第1回 原告陳述書

平成16年(ワ)第13294号

東京地方裁判所 民事第1部合2係 御中

2004年8月20日

原告 高橋 峰子

1 危うい社会の方向を変えたい

 5日前にあった59回目終戦記念日の戦没者追悼式で、小泉首相は「悲惨な戦争の教訓を風化させることなく、不戦の誓いを堅持し、平和国家日本の建設を進め、世界の恒久平和の確立に積極的に貢献してまいります」と述べました。首相が現在進めている戦争加担の政策を思うと、まさに空虚で欺瞞に満ちた言葉の羅列です。日本を戦争できる国に変えようという動きは、政界と強い絆で結ばれた経済界にも及び、先日とうとう日本経団連の奥田会長は「武器輸出3原則」の見直しと柔軟な運用を求める提言をしました。

 「新ガイドライン」以降、「周辺事態法」「テロ特措法」「イラク特措法」「有事法制」と法の整備も加速され、この国はたがが外れたように戦争への道をひた走っています。第二次大戦前の1938年に「国家総動員法」という幹になる法律が制定されると、枝葉となる200もの法が増殖して軍事国家を形成したと聞いたことがあります。掟破りで作られた法律の矛盾の辻褄を合わせるために、これまでのルールを変える法律が次々と必要になるのでしょう。
 言論が不自由になり、教育が荒廃し、命が軽んじられる今の社会に、私は強い危うさを感じます。何とかこの方向を変えたいのです。

 私は埼玉県で、夫と19歳の娘の三人で平凡に暮らしています。大多数の人と同様に、自由に楽しく快適で充実した幸せな人生を送りたいと望んでいます。でも、環境が人間に及ぼす影響は大きく、私は時代や社会を超えて生きることはできません。だからその時々に自分が直面した理不尽さ不合理さを解決するために努力して、不便や不自由を改善し、娘たち次の世代に少しでもより良い世界を引き継ぎたいと願っています。

 今、私が直面し、避けては生きられない大きな問題が戦争です。戦後生まれの私には直接の戦争体験はありませんが、読んだ本、見た映画、そして何よりも親族の戦争体験は、私がどんな戦争も許せず平和を望む原点となっています。

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2 親族の戦争体験

 私の母は徳島県の農家の出身です。母の兄は長男でしたが結婚して1年も経たたないうちに徴兵され、終戦の1週間前にフィリピンのコレヒドールで亡くなりました。空っぽの箱が届いて、その死がわかったのは、敗戦後かなり後のことでした。新婚の妻はその後実家に帰り、洋裁学校に通ったりしていましたが、何年か後に病気で亡くなったそうです。

 母の弟は、16歳で海軍飛行予科練習生いわゆる予科練に志願しました。高野山の航空隊に入隊し、お寺の広間で寝泊りして寺の空き地や近くの中学の校庭で訓練を受けたそうです。たまにゼロ戦の操縦も習ったものの、一人乗り地雷艇つまり人間魚雷の訓練を主に受けたとのこと。敗戦間近の入隊だったため、幸い出撃することはありませんでしたが、終戦後も帰宅は許されず、引き続き本土決戦の要員として射撃訓練を受けたり、備蓄してあった(それは大きな砂糖袋だったそうですが)荷物運びなどをさせられ、蚤と虱をお土産に家に帰ったのは9月初め頃だったそうです。

 戦死した優しかった自慢の兄の話をする時、何十年たっても母は涙ぐんでいました。素朴で実直な働き者だった祖父母は、頼りの長男を亡くしたうえ、戦後農地の殆どを失うなど過酷な体験が続きました。それでも、声高に怒って感情を露わにしたり、愚痴をこぼすことはありませんでした。ただ耐えるしかなかったのでしょう。思い返すと、祖父の笑顔を私は一度も見たことがありません。

 私の夫の母は、父親の仕事の関係で朝鮮で生まれ育ちました。結婚後、夫の赴任先の満州で男の子二人が生まれました。ところが戦争末期に夫が徴兵されたまま、ソ連参戦の報を受けた母は乳幼児二人を抱え、日本に帰るため朝鮮半島を南下。途中38度線で足止めを食い、命からがら2年後に帰国しました。その体験は、藤原ていが書いた引き揚げ体験記『流れる星は生きている』とほぼ同じだったといいます。大勢の子どもが次々に死んでいくなか、奇跡だと周りから言われたそうですが、母は幼い息子二人を無事連れ帰ることができました。でも、先に帰国していた夫は、2年後に妻子がやっとの思いでたどり着いた時、既に再婚していたのです。その前後にあったであろう葛藤は私には想像もつきませんが、こんな悲劇が他にも多くあったと聞きました。その後、義母の再婚後に、私の夫は生まれました。

 山深い四国の田舎に住んでいた母方の親戚も、外地で暮らしていた義母も、個人の力で抗うには大きすぎる戦争の荒波に流され、大変な目にあいました。実際に戦った男達はもちろんですが、私は戦後も長く続いた女性達の苦難に思いをはせずにはいられません。原因や経過に関係なく、戦争の災禍は国民に降りかかり、悲しみ苦しみを引き受けるのは、それぞれの個人と家族です。

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3 子ども達にこれ以上「つけ」を残したくない

 数年前から、私は総合学習の時間に小学校や中学校、高校に出向き「エネルギー環境問題」についての授業をしています。大半の子ども達がそれを自分の問題として考えています。温暖化のために世界で最初に沈む島の話をしたとき、「日本はいつ沈むんですか?」と心配そうに質問した4年生の男の子がいました。

 いつも授業の最後に「人間がやってることの中で、一番環境に悪いことって何だと思う?」と質問し、様々な答えを聞いた後で「人間がしている環境に一番悪いこと、それは戦争です」と言うと、子ども達は一瞬意外そうな顔をします。が、すぐ「建物を壊したり、燃やすから」「人間だけでなく、動物や木や植物も殺す」と口々にしゃべり出すクラス、「何億年も後まで放射線が出る爆弾を使ったりもしてる」と劣化ウラン弾のことまで知っている子もいて、小学生でもすぐに納得します。宇宙飛行士の毛利衛さんが初めて宇宙に行ったのが湾岸戦争のときで、戦争で破壊され燃やされた油田からもくもくと上がる真っ黒な煙が宇宙からもはっきりと見えたこと、そのとき環境に一番悪いことは戦争だとつくづく感じたという、毛利さんに聞いた話をし、「戦争をしないこと、なくすことも地球の環境を守るために必要」と言うと、子ども達は真剣な目で聞きいります。

 本当はその言葉の後に私は胸の中で「エネルギー資源を使い放題にして、環境を汚して、戦争をやめさせることができなくて、本当にごめんなさい」と頭をたれています。私達大人自身が実践しないで、子どもに省エネルギーや環境の汚染防止、戦争をしないこと、命を大切にすることを説くのは、申し訳なくつらいものです。冒頭に述べた小泉首相の言葉と同様、どんな説明をしても子どもの心に響きません。かえって反発と大人への軽蔑を招きます。社会のリーダーである立場の大人たちによる、欺瞞に満ちた言動は、教育上の弊害大です。そして、鋭敏で繊細な感覚をもつ子ども、物事を考える子どもほど、大人社会の嘘やずるさのダメージを深刻に受けているように思えます。経済の破綻以上に教育の破綻は、国民を不幸にするのではないでしょうか。
私たち大人は、これからの世代につけを残すような行為を、するべきではありません。
 私は、大切な税金を使って日本が国として戦争加担をしていることに耐えられないのです。毎日いてもたってもいられず、心身が不安定になって、生活にも仕事にも被害をうけています。

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4 国民の責任、裁判所の責任

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