意 見 陳 述

原 告  大 畑  豊

 私が「平和」というものに関心を持つようになったのは、1991年の湾岸戦争のときでした。それまでは、「平和」といものは当たり前のものであり、「平和運動」というと何かイデオロギー的なイメージがあり、自分には関係のないもののように思っていました。

 しかし、湾岸戦争で政府が90億ドル、約1兆1700億円を支出すると言い出したとき、自分たちの払った税金が戦争に使われる、人殺しに使われると、急に戦争というものが、自分に切迫した問題となりました。私はそれ以来、平和や戦争というものについて考えるようになり、平和運動にも携わるようになりました。

 私はかつて、平和交流で南太平洋ミクロネシア諸島のパラオ共和国という国に行ったことがあります。紺碧の海に囲まれたたいへん美しい国です。この国は1921年から第2次大戦時まで国際連盟の委任統治領として、日本の支配下にあり、その後は米国の信託統治領という地位が長らく続きましたが、その自治政府誕生のときに、世界で初めて「非核憲法」を成立させました。「戦争目的の核兵器、化学兵器、ガス・生物兵器、そして原子力発電所及びその廃棄物はパラオ国内で使用、実験、貯蔵、廃棄されてはならない」という条項があるがゆえに「非核憲法」と呼ばれていました。これは「戦争を知ったがゆえに平和を望み、分割されたがゆえに統一を願う、支配されたがゆえに自由を求める、海は我々を分かつのではなく、一つにしてくれる」(同憲法)という考えのもとにつくられました。

 当時アメリカはパラオに軍事基地をつくろうと、この非核憲法をつぶそうとしていました。この非核憲法を守る団体と交流をしたときに、こんなことを言われました。「パラオの非核憲法も日本の憲法9条のようにしてしまえばいい、とアメリカの役人たちは話していた」と。
 日本は武力を放棄し、世界の平和を願った憲法がありながら、自衛隊という軍隊を持っています。パラオの憲法もこのように骨抜きにしてしまえばいい、と言われたのです。私はこれを聞いたときに、日本の平和憲法を守ることがパラオの非核憲法を守ることにもつながる。パラオ、世界の平和を守るためにも日本の憲法を守らなくては、と思いました。

 実際、1999年に開催され、世界から9000人の平和運動家が集まったハーグ平和市民会議において発表された「公正な世界秩序のための10の基本原則」の第一項目に「各国議会は、日本国憲法第九条のような、政府が戦争をすることを禁止する決議を採択すべきである」と取り入れられ、国際的評価も得ております。

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 いわゆる「平和」というものを達成するために「いろいろな」方法があります。しかし、日本国憲法前文ならびに第9条を読めば、日本は国家として、武力・軍事力によらない手段を求めているのは明らかです。そして世界には、同じように考え行動している市民、団体がたくさんあります。私がかつて参加していたピース・ブリゲイド・インタナショナル(PBI)という団体もその一つです。訓練を受けた丸腰の市民を、紛争地に派遣し、現地で暗殺・誘拐等の危機にさらされている人権活動家や市民に付き添い、その命を守り、現地の人たちの手によって紛争解決が図られるよう支援するのがその目的です。紛争地での活動ゆえに危険も伴いますが、このような非軍事・非暴力の方法でしか真の平和はもたらされない、と信じる人たちによって続けられ、大きな成果をあげており、ノーベル平和賞にもノミネートされています。

 私のスリランカの紛争地での体験でも、武力紛争というものがいかに人々の生命・生活・人間関係を破壊し、精神をも破壊するのか。そして生活の再建、破壊された精神のリハビリにはどれだけ多くの労力と時間を要するかということを実感しております。

 最近、沖縄でひめゆり学徒兵の生き残りの方のお話を聞くことがありました。彼女は「自分の親類、知人、友人たちを昨日まで殺していた軍人たちが手のひらを返したように優しく援助をしてくれた。しかし優しくされればされるほど、私の猜疑心は深くなった」と語っておりました。軍服を着ていては「人道支援」は出来ない、ということを雄弁にもの語っていると思います。

 イラク攻撃に真っ先に賛成した日本政府は、アメリカ、イギリスの調査委員会でさえも大量破壊兵器はなかった、9・11事件の団体とイラク政府との関係もなかった、と言っているにもかかわらず、何の調査もしようとしない。それどころか、占領政策に荷担し、憲法違反の自衛隊派遣をし、何の手続きもなく多国籍軍にも参加を決めています。

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 昨年12月に、日本の2人の外交官がイラクで殺されましたが、彼らは「仕事」を熱心にしていたのかもしれませんが、彼らはアメリカの違法な占領政策に加担する仕事を、日本政府から派遣され、熱心にしていたのであって、イラク人民にとっては占領行為以外の何ものでもなかったのです。この2人の優秀な外交官は日本政府の違法な、誤った政策の犠牲であり、日本政府によって殺されたも同然です。

 今、私たちの訴えに耳をかさず、違憲・違法判断をせず、駐留が続けられ、派遣されている自衛隊員が殺されるようなことがあれば、また相手国民を殺すようなことがあれば、政府のみならず、それはあなた方、裁判官によって殺されたも同然です。そのとき、あなた方はどう責任をとるのでしょうか。

 これら違憲・違法な行為・派遣は私たちの払った税金で行なわれているのです。納税者として、主権者として許しがたい行為であり、私たちの労働で得、払った税金がそのようなことに使われる精神的苦痛は耐えがたいものであります。

 日本のガンジーと言われた沖縄の阿波根昌鴻さんの言葉に「何か特別なことをするのが平和運動ではない。悪いことだけはしない」というのがあります。特別素晴らしい判決をしてほしい、とは思いません。
「悪いことだけはしない」。憲法に照らし、法に照らし、当たり前の判断をされることを願い、そしてこの判決が間に合うことを祈り提訴いたしました。

2004年7月20日

東京地方裁判所 民事第45部 御中

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イラク派兵違憲訴訟の会・東京
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