縄住民が避難されていた壕から日本兵によって外に追い出されたり 泣く幼児の口を押えて死なせるなど決して国民は守られることがなかった戦争の実態が次々に明らかにされました。
昨夜のNHKの放送も今に続く戦争の悲劇です。毒ガスも地雷も勝つためと言うことで作られ使われるのですが、それによって人間の生命が殺されるのです。日本は一切の兵力をもたない国となり、戦争をしない国として新しい出発したのです。この初心に立ちもどり日本もそして世界中が愚かな戦争をしない地球になれるよう努力しようではありませんか。戦争は罪悪です。なぜ戦争しない憲法をもつ私たちの国日本を再び戦争にかかわらせようとするのか、これをノーと言う司法の判断を私は心から期待しこの裁判をはじめました。生命はだれの生命もかけがえのない貴いものなのです。生命を大切にする裁判として、私はこの裁判に勝訴することを確信しています。裁判官の方々の公正な判断を心からお願いいたします。憲法を本当に活かした判断がされますよう願って、この裁判を多くの友人達と見つめて行きたいと思います。
私は1945年の3月10日、羽村の学童疎開先の竹やぶの中の防空壕から、東京の空がまっ赤であったのをみました。それは見事な夕焼け空でした。私はきれいだなとうっとりとそのまっ赤な東京の空を眺めたのです。後々この時のことを思い出すたびに私の心は罪悪感にせめられます。私がうっとりと眺めた夕焼け空と見えた空の下であの夜10万人を超える人々が焼き殺されていたのです。実相を知らない時の人間の間違いは恐ろしいものだと今思っています。
私は8月15日の敗戦をこの疎開地で知らされました。男の先生が泣きながら戦争にまけたと私たちに言われました。私は建物の外に出ました。あたりはシーンとしていました。空がまっ青でした。ま昼間の暑い太陽にまぶしい位に輝いている晴々とした夏の日でした。足もとの土はかわいていましたが鮮やかな色とりどりの百日草の花が咲いていました。それまで花のことなど見ていたとしても心にとまることなく生きていたのです。蝉のなき声もとまってしまったように日本中が静かになってしまったようなそれは静かな静かな時でした。私は声を出していたのか叫んでいたのか、それともただ心の中でそう思っていたのか、もう戦争はしてはならない、戦争は起こしてはならないのだと。この日以来、私はこの9才の日の心の中の叫びをいつもききながら暮らして来ました。子供の時の戦争体験をはるかにこえる戦争のことを後に知れば知る程この非戦平和の実現への努力は大事だと思っています。この司法に訴えるということもその一つの実践です。
戦時中、私は戦争はイヤでした。でもそのことを親にも誰にも言った覚えがありません。なぜか日本軍部が恐ろしいと言う大人と私も同じだったのでしょう。敗戦が決まったとき、私ははじめて自分のことばで戦争反対を表明したのです。ベトナム戦争のとき、私の属するキリスト教のアメリカのグループの女医さんがベトナムへ人道支援に医療活動に出かけ、その休暇を日本ですごされました。その時の話として、自分の所に瀕死の少女が運ばれて来たこと、全身骨折と内臓破れつで少女は死んだそうです。その傷は軍靴でけられ、ふみにじられたものだそうです。小さな少女がなぜそういう死を死んだのかその女医さんの話だと、小学校でその少女が「戦争はイヤだ」と言ったことばが兵隊にききとがめられ、少女はけられ、ふみにじられて殺されたのだというのです。
私はこの話をきいたときから、自分のずるさを恥じました。大人だけでなく、私も戦争はイヤだったのに戦時中一度もそのことばを口の外に出したことがない自分だったからです。こういう卑きょうな人間であったことを恥かしく思い、名前も知らないしかし戦争はイヤだと言ったため死んだ、その少女のことを私はいつまでも覚え、平和活動をなまけない人間であり続けたいと思って来ました。これからも私はこの少女のことを心に思いつつ、この地球から戦争という罪悪のなくなる日を目ざし努力したいと思います。暴力は暴力をもっては決して克服出来ません。暴力の連鎖は愛と非暴力による人間の努力によって必ず実現出来ると私は確信しています。人間の知恵も武器に勝るものです。日本の司法の公正な裁きを心から期待します。