平成16年(ワ)第16912号 イラク派兵差止等請求事件
原告  石崎暾子ほか14名
被告  国

意 見 陳 述 書

2006年3月16日

東京地方裁判所民事第15部合議B係 御中

原 告
石 崎   暾 子
上 田 外 茂 子
清 水   澄 子
野 崎   光 枝
永 井   喜 子
加 瀬   皐 月
上 田 佐 紀子 
津 和   慶 子
小 林 美 知 子
丹 羽   雅 代
柚 木   康 子
三 島 ひ ろ 子
杉 浦   淑 子
石 田 久 仁 子
仲 野   佳 子

発言1 裁判長! 永井喜子です。
 私たち15人の原告は、自衛隊のイラク派兵は憲法違反であると確信し、政府の行動の過ちを司法の判断によってただすしかないと考えて裁判に訴えました。アメリカ政府が、国際ルールを無視し、根拠も正当性も欠いたまま武力攻撃に踏み切った時、大切な平和憲法を無視してまで全面的協力に踏み込んで海外派兵を行った日本政府、小泉政権の責任は重大です。私たち15人の人生、経験、時代も環境も異なりますが、平和を願い、平和を守るという国民としての責任を果し、次世代に平和な日本を引き継ぎたいと、強く願う気持ちは共通しています。そのための努力も長年にわたって重ねてきました。
 私自身は、小学生で空襲の炎を逃げのび、機銃掃射もかろうじてかわして、戦後の平和を生きることができました。私は、中学生の時に国の教科書で教えられ日本国憲法が、平和主義、主権在民、基本的人権を大きな柱に据えていることを誇りに思っております。その思いを、今回の訴訟につなげました。違憲判決を下すことによって、裁判官が憲法の正当な番人であることを、お示し下さることを心から願います。
 私たちの望んだ本人尋問は退けられましたが、本日は原告全員が思いの一端を述べたいと思います。時間が限られていますので、順序は不同ですが、次々と発言させていただきます。15人の原告のうち、本人の出席は13名です。今日明日にも出産の可能性がある仲野佳子、仕事の都合でやむをえず欠席する柚木康子については、代読いたします。


発言2 上田外茂子と申します。
 私は、イラク戦争のニュース映像を見るたびに61年前の東京大空襲の恐怖が蘇ります。数十個の焼夷弾を詰め込んだ[モロトフのパン籠]が何千何百と頭上に落とされ、火の中を逃げ惑い、1トン爆弾の落下音に身体は凍り付きました。そして煙に巻かれて死んだ友人を忘れることができません。
 今、同じことがイラクで起きている。女性や子どもが撃たれ、罪のない市民が焼かれ、命を奪われています。私の61年前の古傷に新たな塩を擦り込むのが、イラク戦争です。 
 平和憲法を持つ日本がそれに荷担する苦しさには耐えられません。

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発言3 清水澄子です。
 私は、生まれてからの17年間を満州事変、日中戦争、第二次大戦の中で育ち、天皇と国家への忠誠と軍国主義を叩き込まれました。戦勝を祝う提灯行列や戦地の兵隊さんへの慰問袋づくり、出征兵士の見送り、千人針づくりや勤労奉仕の毎日でした。敵性言語の英語は禁止、防空演習やわら人形相手の竹槍訓練、出征兵士の留守宅への援農や炭焼きなどにも動員され、軍需工場には挺身隊として送られました。学校で授業がなく、勉強できなかったのはなによりも辛かったです。
 1945年には大阪の大空襲と福井空襲に遭いました。雨あられと降り注ぐ焼夷弾で火に包まれた市街を逃げ惑う人々、それを低空飛行で機銃掃射するアメリカ兵、折り重なって倒れる人々、血みどろの赤ちゃんを背負って逃げる母親、焼け爛れて転がる死体、私も水に浸した布団をかぶって逃げました。この時のすべてがイラクの人々の姿に重なります。当時とは比べようもなく強まった破壊力の前にさらされるイラクの女性や子どもを思うたび、私は居たたまれない苦痛を感じます。
 私は12年の間、国会議員の席にありました。その間、アジアの人々が日本の植民地支配や侵略戦争によっていかに非人道的奴隷的扱いを受け、人権を侵害されたかについて、真摯に反省し、謝罪し、和解と共生のために努力してきました。そして、このようなことを繰り返さないという誓いの証が憲法第9条であるとアジアの人々に繰り返し話してきました。それを裏切ることはできません。自衛隊法に違反し、憲法違反のイラク派兵はただちにやめるべきです。


発言4 野崎光枝です。
 私がなによりも恐れるのは、戦争をする国家は、国民の頭や心の中まで支配するようになるということです。私は、戦争中、東京以外に日本のあちこちが空襲されていることも知りませんでした。戦況がどんなに悪くても、報道は「赫赫たる戦果」と叫び、「わが方の損害は軽微」と付け加えていました。夜毎の空襲に疲れ果てても、誰も「もうだめだ」とは言えませんでした。日本は万世一系の天皇を頂く神国なのだから、絶対に勝つ、という政府に逆らえませんでした。非国民、国賊という罵声や、官憲、軍隊、会社、学校、隣組といったあらゆる監視体制の中、何の役にも立たない竹槍や薙刀の訓練に駆り出されていたのです。戦時下の子どもたちは、本当のことは何も知らされず、一途に勝つことを信じ込まされていたのです。自分の考えを持つことは犯罪のように禁じられていたのです。
 あの頃の精神論が復活していることを感じます。国民保護法の議論の時、戦争中の建物の強制取り壊しを思い出しました。防火の緩衝地帯をつくるのが名目です。広島では、その作業に駆り出されていた中学生が、遮蔽物のない炎天下で原爆の直撃に遭いました。私と同じ13歳です。今、私は73歳、生きています。それを知ったのも戦後ずいぶん経ってからです。知らなかった衝撃、知らされなかった衝撃、沖縄のことも、南京虐殺も、731部隊のことも、従軍慰安婦のことも、ずっと後になって知った、戦争とは、このように精神も知ることも束縛するものなのです。


発言5 加瀬皐月です。
 私は中学1年の時、「あたらしい憲法のはなし」という教科書に出会いました。「いま、やっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。……戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです」と語りかける教科書のなんと新鮮だったことでしょうか。そして「こんどの憲法では、日本の國がけっして二度と戦争をしないように、二つのことを決めました」と続ける教科書は、戦力の不保持と武力の行使をしないことを、「日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。」と力強く書いていたことを今も鮮明に覚えています。 
 1952年、17歳の私は、参議院議員補欠選挙に際して、私が住む静岡県で行われた組織的な不正選挙を「民主主義の基本を破壊するもの」として告発して、「村八分」にされるという事件の当事者となりましたが、その体験を通じて私は、憲法が掲げる平和で民主的な社会を実現するためには、主権者としての私たち自身が「不断の努力」をしなければならないことを痛感しました。以来、およそ半世紀、私は戦後の様々な市民運動、平和運動に参加してきましたが、そうした長い活動を通して、「武力によらない平和の実現」を目指す平和憲法の原理こそ、日本だけでなく世界の平和を実現する指針であり、私たちが世界に誇るべき宝物だという思いを深くしてきました。しかしここ数年来、有事3法、テロ特措法などの戦争関連法、そしてイラク派兵が強行され、このままでは憲法は死滅してしまうという危機感を強めずにはおれません。こうした憲法違反の政治によって、再び日本が「戦争のできる国」へと曲げられていくことは許されないと思うのです。


発言6 上田佐紀子です。
 アジア太平洋戦争で、日本は2000万ともいわれる無辜の人々を殺しただけでなく、「強制連行」や日本軍性奴隷である「従軍慰安婦」制度、南京大虐殺、生体実験などすさまじく人道にもとる行為を行いました。特に私は、青春の最も輝ける時期に日本軍「慰安婦」として性奴隷にされ、その後の人生を奪われた女性たちに思いを馳せずにはいられません。彼女たちのほとんどは、日本の植民地や占領地から強制的に、あるいはだまされて連行され、連日、兵士たちの性暴力の対象として蹂躙されました。戦争が終わっても、彼女たちには人間らしい人生の復活はありませんでした。1990年代になってようやく訴えでた勇気ある被害者により、日本政府にも訴えられましたが、すべて退けられています。国連の人権委員会、女性差別撤廃委員会からも日本政府は根本的解決を求められていますが、日本政府は被害者の正義の実現の求めに応じようともしません。
 イラクでは戦争状態が続いている中、犠牲者はすでに10万人を越えています。また、アブグレイブ収容所でのすさまじい拷問や人権侵害が明るみに出るとともに女性に対する性暴力が急増しています。同じ女性として居たたまれない思いです。そのような状態に女性を放置することに日本政府が協力するなど、もってのほかです。ただちに女性の人権回復に協力すべきです。 

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発言7 津和慶子です。
 私の父は関東軍の将校でした。アジア各地を転戦し、戦後はいち早く帰国しましたが、捕虜虐待の罪で軍事裁判で有罪となりました。父が私に教えた中国語は、「クーニャンライライ」(娘さんこっちにおいで)という言葉です。その声音はこども心に不快でしたが、長じてから、日本軍がアジア各地で行った蛮行を知るにつけ、私の心に深い苦しみとして残りました。憲兵だった伯父からも当時のことは何も聞きませんでしたが、父は晩年、宗教に救いを求めていました。
 戦後61年の今日、日本政府は日本がかつて行った行為を忘れ、戦争を正当化したり、靖国の首相参拝を容認したりしているだけでなく、あろうことか明文改憲まで計画して他国を再び侵略する国に変わろうとしているのです。アメリカの大義なきイラク攻撃に加担し、自衛軍という軍隊を持ち、まさに、泥沼の戦争政策へと突き進む流れを私は絶対に許すことはできません。軍隊となった自衛軍が戦場であるイラクで何をするか、考えただけで胸がつぶれます。かつて日本軍が行ったと同じ行為をしないとだれが言いきることができますか。戦場で、女性やお年寄り、子どもを犠牲にしないと、だれが約束できるでしょうか。


発言8 小林美知子です。
 私は法律事務所に勤めています。離婚の相談に訪れる女性のほとんどの場合に、夫の暴力があります。妊娠中、極寒の戸外に放り出された北海道の女性、蹴られて骨折した人、性行為を強要されている女性、皆、身体だけでなく心が深く傷ついています。暴力はまた、女性の自尊心を破壊し、恐怖や絶望の中で女性を自己否定に追い込み、生きる力を失わせます。
 男性優位の考え方や価値観は、戦争と似ています。国民を言論統制で締めつけ、思想を管理し、暴力が賛美される、それが戦争体制です。イラクの惨状を報じる映像は、DVに苦しむ女性の姿と重なり、私の心を引き裂きます。その映像に深く傷ついた私は、戦争の悪夢に苦しむようになりました。今も精神安定剤を服用中です。この苦痛から立ち直るには、イラクの人々の笑顔しかありません。戦争に加わったアメリカ兵の中にも、劣化ウラン弾の被爆に苦しむ者、戦争のストレスに心を病む者が増えていると聞きます。自衛隊員も、イラクから帰国後に3人が自殺しており、トラウマに苦しんでいる多数の隊員がいると報道されています。
 どの国の人の命も同じように尊いのです。憲法9条の精神を広めることこそ、日本政府の役割です。


発言9 丹羽雅代です。
 私は、1947年生まれです。憲法や教育基本法と同い年であることが誇りです。ですから、かつて教員をしていた時もその誇りをしっかりと子どもたちに伝えられる教員でありたいと思い、「軍隊を持たないからといって、おそれることはありません。積極的に戦争を放棄するという選択をしたことによって、私たちは世界の人々とともに歩くという道をえらんだのです」と語り続けてもきました。
 しかし、イラクへの攻撃と非人道的な占領に日本政府が積極的に加担しているという事実が私を深く傷つけます。             
 特に昨年7月のロンドンでの事件で、自分や家族、友人が武力攻撃、テロ攻撃の対象になるおそれをいっそう現実的なものとして感じています。
 私は、テロとの闘いのやり方を変えたいと思います。戦争放棄を謳いあげた日本国憲法こそ、その時の最大でもっとも効果のある拠りどころなのです。すでに多くのイラクの人々が犠牲になり、アメリカ兵の死傷者も増えています。日本人の死者もすでに出ています。 
 一刻も早く、戦争への加担から手をひき、平和実現に向けて政府は行動すべきです。


発言10 柚木康子です。
 戦争は知りません.が、日清・日露・第二次大戦を経験した祖母、戦争で息子と夫を失った母、学童疎開と縁故疎開をした姉から、戦争中の苦労と平和のありがたさを繰り返し聞かされました。今年85歳の母は、あの玉音放送を聞いて「戦争に負けてよかった。これで配給が増える。軍部に虫けらのように扱われることもなくなる」と思ったとよく言います。
 私は英蘭資本の会社に勤めていますが、自衛隊のイラク派兵以後、社屋のドアは常時閉鎖されるようになりました。アメリカと共にイラク侵略戦争をしたイギリス企業であると同時に、日本もテロの標的になったからです。また、社員全員にメールが配信され、「地下鉄乗車の危険性」があるので、「帰りの通勤時間帯に注意」を勧められました。自衛隊をイラクに派兵したからこその危険です。ロンドンの後は日本が危ない、とも言われています。日常生活を恐れながら過ごすことは、自衛隊の撤退まで続くでしょう。
 アジアを旅した際など、あちこちで日本軍の残虐行為を記憶する関係者に出会いますが、それでも日本には平和憲法があるからこそ受け入れてもらえるのだ、と実感しています。毎年訪問している中国では、小泉首相の靖国参拝が繰り返されるこの数年、日本人への感情が悪くなっているのを感じます。日本がアジアで孤立する道を選ぶことを私は恐れています。

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発言11 三島ひろ子です。
 被爆二世です。母は、高等女学校専攻科に在学中の20歳の時、長崎で被爆しました。自分自身も傷つきながらも、三菱兵器で被爆したたくさんの本科生の救助に出ました。しかし二度目は動けず、数日後に「どうせ死ぬなら自宅で」と帰郷しました。長崎を離れたこと、死者を弔い切れなかったこと、下級生たちを助けられなかったことを、長年、割りきることができずに申し訳ないという思いにさいなまれてきました。母は、教員時代からその思いを語り続け、私はその気持ちの延長線上に生を受けたという気がします。私自身も出産の度に「ピカの影響は…」と考えました。だからこそ、子どもたちに平和な社会を手渡すこと、悲劇を繰り返さないことのために行動しています。
 残留放射能の影響を考えると、母が長崎を出たからこそ今の私がある、とも思えるのです。だからイラクで劣化ウラン弾を使うアメリカが許せないのです。イラクの残留放射能、劣化ウラン弾の塵は1000キロ四方に飛び散っているのですから、イラクの人びとは死に絶えてしまうかもしれません。湾岸戦争時の劣化ウラン弾で、攻撃したアメリカ兵にも死者が出ていますし、障がい児が生まれています。子どもへの影響は深刻です。イラク復興支援と言うなら、放射能の除去方法の研究に力を注ぐべきでしょう。これこそ人道支援です。


発言12 杉浦淑子です。
 イラク戦争は大義なき戦争であることは明らかです。また、自衛隊のイラク派兵は明らかな憲法違反です。ナパーム弾、科学ガス、神経ガス、麻酔ガスなどの毒ガスの使用で、まさにイラクは非合法兵器の実験場と化しています。イラク人の臓器を摘出してアメリカに急送したというのですから、非人道的行為をしているのは、アメリカに他なりません。情報が閉ざされる中で貴重な情報源のアルジャジーラも閉鎖されました。米軍の一方的な情報のみでは、事実は隠蔽されてしまうでしょう。
 各国の軍隊が撤退する中で、小泉首相は自衛隊のイラク駐留の延期を決めました。なんという暴挙、愚か極まる行為です。沈黙するメディア、対米追従の小泉首相、利益をねらう兵器商人の企業、催眠状態の国民、こうして軍事国家に変貌していくのを私は止めたい、と思っています。政府の米国支持を取り消させたコスタリカ最高裁憲法法廷にならい、日本の司法が見識ある憲法判断を下されますよう切望いたします。


発言13 石田久仁子です。
 私自身には戦争体験はありませんが、17歳と19歳になる二人の子どもとともに生きることを通して、人の命の重さを痛感しています。ですから、小泉首相が自衛隊派兵を正当化するために憲法前文を歪曲して引用したことに激しい怒りをもっています。このような引用は、平和主義や国際強調の精神を蹂躙し、私が誇りにしている平和憲法を侮辱する行為です。
 日本政府がイラク派兵を準備し始めた頃から、教育現場では、多様な価値観を尊重することをやめ、日の丸君が代の強制によって子どもの心までも支配しようとする文化が跋扈しています。個人の自律、女性の人権の確立、他者の人権の尊重を基本に据えた性教育も、激しいバッシングを受けています。国や自治体は、特定の価値観を押しつけて、学校を、個を埋没させるための訓練の場へと、服従の場へと変貌させようとしています。
 イラクの人々を苦しめる戦争に加担する日本人の国民として、私は申し訳なく思い、精神的苦痛にさいなまれます。と同時に、家族も私もテロにあうかもしれないという恐怖が念頭から離れません。学校の軍隊化を、母親としてだけでなく、子どもの教育一般に責任のある一市民として、深く憂慮しています。


 永井喜子です。私は、娘ともいうべき世代の仲野佳子さんの発言を代読いたします。現在、ニューヨークで働いている娘も、つねにテロに遭遇する可能性が高いことを思うと不安が募ります。その思いを重ねて読ませていただきます。

発言14 仲野佳子です。
 私は夫の赴任先のニューヨークで、9・11テロに遭遇しました。
幸い、テロの時間帯は世界貿易センタービルから離れたところにいましたので、直接の被害はありませんでしたが、住まいはセンターの近くでしたから、アパートに入れたのは2週間後、厳しい検問を潜り抜けはしたものの、住所を示す証明書を携帯していなかった私は、取り乱した軍人に付き添われて家に立ち入りました。犯罪者のように扱われた私も、口惜しさと悲しさで泣き叫んでいました。窓際にはアスベスト入りの灰が積もっていました。
 9・11の後、すべてのニューヨーカーがPTSD状態だったと思います。9.11犠牲者家族の会(ピースフル・トゥモロウズ)は連絡を取り合い、犠牲者の名で戦争を始めないで、と要求しましたが、ブッシュは「テロには屈しない」と叫び続けていました。
 今、2700人が犠牲になった地で身ごもり、産み、育ててきた娘は3歳になりました。生きていることへの申し訳なさ、幸運への感謝、自分のあり方の模索などから悪臭の漂うアパートに篭って落ちこんでいた私にさずかった命です。彼女のためにも、私は戦争やテロにおびえて暮らすことのない平和な世の中をつくらなくてはならないのです。どうか、日本がテロの標的にならないように、世界の市民が血を流さなくてすむように、勇気あるご決断をお願いいたします。
 今日、私は、二人目の子どもの出産のために法廷に出られません。でも、法廷にいなくても、裁判の行方を食い入るように注目しております。娘とこれから産まれてくる子どものために、世界中のこどものために、平和を裁判長の勇気に託したいと思います。

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発言15 石崎暾子です。
 私の青春は戦争に明け暮れました。小学生の頃は、戦場の兵士への慰問袋作りや南京陥落を祝う提灯行列と、戦勝の幻想に浮かれ、南京大虐殺や慰安婦問題など知る由もなく、真珠湾攻撃の戦果を伝える大本営発表に踊らされていました。その後、本土空襲が頻繁になり、生活物資は窮乏し、わずかな配給米に野草を混ぜた雑炊で飢えをしのぐようになりました。
 私は疎開先で女学校の教師になりましたが、授業はせず、もっぱら援農作業や学徒動員で横須賀の工場で働く生徒の付き添いが役目でした。日夜を分かたぬ空襲に疲れ果て、精根尽きた時、広島・長崎に原爆が投下され、2000万余の犠牲者を出した戦争が終わりました。でも、私たちは、「平和憲法」という思いがけぬ宝を手にすることができました。
 もう戦争はない、と思ったのも束の間、安保条約ができ、自衛隊ができ、そしてイラク派兵です。やむにやまれず5歳の次女の手を引いて国会デモに参加した60年安保闘争以来、反戦の運動を続けて80歳を越えましたが、私は生命尽きるまで反戦を叫びつづけるつもりです。
 イラク派兵こそ憲法にいう国際貢献だと強弁する首相、テレビで見る戦争を格好よいと思う若者たちに言いたい。戦争は「命」を奪い合うものです。戦場の兵士だけでなく、幼い子や老人まで捲き込む戦争、暴力の連鎖は何の益もありません。私たちが経験したあの悲惨な思いを、子どもや孫たちに味わせたくないのです。憲法に違反するアメリカの無謀なイラク戦争に追従することをやめ、ただちに撤退、自衛隊派兵以外の手段を尽くす平和的な国際貢献をするべきです。裁判長のご決断をお願いします。


発言16 上田外茂子です。
 私は大正14年、1925年生まれです。思春期、青春期を戦争と重ねて生きることを余儀なくされました。飢えと命の不安、物言えば唇寒しの世の中で生きるのがどういうことか、想像して頂けますか。今、戦争を知らないこの国の政治家やエリートたちが、軽軽しく戦争につながる事態を論じています。1度失われた命は、二度と戻りません。
 敗戦によって私達が手に入れた日本国憲法の持つ先見性、高邁な理想こそ、全精力を傾けて実現することが、戦争で犠牲になったすべての人々に対する私たち日本人の務めです。この憲法が実現される社会を次世代に引き継ぎたいと生きてきた私は、戦争を知らない世代に言い残したい。平和という大切な価値に気づき、守る努力を続けて欲しい。失ってからでは取り返しがつかないことを知って欲しいのです。この裁判を通じて、憲法の番人である司法に、あらためて上田外茂子の遺言として、この思いを託したいと思います。


発言17 裁判長、以上、頂いた時間内に、原告全員の思いの精髄を篭めて発言いたしました。すでにお手元には私たちがこの裁判にかけた思い、自衛隊の派兵によって、どのように個人的な被害を受けたかについて、沢山の陳述書を提出しております。只今は、その一端を述べたに留まります。是非、お手元に届けた意見や証拠などのすべてにお目通しいただき、私たちが長年にわたって自身の生き方と重ねてきた日本国憲法にかける信頼に応えるご判断をお示しくださいますよう、お願いいたします。(永井喜子)

以上。

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イラク派兵違憲訴訟の会・東京
会としては2007年9月 解散しました。
ここでは、訴訟の記録を残していきます。
Eメール:nora@cityfujisawa.ne.jp
携帯電話 090・5341・1169