私たちは公務員です。よって、憲法99条の規定により、日本国憲法を尊重し擁護する義務を負っております。
特に教育公務員である教員は、憲法26条に規定されている国民の教育を受ける権利に基づく「子どもの学習権」を充足するために教育活動を行うという権利と義務を負っております。
この「子どもの学習権」を充足するために、子どもに保証されるべき教育の内容は、憲法13条に基づき、個人の基本的自由を認め、個人の人格の独立を最大限尊重し、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを保証するものでなければなりません。これは、旭川学力テスト最高裁判決の論旨からも認められるものです。
このように考えれば、少なくとも、ものの見方・考え方(特に国家や社会に対する見方や考え方)の形成に関わる教育の分野は、個人の思想・良心と密接に結びつくものですから、憲法19条で保証している思想・良心の自由に基づき、国家権力の介入が許されないと言わなければなりません。教育ができることは、あくまでも問題提起と判断材料を提供して、生徒達に考えさせることに限られ、生徒は、そうした材料の提供を受けた上で自分で物事を判断できる能力を身につけていくことが期待されています。こうした分野で、特定の価値観を一面的に正しいものとして教育することは、子どもが自らの成長発達を望んで要求する「子どもの学習権」を侵害するものであり許されません。
「君が代」については、「国旗・国歌」をどう受け止め、これらにどう向き合うか、一人ひとりの個人が自己の思想・良心にてらして決まるべき事柄です。国を愛する愛し方は、各人各様であり、それは色濃く、個人の価値観の問題です。それ故、教育の場において生徒に「君が代」を教える場合には、「君が代」の存在、その内容、国歌として法律に定められていること、その歴史、君が代をめぐる論議、および、それらは思想・信条の自由により決して強制されないのであって、それが近代憲法の基本原則であること、生徒にそれらの判断材料を提供し、それに基づいて自ら考えさせるべきであり、かつ、それに限られるべきであります。
それを超えて、国家が子どもに対して「国歌」を歌うように強制するなどのことがあれば、それは、「一方的な観念を子どもに植え付ける」ものであり、「国歌斉唱」を強制することは、子どもの学習権を侵害し、憲法26条、教育基本法前文、1条及び10条1項に違反します。
特に、憲法を尊重し擁護する義務を負う公務員は、決してこのような違反を行ってはならないのは、当然のことです。10.23通達以降の卒業式・入学式等の状況は、教員に起立斉唱を強制することにより、実質的に生徒に君が代の起立斉唱を強制するものであることが明らかになっており、都議会での答弁でも、国歌斉唱義務不存在確認等訴訟裁判でも、都教委の主張は生徒への実質的強制をほぼ認めるようなものとなっております。
これは明らかに、憲法19条、26条、教育基本法前文、1条及び10条1項に違反しております。
10.23通達等による「君が代」の起立・斉唱の強制は、旭川学テ判決の指摘する、「教師による創造的かつ弾力的な教育の余地」を奪い、「教師に対し一方的な一定の理論ないしは観念を生徒に教え込むことを強制する」ものであって、同判決が解釈する「教育に対する不当な支配」に相当し、教基法10条1項、学校教育51条、28条6項に違反する違法なものです。このために出された職務命令も、憲法19条、26条、教育基本法前文、1条及び10条1項、学校教育法51条、28条6項に違反した違憲違法のものです。
教師は、教育現場において生徒と最も密接に接触をし、子どもの学習権を充足すべく直接対応をする立場にあり、責任を負う者ですから、教育に対する不当な支配があった場合には、それを認識し、阻止する第一義的立場にあります。特に教育行政において不当な支配があった場合には、教育行政機関がそれを阻止するといったことが期待できないので、それを阻止すべき教師の役割は更に大きいと言わざるを得ません。
このような事実に基づけば、憲法を尊重し擁護する義務を負う教育公務員である教員は、違憲違法の職務命令には従ってはならぬという抗命義務を負うことになります。この抗命義務は、違憲違法の職務命令が出される限り、受命公務員が負うことになります。
つまり、国歌斉唱時に不起立だったことにより「職務命令違反」とされた服務事故なるものの再発を防ぐためには、憲法順守義務を持つ公務員は、違憲・違法の職務命令の再発を防ぐこと以外に、その方法がないということであります。
憲法99条、憲法を尊重し擁護する義務を負っている公務員である私は、違憲・違法な職務命令の再発を防止すべく、今後もあらゆる努力をするつもりです。
以上は、各学校現場で「再発防止研修」を行うように、指導されてきた校長に対して、提出しようかと思って書いたものです。
長くなっていますが、嫌がらせの「再発防止研修」課題を課せられた方を励ます意味で、私(予防訴訟原告のひとり)の主張として公表します。