平成16年(ワ)第6298号違憲差止訴訟等事件
原告 尾形 憲

意 見 陳 述 書

 1923年生まれ、軍国主義教育を受けて陸軍士官学校に進みました。航空の同期生はおおかた特攻で20歳前後の命をなくしました。歩兵や砲兵などの地上の兵種も、南方や大陸の前線で戦死、ならまだしも、餓死です。この戦争で死んだ軍人・軍属230万人のうち、その6割が餓死でした。

 同期生の一人は特攻として出撃しました。ところが、すでに敵艦に突入したものとして、2階級特別進級、天皇に上奏されていました。生きていた英霊があってはならないと、彼はマラリアの病室から参謀に引きずり出さ、単機出撃させられました。「処刑飛行」です。操縦を誤って草原に突っ込んでしまいましたが、奇跡的にかすり傷一つ負いませんでした。航空軍司令官の冨永恭次はいつも特攻を送り出すとき、「お前たちだけ行かせはしない。最後には自分も参謀長の操縦する飛行機に乗って、お前たちの後に続く」と、言っていながら米軍が間近かに上陸すると、真っ先に逃げ出した人です。その冨永さんに「お前は特攻のくせに命が惜しいのか。すぐに出撃せい」と叱りつけられた彼は、別の飛行機に乗って「田中軍曹、ただ今から自殺攻撃に出発します」

 こうした犠牲はなにのためだったのか。私たちはこの戦いが「聖戦」であり、欧米諸国からアジアを解放するためのもの、東洋平和のためのものと教えられました。戦後になって私たちは、それがまったくの嘘だったことを知りました。

 アジアの人たちの殺戮だけで2000万人にのぼります。その中には中国の河北での、奪いつくし、殺しつくすいわゆる「三光作戦」、今なお累々たる白骨が記念館に残る平頂山の3000人の虐殺、生体実験で3000人の“マルタ”を殺した731部隊、20万とも30万ともいわれる南京虐殺など…。物的損害はいうまでもなく、毒ガス作戦による被害者は今なお出ています。“従軍慰安婦”と言う名の性奴隷、捕虜監視のための戦後BC級戦犯の罪に問われて刑死した台湾、朝鮮出身者など、アジアの人たちに損害は言い尽くせません。最近、北朝鮮との国交正常化にあたって、日本人の拉致問題が大きく取り上げられていますが、あの戦争の間に朝鮮から強制連行された人たちは80万から90万、あるいは200万を超えるとも言われます。こうした人たちへの公式謝罪、補償は戦後半世紀以上の今日になってもなされておりません。

 この戦争で、日本の民衆は、天皇を先頭とする軍国主義者たちによって欺かれ、引きずり回されました。そうした意味では被害者です。しかし、戦死した軍人や軍属たち、「私は貝になりたい」と言い残して捕虜刺殺の罪に問われ絞首刑台の露と消えた人たち、広島、長崎での被爆者たち、一夜にして焼け死んだ10万人の東京大空襲の犠牲者たちなども、総力戦体制に一端を担ったという点では、アジアの人たちに対しては加害者だったことを免れるわけにはいきません。

 この戦争の中で、日本の人たちは、軍隊が民衆を守るものではないことを、骨身にしみて味わわせられました。ソ連が「満州」に進攻したとき、最強を誇っていた関東軍はいち早く開拓移民団などを置き去りにして逃げ出し、彼らを悲惨な目に遭わせました。

 沖縄では一般の民衆の3人から4人に1人が亡くなりましたが、洞窟内で乳幼児が飢えのため泣き叫ぶと日本兵が「米兵に見つかる」と言って絞め殺したりしました。また多くの人たちが集団死に追いやられました。子どもたちは自決できるわけもなく、肉親によって鎌や石で殺されたのです。大声で泣きわめきながら、幼児の足をつかまえて振りまわし、いつまでも岩にたたきつけた人もいました。幼児の身体はぼろ布のようになっていたといいます。殺戮が終わると、彼は猫イラズをあおりましたが、死にそびれて気がふれ、米軍に収容されました。

このページのトップへ

 これと対照的なのが、渡嘉敷前島です。ここの国民学校の比嘉儀清さんは、命をかけて日本軍の駐屯をやめさせたのです。文字通り決死の覚悟で日本軍の撤退を求める比嘉さんお熱望に、隊長はほだされて撤退を決断しました。米軍がほかの沖縄の島に上陸したころ、この島にも米軍がやってきましたが、日本軍もいないし、軍事施設もないことを確認して、彼らは島を去りました。阿鼻叫喚のはほかの島々をよそに、この島には砲爆撃など一切なく、270人の島民はすべて無事だったのです。まさしく非武装・不戦の平和憲法を先取りしたものといえましょう。

 平和憲法はこうした悲惨な戦争の反省の上につくられたものでした。

 私はこの4月中国の重慶にまいりました。ここは戦争中日本軍の無差別爆撃のため1万人以上の死者を出したところで、ヒロシマ・ナガサキはいわばその延長線上にあったと言えるでしょう。爆撃記念館で、私は日本の空爆という“テロリズム”に人々が屈しないで闘っていることへのルーズベルト大統領の激励のメッセージを見ました。また英字新聞には、アメリカのイラクへの“invasion”(「侵略」)という言葉がありました。

 アメリカが国連憲章も国際法も一切無視してイラクに対して行っているは、まさしくこの“テロリズム”であり“侵略”――にほかありません。このため、罪もないイラクの1万人を超える人たちが殺され、筆舌に尽くしがたい虐殺・拷問を受け、湾岸戦争以来今日まで、いや今後も半永久的に劣化ウラン弾によってヒロシマ・ナガサキと同様な核被曝に、とくに子どもたちがさらされているのです。私が前に述べた日本を含むアジアの民衆の塗炭の苦しみが今イラクで再現されているのです。

 ところが、事もあろうに、イラクの民衆のこうした苦しみに、私たち日本人が、憲法も、日米安保条約も、自衛隊法も、周辺事態法も、イラク特措法さえも、踏みにじって、再び加害者として参加させられているのです。こうしたことに、永野厚裁判長、西村康一郎、渋谷輝一両裁判官、被告代理人の安村和美さんをはじめとする皆さん、誰しも心の痛み、良心の呵責を覚えないはずはありませんね。今回の記録は公式のものとして今後歴史に残ることをよくよく銘記してください。

 イラク侵略戦争はイラクが保有する大量破壊兵器の廃棄という大義名分を振りかざして始められました。それはまったくの嘘だったことは間もなく明らかになりました。次いで持ち出されたのが、フセイン政権とアメリカのいう“テロ集団”アルカイダとのつながりです。これも完全な虚構だったことは明白になっています。最後に持ち出されたのが、フセイン独裁政権からのイラク民衆の“解放”です。“解放”――どこかで聞いた言葉です。そうそう、日本のアジア侵略は欧米諸国からのアジア民衆の“解放”のためということでした。歴史は繰り返す。イラクでの世論調査によれば米英軍を占領軍と考えるのは92%、解放軍とするのはわずか2%です。これはアメリカの傀儡であるイラク暫定政府に主権が「移譲」された今日なお変わっていません。民衆のテロならぬ●●又は続いており、国連加盟191ケ国のわずか1割の“多国籍軍”の死者はすでに1000人を超えました。

このページのトップへ

 こうした非人道的・不条理な侵略戦争への参加により、これまできわめてめてよかったイラク人の対日感情は決定的に悪化しました。アフガニスタン侵略への参加ですでにそうでしたが“JAPAN”の標識と日の丸は車から外さざるを得なくなり、星条旗やユニオンジャックとともに日章旗が焼かれる事件まで起こりました。そして日本の2外交官、2民間人の殺害です。地球より重いはずの人命よりも、「テロには屈しない」としてアメリカの媚を優先する小泉内閣を、私たちは怒りをこめて糾弾せずにはおられません。

 9・11事件は、あれだけの絶大な武力を持っていながら、所詮武力を以ってしては民衆の安全と平和は守れないということを、如実に示しました。

 今こそ平和憲法の旗が高く掲げられなければなりません。
 朝鮮戦争のとき、爆撃機に乗って参戦したチャールズ・オーバービーさんは、戦争は殺戮と破壊をもたらすだけと知りました。現在オハイオ州立大学の名誉教授ですが、憲法9条のことを知り、1991年に「憲法9条の会」つくって、これを世界に広める運動を続けています。

 1999年ハーグで開かれた「平和市民会議」では、今後の行動のための10の原則のトップに各国が日本の憲法9条のようなものを決めることを挙げています。

 私は97年に若者たちが主宰するピース・ボートでアフリカ西海岸のカナリア諸島を訪れました。ここは日本の遠洋漁業基地の一つで、人々は日本に深い関心を持っており、ここのテルデ市には「ヒロシマ・ナガサキ広場」があります。この広場には、なんと、スペイン語で書かれた憲法9条の碑があるのです。

 コスタリカは1949年に常備軍を廃止しました。国家予算の四分の一は教育費で、中米ではほかに見られない民主主義の国となっています。日本も1日の弾薬だけで5億円、年に5兆円にものぼる軍事費の無駄使いをやめて、第3世界のために使ったら、どれだけ世界の人々から感謝されるでしょう。

 終わりに、私の訴状に対して被告の答弁書をいただいていないので、再度お伺いします。

 それはイラク特措法が法的に成立していなかったことです。2003年7月25日の参議院外交防衛委員会では、速記録を見ても「●部●●君……(発言する者多く、議場騒然聴取不能)委員長退席午後7時34分」とあり、採決がありませんでした。それが翌26日の本会議では、委員長により委員会で「多数をもって原案どおり決すべきものと決定」報告されています。文字通りの“無法”です。

 1959年の東京地裁の安保違憲判決を棄却した最高裁判決は司法の立場に立つものではなく、政治の立場に立つものでした。伊達秋雄さんという輝かしい先駆者をもつ東京地裁として、政治の立場からでなく、司法の立場から、子どもが見ても「一見きわめて違憲無効」であるイラク派兵に明確な判断をお願いします。 

このページのトップへ


トップページへもどる
イラク派兵違憲訴訟の会・東京
郵便振替口座番号「イラク派兵違憲訴訟の会・東京」00170-3-158419
2006年12月下旬から2007年1月上旬にかけて
事務所移転のため郵便・電話・FAXいずれも受け取れません。
お急ぎの連絡は
 Eメール:nora@cityfujisawa.ne.jp
携帯電話 090・5341・1169