東京都における国歌・国旗の強制は、公権力が歪んだ歴史観にもとづいて、国民の思想、信念を選別する踏絵を教職員や生徒に突きつける野蛮な策動です。これに不服従の態度を貫かれている教職員の方々の行動は、人間の尊厳を守る崇高な営みです。
これに連帯された保護者、市民の方々の理性と勇気に私は深く賛同します。
醍醐聰(だいご さとし)
東京大学大学院経済学研究科教授
自分の頭で考え、自由に主張し、自由に行動することができない社会は、人間が人間として尊重されない社会であり、そのような社会は活力を失います。
「日の丸・君が代」の強制は、重大な人権侵害 であるだけでなく、日本を衰亡に導く「非愛国的」行為です。
「日の丸・君が代」に対してどのような態度をとるかは基本的人権の1つである「思想・信条の自由」に属する問題であり,どのような法律をもってしても決して強制することのできないものです。
この間の東京都教育委員会の対応は,日本国憲法でも保障されている「思想・信条の自由」に真っ向から挑戦するものであり,明らかな人権侵害です。このような教育行政がまかり通るならば,強者に媚びへつらい,自己の保身しか考えない子どもたちが作り出されることはあっても,自由を尊び,他人を尊重し,真の公共感覚を身につけた子どもたちが育つことはないでしょう。
学校が,子どもたちが自由に生き生きと成長できる場となることを切に願い,1・10集会への賛同を表するものです。
学校に自由の風を 1.10集会へのメッセージ
日本の侵略戦争によってアジアの人々に与えた深い心身の傷は知らん振りをし、新たな戦争に日本の人々を駆り立てようとする者たちが、教育現場の自由を圧殺しています。1930年代、ちょうど戦争に突入しようとする時期に、教員たちへの大弾圧がおこなわれたことを思い起こします。良心と良識、人間性をもった人々の輪を広げていきましょう。
“すべての人間の内部に、自由、個人と社会の成長に関する測り知れぬ欲求がある。
未来の重みを支えている子どもたちの心が、抑圧されてはならない。
子の力は、自由さの中でのみ実を結ぶ。”(「アメリカ教育使節団報告書」’46)が、敗戦日本の初心でしたことをよみがえらせたい!
日本の子ども達の学力が諸外国と比較して低いことを受け、国は早速、学校現場に人を派遣し、教育の現状を調査するかのような報道があります。
子ども達の国語力などの学力向上の為には、自由な発想を保障することが何より大切であると考えます。そうしてこそ豊かな人格や成長が保障されるでしょう。
まさに、学校に自由の風が吹くことが今、求められていると思います。
賛同メッセージ
自民党が2004年6月に公表した「憲法改正のポイント」において、アメリカの戦争に日本軍を実戦に参加させる代名詞である「集団的自衛権の行使」の明文化と並んで、ー国民の中に「愛国心」が芽生えてくる新しい憲法にしなければならないーと述べているように、今石原都政が推し進めているものは、違法なアメリカの戦争のためであっても、みずから進んで若しくは少なくとも不満を抱かないまま実戦参加して死ねる人づくりにあります。まさに、教育勅語の世界の再現です。
私は、最低条件としての30人以下学級が必要なのは、安定した少人数であれば、教室の中でいくつものグループを造り、子どもらが互いの顔を見ながら交流できる、そうなれば自信のない子も自主的に発言できるし、頭のいい子も他の子に教えたりしながら温かいリーダーに成長でき、総じてどの子も自己肯定感と思いやり感をもち、更には「他国の人びとへの思いやり感」を持って平和を希求する存在に成長できるためであると思っています。
今教育に必要なことは、
すべての子どもが内に持つ成長力が全面開花できるように支えることであるのに、30人学級も拒みつつ石原都政は、これを真っ向から押しつぶそうとしているのです。
全国に波及する危険もありますが、子どもの成長力に逆行する施策は必ず滅びます。
1.10集会の成功を心から祈念します。
2004年12月31日
毛 利 正 道
長野県・弁護士(「非戦つうしん」発行人)
声の大きいものに従う心をつくるための暴風がいま学校だけでなく日本中に吹きあれ、日本人を思考停止、物言えぬ人間に変えようとしています。集会とは、いまの日本の現状を認識しあい、共有した問題を、まだ眠っている多くの人たちをゆりおこす力にするためのもの。わかっている人同士分かり合っても現状はかわりません。1.10集会がさらに広く一般に波及させていくための最初の波になることを期待しています。
都の教育委員でもある、将棋の大家が「全ての学校で日の丸が掲揚され君が代が斉唱されるようにするのが、私の務めです」と言って、当の天皇から「それは強制するものではないでしょう」とたしなめられたというような記事の記憶があります。国旗・国歌の法律からいっても立法経過からいっても「強制するものではない」というのが常識です。ところが、日の丸掲揚・君が代斉唱を権力的に強制しているのが、都知事と都教委、非常識極まりないというべきです。さらには、日の丸・君が代があの対戦中に果たした役割を思えば、そしてまた国民主権の憲法にそぐわない「君が代」の問題性を思えば、国内的にも国際的にも法的な再検討が必要だと思います。教育行政の大原則「フルサポート、ノーコントロール」から大きく逸脱して教育現場に混乱を持ち込む都知事・都教委の暴挙を許してはなりません。集会の成功を祈ります。
「日の丸」を拝み、「君が代」を歌うことは、明らかに亡国への道です。それは既に実験ずみです。
この頃の風潮に深い危惧を覚えるものです。
「今度はそんなことのないようにもって行く」というのかも知れませんが、そうはいかないと思います。
いつか来た道へ戻っては大変です。「それでもお前、日本人か」と、あるいは言われるかもしれませんが、日本人であり、日本を愛するからこそ言わざるを得ません。
1月10日の集会、がんばってください。
1月10日の集会に参加することはできませんが、私の賛同メッセージをお送りします。
統治者が強制力ないし刑罰の力を使って個人の知性や良心を押しつぶそうとすることは、真理の探求を阻むだけでなく、人間の誠実さそのものを破壊します。その代わりに、それは恐怖心と偽善を生みだします。教師や生徒に恐怖心を植え付け、不誠実さを奨励するようなものは、もはや教育ではなく恐喝です。政治権力の介入を許さない教育、批判精神を育てる自由な教育こそが、将来の日本と世界を担う若者や子供たちにとって、ぜひとも必要です。教育に携わる大人たちにとっても、これはぜひとも必要です。
東京から全国各地に向けて、どうか自由の風を吹かせて下さい。集会のご成功を心からお祈りいたします。
“君が代”、“日の丸”の押し付けは、かつての“忠君・愛国”とまったく同じです。
“精神の自由”は人間の尊厳の核心ですが、他者の“精神の自由”を侵すことがいかに重大な犯罪であるかを全然理解できないほど人間なるものについて鈍感で無知な人々が権力の座を占めていることの恐ろしさ。
私たちは彼らの犯罪を絶対に許してはならないと思います。
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