平成16年(ワ)第10267号
 原告  野村 瑞枝
 被告  国

陳述書

平成16年7月21日

東京地方裁判所 民事第28部B合係 御中

原告 野村 瑞枝

  1. 原告の損害は目の前に出せない。

     原告は被告に損害賠償を求めるものであるが、損害を具体的に示すことができない、できないのは損害がないからではない。損害が小さいからでもない。原告が訴えた損害は原告の心を身体から取り出して『こんなに傷ついている』と被告らの目の前に見せることの不可能な損害である。目の前に見せることが出来ない損害であるからこそ、原告は訴える必要にせまられたのである。陳述の最初に、まずこのことを原告の訴えの前提として述べておく。

  2. 『銃を持つ者は銃によって殺されても仕方がない』

     原告に与えられた陳述時間は10分である。こうしているあいだにもイラクの人々やこどもたちが、死ぬ必要もないのに死んだり、飢えや怪我や不安で心やすまることなく過ごしているかと思うと、そしてそれを原告も税金を払うことなどで加担していると思うと、いても立ってもいられない気持ちである。そこで原告は、現在自衛隊がイラクを守るためとして大量に持ち込んでいる武器のうち、兵が肩にかついだり手に持ったりしている銃について、いったい銃は何を守るためにあるのか、むしろ銃を持つことで攻撃されやすくなるのではないかということを体験から述べる。
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     原告は過去に2回、短期間ではあったが、銃を持つ者をそばに置いて行動した経験を持つ。1982年夫の任地であるインド南部チルチラパリに行った時の三日間と、1997年ロシアからの独立を求めているチェチェンに選挙監視員で行った時の一週間である。ただし2回とも、銃を水平に向けた場面には遭遇しなかった。

     インドでは、3歳から10歳までの4人の子と共に、夫の宿泊所である迎賓館に泊まった間、庭を散歩するにも銃剣をもつ兵士がそばにピタッとつく。ちょっと街に出ようとすると付き添いの兵士は二人になった。父親と合流するまでは普通の観光客として安宿で近所のワルガキたちとゴミクズのようにとび回っていた原告の子供達は、兵士につきそわれるようになってからは母親である原告の手をぎゅっとにぎって離さない。その握り締める力の強さに、原告は子供達が思った以上に緊張していることを知った。緊張というものは、身体に力が入るだけでなく、頭脳にも力が入る。力が入っている状態でかわいい花を見つけたり、楽しいことを思いついたりはできない。原告は、快適と誰もが思うはずの迎賓館に夫だけ残して、元の安宿に戻った。子供達はやっと安心したように笑った。あの三日間そういえば誰も笑わなかったことに気がついた。

     チェチェンには、3人の日本人選挙監視員の一人としてグロズヌイ経由で入った。
     原告たちを迎えてくれたひとがまずしたのは、原告らを守るために闇市でピストルを買うことだった。彼がピストルをポケットに入れた瞬間から、彼と共に原告らも、『相手に飛び道具を向けるかもしれない危ない奴』になったのである。彼がポケットをたたいてオーケーと片目をつぶったその頬が震えていて、原告らもひきつりながら笑いをかえした。15年も前に子供達が握り締めた小さい指の力の強さがよみがえった。あの時子供達は銃そのものが恐かったんだと思っていたが、子供達のそばに銃を持つ人がいることで、今まで笑いかけたり話しかけたりしてくれた人たちが急に恐いものを見るような顔になったり、近寄ろうとしなくなったことが、子供達にはなんとなく恐くさみしく感じられたんだろうと思うにいたった。

     さて、殺し殺される可能性のあるもののそばでリラックス出来る人間はそういないだろう。それを『武器』と言おうと『お守り』と言おうと。
     そういうもののそばで人間はたいてい緊張してしまう。緊張すると正確な判断が出来なくなる。銃を持つ人だけが緊張するのではなく、この人は銃を持っていると知っている人がみんな緊張する。そこにいるひとは誰も冷静な判断が出来なくなる。『銃は引き金を引けば弾が飛び出すから危ない』のではなく、こうした、みんながどこか冷静でなくなってしまう状態が知らず知らずに出来てしまうことが危険なのである。

     繰り返すが、もし、護身のためだけに使う銃だとしても、護身なら相手が撃ってきてはじめてこちらも撃てることになるわけで、相手からの最初の一発で死ななかった場合にやっとこちらの銃を、撃ってきた相手に向けることができる。向ける手が震えたり気持ちがカッカしたら弾は当たりにくくなる。守るために銃が必要だとしても、いつが守るべき時なのかを瞬時にまちがいなく判断できる能力と、その瞬間に正確に相手を倒せる腕前の二つがなければ、いくら守る守るといっても銃なんかないほうがよっぽど身は守れる。

     くどくなるが、銃は銃のまわりにいる人間の冷静さを奪うものであるから、持てば持つだけ危険を呼ぶことはあっても、危険を遠ざけることは出来ないのである。
     以上が原告の体験から得た銃に関する結論であるが、悲しいかな素人である。被告を通じて専門家の反論を期待する。
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  3. 最後に原告はテロについて少々述べて終わりにする。銃の危険性を肌身で感じた経験と現在『テロ』と言われている人たちの存在は深く関連していると考えるからである。

     1982年から1989年までの7年間、原告は4人の子を連れていわゆる発展途上国と言われる国ばかりを旅した。たいていイスラム国で貧しそうに見えたが、朝早くからコーランが地面を這うように流れ、そこの子供たちは元気いっぱいに親を助けて働いていた。米英の価値観、あるいはキリスト教の価値観から見れば、『貧乏で不幸な人々』であるだろう。だが、原告は戦争中に生まれ、戦後の泥まみれの中で育ったので、彼らが不幸だとはどうしても思えなかった。家族が力を寄せあって暮らしている所に不幸はないんだという確信がいつのまにか原告の身にしみついていたのである。

     あの頃のああいう人たちが、今『テロ』と言われ、撲滅の対象になっているのである。テロになるために生まれてきた人はいない。テロになりたくてたまらなくて早く立派なテロになろうと小さい頃からあこがれる人がいるだろうか? 誰もテロになんかなりたくない。自分もなりたくないし、親や兄弟や息子や夫をテロにしたいとは思わないだろう。ただ、静かに暮らしたいだけだ。ずっとずっと昔そうだったように今もそうしたいと思って生きてるだけだ。だが、そんな小さな望みが端から端から壊され続けている。

     『テロ』は虐待する親から生まれた子供である』と原告は考える。お前なんかいないほうがいいんだと親にいわれて殺されかかっている子供は黙って殺されるか、刃向かって自分の身を助けるしかない。それしかないのだ。
     現在原告は日本人であることによって、テロを生み続ける親になっている。そのことで、かつての原告や原告の子供たちを目立たないように助けてくれたたくさんの人たちを殺したり苦しめたりしている。原告は、『耐え難い苦痛』という言葉がいかに空虚であるか痛感するが、残念ながらほかの言葉を見いだせない。

  4. 以上1から3に述べた理由により、原告は被告に原告の精神的苦痛の賠償を請求するものである。

以上

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イラク派兵違憲訴訟の会・東京
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